そう言えば「とみゐ」とは
「桜が美しいな」と昨年の4月はよく桜を見に行っていたことを思い出すが、今年はそんなことを少しも思うことがなかった。
27歳、第2の挑戦でそんな余裕なんて一切なかったからだ。
というのは全くの嘘で、昨年の今頃までは上京したウキウキで毎日が華やかだっただけだと思う。人間ってとても残念な生き物で、歳を取れば撮るほどに一年が短く感じていく。
そんな残念さを打開するのは「今までにない経験を得ること」らしい。強く印象に残る出来事が多ければ多いほど、記憶と共に残る時間の印象はゆったりとしていく。
「生まれた時からの天邪鬼」
母はよく私のことをそう言う。
確かに小学校で始めた音楽も「あんたに続けられるの?」と母に煽られて始めたし(実際はとてもお金と時間がかかるので止めたかっただけ)、就職活動で初任給が高いけどブラックな会社を選んだのも、同い年の従兄弟と比べられ続けてきて(もちろん本人にそんな気はない)せめてでも年収は勝ちたいとの思いからだった。
待って?天邪鬼なんじゃなくて負けず嫌いなんじゃない?
そんな私が反発せずに好きでやりたくて我慢してきたのが「お笑い」だった。
とはいえ、自分のことを「おもしろい」と思ったことはなくて、ただ声が大きいおしゃべりなやつってだけ。さらに、いざ「やりたい」ことを勇気を持って「やろう」へ変化した大人の私にとってはそんな計画性のない自分への期待と未来にBETする勇気はなかった。
ビビリなので。しょーもない。
私はお笑いが好きだし、音楽も好き、洋服も好きだし、食べることも好き、でも多分それ以上に好きなことが、好きな人たちと何かをやること。
だから音楽も大学まで続けてきたし、人の入れ替わりの早い会社はその波に乗るように辞めてきた。私の原動力はきっと人なんだと思った時に、じゃあ、その好きな人たちのために働きたいと思った。
だから?というのも合ってるのかわからないが、仲間になった人たちは特別大切にするだろうし、絶対にいい思いをさせてあげたい。そのために私は努力ができる。
大人になって、少しずつ天邪鬼ではなくなってきた気がする。人の意見も聞けるようになったし、咀嚼して自分のものにもできる。
広い世界を俯瞰して見えるようにもなってきた。
好きなもの・好きなことに真っ直ぐ向き合えるようにもなってきた。
いいぞ、私。
あとは来年また桜が見える頃に、好きな仲間たちと最高に楽しくて笑える未来を作れるような力を持っている自分になっておきたい。
トミカワマユ(1997年の早生まれ)160cm
愛知出身、小学校ではマーチングバンド、中学高校では吹奏楽部、大学ではオーケストラをそこそこやる。
何故か大学は調理コースを2年、小説・エッセイを2年学ぶ。その後アパレル会社就職、時計会社と外資系企業に勤めて現在。
声が大きい。
今年の1年は長く感じそうだな。
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