小畠佑介の自己紹介
1. 自己紹介
はじめまして! 音響の小畠佑介です🎹
小畠(おばた)の苗字は使い勝手が良いようで、小さいころから多くのあだ名を付けられてきました。おばけゆうれい、おばちゃん、オバマ大統領、アバター、OBT、おばてぃ……
現在修士1年ですが、大学院では「ぽばた」と呼ばれています。文書を共同作成しているときのタイプミスが原因です。
趣味は将棋です。
将棋と言えば藤井八冠が有名ですが、彼と顔が似ていると稀に言われます。藤井八冠と似ているのは顔だけではなく、苦手な食べ物がキノコであること、運動神経は悪いのに50m走だけ速いこと、得意な科目が数学と地理であることなど多岐にわたります。将来の夢はNHKのスイッチインタビューで彼と対談することです。よろしくお願いします!
2. 人生の分岐点
私の人生の分岐点は、中学1年のときにボート部に入ったことです🚣
まずはボート部に入るまでの経緯を書きます。
私は小学4年以降中学受験まで学習塾での勉強が生活の中心でした。周りからは優秀な人間に見られ、誇らしい気持ちで過ごしていたことを覚えています。
ところが中学に入ると周りは賢い人ばかり! 最初の中間試験ではクラス内36位。勉強しかしてこなかった私は、自分の生きる指標を失いかけていました。
そんなときに出会ったのがボート部です。中学の卒業文集によると「ボート部の部長が90円のジュースを奢ってくれたので入部した」とのことで、あまり深く考えずに入部したことが窺えます🥫
ボート部に入って一番変わったことは、自分の生き方がより刹那的になったことです。目の前の瞬間を生きることを大切にするようになりました。
そうなったきっかけはエルゴとボート部の自由さです。
まずエルゴについて、練習ではこのトレーニングマシンを最大で20分間漕ぎ続けますが、これがまあきついんですわ。「終わるまであと何分」とか「このペースで漕ぎ続けることはできるのか」とか考えていると、体が限界を迎える前に心が折れてしまいます。
そこで後先のことは考えずに目の前の1本を力強く、美しく漕ぐことに神経を集中させるわけです。こうして私は今この瞬間に集中する術を半強制的に身に着けました💪
一方で、エルゴ以外の練習では先輩や顧問からの干渉はほとんどありませんでした。ランニングではくだらない話をしながら上野やスカイツリーなどへのんびり走り、乗艇練習では池に浮かぶカモにオールでちょっかいを出し、練習後は「電車賃を50円ケチろう」とみんなで隣の駅(とはいえ県境を越える)まで歩きました🦆
このように己の好奇心のまま目の前のことを楽しむ生き方は、勉強で他人を凌ぐ生き方しか知らなかった私にとってかなり新鮮なものでした。そしてそんな生き方も悪くないと気づけたのは、ボート部の自由や雰囲気や自由人の同期がいたからこそだと思っています。
もしあのときボート部に入らず、刹那的な生き方を知らずにいたら、私はあのまま腐ってしたか、一念発起して成績上位を巡る熾烈な争いに加わっていたと思います。どちらにせよ、今の私とは全く違う人生を歩んでいたことでしょう。
3. もし別の人生を生きられるなら
クラシック音楽の作曲家になりたいです♬
私はドビュッシーという作曲家が大好きなので、まずはドビュッシーに弟子入りして、彼がどんなことを考えてあのような革新的な音楽を作ったのかを学びたいです。そうなると明治時代に生まれる必要がありますね。
ドビュッシーは作曲にあたって浮世絵などのアジア文化からもインスピレーションを得ていたと言われています。弟子入りする前に雅楽などの日本の伝統音楽を学んでおけば、彼との交流がより楽しいものになりそうです!
最終的には、クラシック音楽の基礎である音階の概念を破壊するような、新たなジャンルを確立できたら面白いなあ……
次のnoteを書く葦ノ芥さんに質問です。もし葦ノ芥さんが誰かの弟子になれるとしたら誰の弟子になりたいですか?
4. 学校での思い出
宇佐木氏からの質問は学校での思い出です!
高校3年の運動会が一番の思い出です。競技の動画を見て研究したり、中3の指導をしたり、クラス(紫組)のみんなで筋トレしたりしていました🍖
棒倒しでは高2のときに負けた緑組にリベンジを果たせたのが本当にうれしかったですね。その後決勝で黄組に負けた後に自分含めクラスのみんなで号泣したことも忘れられない思い出です。
紫組は動物園のように騒がしく頭のネジが吹っ飛んだクラスでしたが、仲はめちゃくちゃ良かったです!!
みんな元気にしてるかなあ
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