5:みんなで叶える7人、道の先──IMP. 1st Single「CRUISIN' / IMP.」
2023年11月8日、IMP.がCDデビューした。
これはその日を迎えたひとりのPINKY.が、その日をいつまでも忘れないために綴った記録である。
この日を迎えるまで、私は正直実感がひとかけらも無かった。真夜中0時、タイムラインに流れる、この日を待ち侘びていたPINKY.みんなの言葉を眺めながら、ぼんやりと、「ああ、届く日が来たな」とやっと意識したくらいだ。
もちろん、決まった時とても嬉しかった。ただ、私にとってなんとなくこの日の位置付けはずっと、宙に浮いていたように思う。だって、「初めてのCDリリース」だけれど「デビュー」ではないのだ。もうIMP.はデビューしていて、世の中に彼らの音が届いていて、当然私のところにもそれが届いていた。しかも3曲もだ。確かにCDはずっと夢ではあった。でも、CDにしなくてもデビューができた今、「CDリリース」は私の中で、“いつか叶ったら嬉しいもの”に変わっていたように思う。それが叶うのは嬉しい。でも、記念日意識はあまりなかった。証拠というほどでもないけれど、今回私は事前にデザートプレートを頼みにどこかに行くこともしなかったし、特段日程を調整したわけでもなかった。たまたま休みだったのは、幸運だな、くらいは思ったけれど。ただそれだけだった。
休日らしく惰眠を貪っていたら、私が眠っている間にそれは我が家に届いた。優しい同居人が代わりに受け取っていてくれたようで、起き上がったら目の前に箱が2つ積まれていた。あまりにも寝起きだったので、あわてんぼうのサンタクロースでもやってきたのかと思った。寝ぼけ眼はそのあと、白い箱に貼られた「TOBE」のテープに気が付いた。
一気に目が覚めた。初めての彼らからの荷物に、少し浮かれた。なんだかパジャマのまま開封するのが勿体なく思えて、急いで身支度を始めた。初めて新くんにファンサを貰った日のワンピースを着た。新くんをイメージして調合してもらった香水を振った。そうしてやっと、テープに手を掛けた。随分開封しやすかった。それがTOBEの心遣いによるものなのか、単に私の心持ちのせいだったのかは分からないけれど。
箱を開いて、納品書をどかして、緩衝材の奥から、纏めて包まれたCDが出てきた。見慣れたピンク色を見つけた瞬間、私は思わずそれをぎゅっと抱き締めていた。
一気に、視界がぶわっと開けるような感覚だった。──ああ、叶った。叶ったんだ。そう思った。感動、感慨、そういった言葉では表しきれない感情だった。無理やりカテゴライズするなら、達成感、に近い感情だったかもしれない。
CDに、なった。CDが、私の手元に今、ある。親の顔より見た彼らの顔がジャケット写真に印刷されていて、質量をもって私の腕の中に収まっていた。その事実が、目の前にあるそれが、私に実感をくれた。
それがどれほどの奇跡であるか、きっと、私はPINKY.であるからこそ知ることができたのだろう、と思った。だって、7人の誰かひとりでも途中で諦めていたら、別の選択肢を選んでいたら、こうはならなかった。PINKY.が欲しいと言わなかったら、IMP.が形にしたいと思わなかったら、こうはならなかった。その両者が望んだとて、それを叶えてくれる環境でなかったら、こうはならなかった。全ての条件が揃ってはじめて、「IMP.のCD」ができた。
かつて頼りなさそうに真ん中に立った少年が、それでも目の奥に青い炎を揺らめかせて言った言葉を思い出した。
彼らは、「みんなで叶える7人」だ。
本当に、みんなで叶えてみせたのだ。
文字通り、「みんなで」叶えた。この「みんな」には、7人それぞれも、携わってくださっているスタッフの皆様ひとりひとりも、そして私たちPINKY.ひとりひとりも含まれているんだ、と実感した。だからこその、達成感、だったんだと思う。だって私たちは(敢えて、私という一個人が、まるで代弁者かのように振る舞うのを許してほしい)、「みんな」の存在が当たり前ではないことを、きっと誰より知っている。
それと、こうも思った。私がそう感じられるのは、IMP.さんが常日頃からPINKY.を「こちら側」として扱ってくれているからこそだ、と。
私はこう言葉を選んでくれた鈴木大河さんのことを一生忘れないし、一生だいすきだと思う。
