自分の物差しの外に出る経験_エチオピア

とにかく疲れていた。

初めてのアフリカの旅先をエチオピアに決めてから、渡航までの間に色々な準備をしていた。

当時はまるで都市伝説のようにエチオピアといえば以下のような話を聞いていたからだ。

現地名でコニチャと呼ばれている南京虫に関するあれこれ。

・現地の乗合バスの座席に南京虫は住み着いていて座ると刺される。
・宿のベッドは言わずもがな。しかも安宿ではなく高級ホテルにも住み着いている
・何故か現地のエチオピア人は刺されないから(耐性ができているから)南京虫がいることに気付かない。なので有効な対策が取られてない。
等々。

わたしは、渡航前までに南京虫に関するあらゆる情報をゲットし、YouTubeで南京虫の生態まで確認して、以下の対策をとった。

・米軍兵士御用達のジャングルにも対応可能という寝袋を購入。
・白系が苦手な南京虫対策に現地の服は白で揃える
・パラゾールを500g持って行き、寝袋の周りに置石のように置いて眠る
・ベッドのシーツやマットレスを剥いで、ブルーシートを敷き、その上に寝袋とパラゾールで防御して眠る
・殺虫剤は現地で必ずゲットして宿に着いたらまず散布する
・今回の旅先は標高が高いため、蚊帳は吊るさず、殺虫剤と蚊取り線香と、寝袋(顔もモスキートネットで覆う)で対応する

…緊張しすぎてゆっくりと寝られるはずがない。

そして、到着直後から町を歩くと前後左右からエチオピア人が押し寄せてくる歓迎っぷりに恐怖しか覚えず、寝られないこともプラスして着いて2日目で既に体力の限界だった。

そしてバハルダールからラリベラまでの移動でそれは起こった。

国内の移動は、日程の関係で全て飛行機で移動とし、全便予約していた。
国内線もなかなかな評判だったので、帰国日の前日にアジズアベバに入る日程を組み、急なキャンセルやディレイに対応できるようにしていた。

バハルダールの空港でみたBBCは、どこかで起こった地震の状況を流していた。
それに影響したかのように、ラリベラに向かう機内に入った途端にわたしは貧血を起こし、隣に座ってた西洋人の男性をどかしてそのまま横になってしまった。

このままだと機内から降ろされるだろう、そうしたらその後の旅程はどうしたら良いんだろう?
と、横になった貧血の中グルグル考えていたら、何事もないようにそのまま飛び立ってしまった。
プロペラ機のエチオピア航空は揺れも酷いのでCAも確認に来ず、周りの西洋人が、ウエットティッシュを投げて寄こしてくれたりと、遠巻きにケアされながらの移動だった。

なんとか、ラリベラに到着前に貧血も治って、機内で座れるようになった。
到着後恐る恐る立ち上がりバックパックも問題なく背負えてホッとした。

そしてこれを契機に、その後は自分のペースで観光できるようになった。

平時のエチオピアはわたしには最初から手強かった。
1日ごとに起こる停電や、インジェラという、酸っぱくて見た目がアレな主食や、20ドル払ってもカビだらけの宿や、白いろうそく1本とマッチを渡され、先人の後に習ってロウを垂らしてろうそくを立てて、ほの暗い部屋で過ごすことや。

文字にするとそんなもんかと思うことがリアルに経験すると空気圧のようにわたしを四方から抑え込んでくる感じで、緊張の極致だったんだろう。

そして、倒れて起き上がったら、そんなエチオピアと向き合えてそれほど怖がらなくても大丈夫と思えたのか、身体が軽くなったのを覚えてる。
今までの自分の当たり前から外に出られたらそれほど恐れることもないと分かったのだと思う。

その日からは、ブルーシートもパラゾールもやめて、ベッドの上に寝袋を置き、ゆっくり眠れるようになった。

コニチャには刺されなかった。

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