太陽のかけら、ほおばりたい
家じゅうの扇風機が石油ストーブに置きかわった。
そういう季節。
稲刈りも終わって、ようやくままならなかった日々の手綱をつかめるかなと思っていたけど、そういうわけでもなく、あいかわらずままならないままいたずらにすぎてゆく日々のかたすみに取り残されてる。
ひらがなが多い。
柔らかくなりはじめた太陽のひかりがとても好きで、壁や地面におちる光と影をみては、数秒見蕩れてからシャッターを切っている。
カメラを持っていないときはシャッターを切った気でいる。心のシャッター。心のシャッターというと、心を閉ざしているように感じるのはわたしだけ?
なんにせよ、なんてすてきな時間なんだろうと思う。忙しない時間とのコントラストで余計に心地よく感じる。
金曜日と土曜日がライブだった。
今年はなんだか連チャンででライブをすることが多い。空いている土日をライブに全振りしている。ツーデイズが基本。こわい。
金曜日はともだちのTHE RIBというバンドの企画。
ドラムのあっちゃん(イケメン)が卒業するのを、全力で送り出すライブ。卒業生を送る会。
現体制最後だって銘打っていても、しおらしい雰囲気にはならないあたりさすがだなと思った。笑いながらまたねって言ってバイバイした。
最後までイケメンだった。靴は相変わらずクロックスだけど。
一応なんだけど、クロックスがダメって言ってるわけではない。あっちゃんの全体像からしてちょっと違和感があるだけで。言うなれば「えっメロンに生ハム乗せちゃうんです…か?」みたいな感じ。
土曜日は大学の後輩が企画したライブ。
在学中、山小屋と呼ばれている大学の部室で毎年6月に行われていた都留ロックというライブがあって、それを模して学外に持ち出して、卒業生でやんややんやしようという、いわゆる同窓会のようなライブ。
個人的には、自分のなかに大学への郷愁的なものが強烈な香りを漂わせながら存在していた(めちゃ恥ずかしい)ので、コロナ禍の間に一旦ツボに詰め込んで蓋をして、心の押し入れの奥の方へ押し込んだ経緯もあり、かなり懐かしさにやられてしまいそうになった。
"死因:懐か死"になりかけながら、あの頃の雰囲気に身を委ねて、それでもやっぱり体力的にはかなり衰えていることを実感しながら、今のぼくたちで楽しんだ。
なんかもうたぶん大丈夫だと思う。ちゃんと思い出になってる。
その日のうちに家に帰る手段のないぼくと後輩の石津くんは、バンドメンバーであり、大学の後輩であるこうようの家に泊めてもらった。
"極"疲労のなか重い機材を背負って、なんどかもう完全に電車の乗り方をミスったりしながら、なんとかキャンプ地にたどり着いた我々は、すき家のぜいたく牛丼(命名:ぼく)をかっこんで早々に深い深い睡眠の海へ沈んでいった。そっこーで寝たのはぼくだけかもしれないが。
部室の硬い床の上で雑魚寝した記憶を呼び覚ましながら。
翌日、家に帰る石津くんを見送りながら、ぼくは用事のある三鷹の森に向かった。電車だと結構遠回りをしてしまうな〜と思っていたら、バスを使うといいと教えてくれた。都会ではバスが幅を利かせているようだ。
電車に乗るのはもうだいぶ慣れたけどバスに乗るのはとても緊張した。たぶんひとりで乗るのは初めてだと思う。
降車ボタンを押し忘れるんじゃないかとヒヤヒヤしながら時刻表と時計をずっと交互に見ていた。見ていたんだけど、全く時間通りにバス停を通過してくれないもんだからお手上げ。ほんとうに緊張した。
三鷹の森フェスティバル、初めて行ったけどとても良いイベントだった。
いろんな屋台が出ていたけど、いわゆるお祭りのああいう感じじゃなくて、地元の小学生とかが綿菓子屋さんをやったり、近くの企業がお店を出していたり、ハートフルでピースフルだった。
30過ぎの独身男性が行くには少し眩しすぎるくらい、親子連れが多かった。こちらはひとりの身軽さ、自由さを振りかざしながら、うまいジビエとかやさしいだんごとかをほおばり、いい香りのコーヒーをゆっくりすすって全力で楽しんだ。最高。
小さいステージではミュージシャンの演奏もあった。ジブリ美術館の裏ということもあってか、会場BGMは往年のジブリの名曲。
うまいもんといい音楽とやさしい太陽の光につつまれて、きっと天国ってこんな感じなんだろうな、なんて思っていたりした。
前日の疲れもあって、長居したらほんとうに動けなくなりそうだったので、ちょっと早めの時間に帰ることにした。とはいえもう陽が傾きだしている。陽が傾きだすのがはやい。
いろんなひかりを集めながら、荷物を置かせてもらっているこうようの家まで帰った。
傾きだした太陽のひかりがとてもやわらかくて好きだ。
そのひかりで色づいていく空の色もやさしくて好きだ。
何かの影で切り取られたひかりは、まるで太陽のかけらが転がっているみたいできれいだと思う。
食いしんぼうなのでぜひなんとかして、いつの日かそのかけらをほおばりたいな、なんて思ってしまう。
では、また。