ファンという存在は、アイドルという存在以上に簡単に消えることが出来るものだ。責任が何一つなくて、意思一つでいつだって辞められる。そんな危うい存在は、同じ時間を過ごしたとて、アイドルと同じ経験をするわけはない。「◯◯が起こった」という事象が両者に降り掛かった時、果たしてそれは同じだろうかと思うことがある。
ファンが一緒に戦う気になるのは簡単だ。けれど、少なくともいちファンの私には事態をどうにかする方法も、権力も、なにもない。ただ此処に居ることしかできない私と、実際それを乗り越えなければならない(或いは、何らかの決断をして解決せねばならない)彼らでは、「同じ」とは言い難いのではなかろうか、と思う。例え自分のことのように、自分のこと以上に苦しい思いをしたとしても、それは些細なことにすぎなくて、「一緒に」と言うのは烏滸がましいのではなかろうかと、思ってしまう。なにか苦難が目の前にある時、臆病な私はいつも「一緒に戦おう」とは言えなくて、ただ「好き」と、「どんなことがあっても私は味方でいたい」と、力なく祈りのような言葉を吐いて強がることしかできずにいる。
でもIMP.は、それをまるっと肯定してくれる。なんなら、「みんなに無い苦労が俺達にあるように、俺達にはない苦労がみんなにはある」くらいのスタンスで向かってきてくれるところがある。だからお互い様だと、だからこれは「同じ」で、俺達は「一緒で」いいのだと。
それと同時に、IMP.──というか、あの7人は、内側にいるファンへと、外側にいるまだIMP.に出会っていない人/これからIMP.のファンになるかもしれない人へ目を向けるバランスが絶妙だなと思う。アイドルは「知られ、愛されるべき」職業だ。だからこそ、外側を見ないことには何も始まらない。けれど、同時に内側を大切にできないアイドルは、人を手放すばかりで決して大きくはなれない。
外に目を向けることは怠らない、でも、常に内側を大切にしている。その存在が当たり前でないことをしっかり理解していて、此処に居る事実を尊んでくれる。排他的だと思われるかもしれないが、IMP.がPINKY.に与えてくれる“特別”が、私は好きだ。こんなことを言うと気障だと笑われるかもしれないが、IMP.とPINKY.はいつも、互いしか目に映っていない瞬間を共有しているように思うのだ。私はそんなIMP.が好きだし、そんなPINKY.が好きだ。それは前世の頃からそうだった。
前世の頃から、というともう一つ最近気付いたことがある。少し前、懐かしくなって当時大好きだった少クラの某曲を見返した。「ああ、改めて見ても好きだな、パフォーマンスも、衣装も」と思った。それと同時にこうも思った。「でも、今の方がもっと好きだな」と。そう思った気持ちは、その曲を毎朝見ていた当時──ちょうど1年前くらいだろう──に、サマパラ21のダイジェストを見ながら思ったのと、全く同じだった。
ああ、なんだ、私はあの道の先に今いるんだ、と思った。名前が変わった、咲く場所が変わった、それがなんだ。IMPACTorsとPINKyが横並びでいたように、IMP.とPINKY.だってそうだ。その関係性は、何も変わっちゃいない。変わったっておかしくない大きな変化の中で、7人は、IMP.は、変わらずずっと手を握っていてくれていたのだと気付かされた。あの時には見えなかった道の先に此処がある。だからこそ私は、「叶った」と思えたのだろう。だからこそ、えもいわれぬ喜びを噛み締めることができているのだろう。
私、IMP.を好きになってよかった。
ずっと7人を好きでいてよかった。
IMP.の7人も、携わってくださる、関わってくれる皆様も、PINKY.のみんなも、それぞれ違う人生を歩んで、それぞれ違う経験をして、それぞれ違う価値観で。それでもずっとずっとみんなで、“同じ瞬間 同じ気持ちを”共有して生きていけますように。此処から見える道の先、どんな景色が待っているかは分からないけれど。今の私には想像もできないような未来で、IMP.と手を繋いで笑っていられると信じて。
叶えてくれてありがとう。
今日もIMP.が大好きだ〜!!!!!!!
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