わたしが決めましたという意思
「人とつながる表現教室」山田ズーニー著
が、ずっしりきてる。
全ての章立てが、今のわたしの様々な部分の琴線に触れる。
そのなかでも、「声に宿るもの」という章を読んで、自分の中の、ある記憶が蘇った。
半年前までわたしは3年間、ある機関に出向していた。
会社員生活では経験できない様々な仕事をやらせて貰えてた。
しんどい事の方が多かったけど、それを一言で表すなら「充実の日々」だった。
出向最後の1年間は、あるガイドラインの策定に関わっていた。
お役所とのやりとり、新たな仕組みが導入されることで、機関内の色々な部署と調整作業もあり、慣れない仕事で進め方も試行錯誤で同僚2名で疲弊していた。
その当時の懸案事項は、お役所と交渉するガイドラインの最終落とし所の案を、直属の上司に全く理解して貰えなかったことだ。
上司は、ガイドラインの中身を誤解したまま勝手に他部署の部長連中に約束してしまった内容に固執していた。
わたしも同僚も、上司の約束の内容は何も解決しない愚策だと思っていた。意味のない行為になると何度も色々と伝えたけどとにかく自分が約束したことを履行する事に固執してしまいお手上げだった。
そして、そのまま絶望を抱いたまま、その日が来た。
最終日に、わたしは翌月からの新理事にガイドラインの落とし所の説明をするという上司と共に新理事の部屋にいた。
同僚は絶望していて休んでいた。
わたしは、資料は上司が準備するという事で本当にただ付いていっただけ。
上司は、理解して貰えると自信を持って説明を始めたが、新理事は、自分が感じてるガイドラインの方向性のコメントを返してくる。
「あ、なんかチャンスかも」
わたしは思った。理事のコメントの方向性が同じだと感じた。
新理事が、まさしくわたしと同僚とで考えていた内容をコメントした時に、すかさず
「わたしも理事のお考えと同じです」
と、言ってしまった。
その時の、「え!」と声を出し振り返った上司の顔を忘れないだろう。
あれだけ反対してたのにまるで初めて聞くような驚きようだった。
あの時を境にガイドラインの方向性が一気に変わったすごい経験だった。
カウンターパートの役所の担当者には、
「理事の前で上司を背中から刺したって事ですね」と、言われた。
わたしは、自分の考えを示したかった。
明日からはもうガイドラインの策定の任から外れるとしても「もう知らない」とはできなかった。
明日からに責任を負えないけれど、自分の意見は表明しておきたかった。
仕事だから、自分の意見や考えが通ることは少ない。
だから最初から絶望して、上司の考えに同意できないとしても右から左へ流すような仕事をしてる人もいるだろうし、わたしも出向前は、そのような傾向が強かった。
強い思いもなかったし。
わたしは出向時の経験を、よく
「グレーの濃淡を定める」と思ってた。
白黒はっきりさせるのが仕事ではなく、その間のグレーの幅の中で毎回着地点を定める。
知識と自分の哲学のようなものを総動員して決めていく。「状況を把握」して「ニーズを理解」して「目的目標を押さ」えて。
なんとなく同じような状況でも濃淡が変わる着地点になることが多い。少しの違和感で変わったり。
難しいけどとにかく決めていく。自分で責任を持って決めていく。表明していく。
この時の経験は今のわたしの働くことの違和感にもつながってる。
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