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スキルを届けるエンジニアリングをしたい - ナレッジワークに転職しました

これは、10年勤めたクックパッド株式会社を退職し、株式会社ナレッジワークに転職したお話です。(※写真は会社ではなくリノベしたご家庭で、Arts&Craftsさんに施工・撮影していただきました)

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3年前から大阪に住んでいる。暮らし始めて感じたのが、街の風景やそこで飛び交う言葉、遠くに見える山の稜線まで、目に入るもの、耳に聞こえるものが、妙にしっくりきて落ち着く。もともと自分は大阪出身なので当たり前だと思われるかもしれない。そう、当たり前だ。

こうした体で感じる感覚に敏感になってみると、しっくりくるもの、つまり自分に馴染みがあり好きなものと、そうではないものがある。ものだけではない、人もそうだし、言葉づかいもそうだ。絵や音楽などの表現作品にも好き嫌いはあるし、思想や風潮といった抽象的な概念にもあてはまる。自分の職業の話をすれば、プログラミング言語にも好き嫌いはある。

ありがたいことに、こうした感覚は短時間の間にはそれほど大きく変化せず、好きであることを忘れることもない。頭で記憶しているというよりも、体がおぼえている感覚だ。好きなものに向き合えるとき、「頭でこれはいいものだ」と整理して考えずとも、穏やかな安心感で表情がやわらいだり、勝手にわくわくしたりと、身体的反応をともなっていることに気づく。反対に、しっくりこないもの、苦手なものは、文字通り体が拒否反応を示すこともある。

この「身体がおぼえている」情報のことを「身体化された知」または「身体知」とよんでみよう。頭でがんばって記憶している知識とは異なり、その対象に触れると、自動的に心や身体が反応する、そういう反応の仕方そのものが、「身体化された知」だ。反応と書いたが、必ずしも外部からの刺激に応じるだけではなく、能動的な動作であっても、無意識に近い状態で自然とできるようなことは「身体化された知」だと言える。つまり、性向や趣味だけでなく、スキルや才能も「身体化された知」だ。

「身体化された知」の集まりが自分を自分たらしめているのではないか、というのが、まず最初の気付きとなった。自分とはどういう人か、プロフィール欄に経歴を書いてもなかなか伝わった気がしないが、何が好きで何が得意か、どんなことが苦手で、どんなことができるのか。そういった話をていねいに話せた時、ようやく自分をうまく表現できた気がする。これは、自分とはどういう「身体化された知」から構成されているのかを相手に伝えているのだ。

成長とは自分を変化させることで、これは「身体知」を新たに獲得していくプロセスだと考えることができる。知識を獲得しただけでは成長とはなかなかよばれない。たとえば、今日新しい漢字をひとつ覚えたとして、それを自己成長とは言わないだろう。しかし、これまでまったく漢字に触れてこなかった文化圏の人が日本で日常的に使われる漢字を10でも20でもいいので読み書きできるようになったとき、これは成長だといえそうだ。ここで大事なのは、この二例の間にあるのは、量的な差ではなく質的な差であるということだ。前者は頭での記憶の作業が中心であり、身体的な変化に重きが置かれていない。一方、後者の場合、頭での記憶作業に加えて、身体レベルでの変化(そらで字を書けるようになっていること、漢字で書かれた単語を見て、頭で考えなくても、その意味を即座に受け取れること)が起きていることだ。そう、成長とは、こうした「身体知」の獲得に他ならないのではないか。

この成長=「身体知」の獲得プロセスという視点を持ったうえで、これをエンジニアリングしたいというのが、ぼくの関心事である。

わかっている。転職の話だ。

前職のクックパッドでは、レシピという形式の知識を扱うサービスの開発に従事していた。特に、グローバル部門で、二十数言語対応のレシピ検索システムを開発するというやりがいしかない仕事に満足していた。料理もまた「身体化された知」であり、「身体知」のまま誰かに伝えることはできないので、いったんレシピという言語化された知へ変換する必要がある。しかし、料理上級者で経験によってスキルを培ってきた人ほど、「ちょっぴり」「気持ち多め」などの、身体感覚的な言葉を多用する。その人の身体の感覚でとらえられた知識を言語化しようとすると、どうしてもこういった表現にならざるをえない。

このレシピという知のあり方を通じて、「身体化された知」(=暗黙知)を「言語化された知」(=形式知)に置き換えられるプロセスに思い馳せていると、徐々に、料理という枠を超えて、より限定されない形で、人は自分の持っている「身体知」を、どのように圧縮し効率よく他の人に伝えることができるのか。人から人への「身体知」の転移プロセスそのものにむしろ興味が移ってきた。

人間が(生物が)持っているスキルや好き嫌いという性向を他者に伝えるもっとも伝統的な方法は遺伝である。しかし遺伝には大きな問題があって、自分が望む「身体知」を必ずしも伝え残せるわけではない。むしろ、自分が前世代から受け取ったものをリレーすることがほとんどであって、遺伝子工学による人工的な介入をしないかぎり、意図的に自分の望む情報を次世代に伝えられる可能性はほぼないと言ってもいいだろう。また時間のスケールが合わない問題もある。遺伝によって、人類としては数十〜数百万年、生物としては数十億年にわたり情報を蓄え続けているのだが、ぼくら個体に関心があるのはたかだか数十年の話である。

遺伝をあきらめるとすると、「身体知」の転送し、スキルを身につけるには、従来どおり人から人へ直接教えるしかない。できることならば、まるで服を着替えるようにスキルを身に着けたり外したりしたいものであるが、人間はまだその能力を身に着けていない。多言語を操る能力であれプログラミング能力であれ、あらゆるスキルをワンタップでインストールできれば、こんなに苦労はしないと思っている人は多いだろう。「身体知」の直接転送が難しいと認めるならば、やはり結局言葉に頼って、形式化された知を通じてしか、送ることも受け取ることもできない。

そう、「身体知」であれど、その転送には言葉が不可欠だ。現代では、音声や動画を多用して、いろんなスキルの紹介がなされるようになったが、そういったコンテンツにおいても、やはり言葉が重要な役割を担う。

しかし、この言葉が曲者なのである。正確に言えば、身体知という身体がおぼえている非言語的な情報を、言語化することの難しさがまず出てくる。レシピの例でも書いたように、書いた本人にはわかっても他者には理解の難しい表現になることが多く、伝わりやすい形で身体知を言葉で表現するのは、これもまたひとつのスキルとなっている。そして、たとえ見事に言語化された知があったとしても、それを消化吸収し、自分の「身体化された知」として獲得するのがまた簡単なことではない。

この「簡単ではない」という状況を、サイエンスやエンジニアリングの手法をフルに活用してHackできないかというのが、ぼくの問題意識にある。

ようやく、ここから転職先の話となる。

株式会社ナレッジワークという会社に7月に入社した。具体的なサービス内容やプロダクトについてはまだステルスのため非公開だが、このサービスが提供しようとしている価値が、ぼくの問題意識とおおよそ合致したと感じた。

会社組織にも多くの属人的暗黙知が存在し、どの会社もどうすればその知を形式化して保存し、社員にスキルとして配れるのか、研修制度やメンター制度に腐心していることは想像に難くないだろう。反対に現場で働く一員としても、より成果の上がるスキルを身につけたいと思うが、職人気質な環境であったりすれば、見様見真似でスキルを盗めと無茶言われて、途方に暮れる経験をしている人も多いだろう。

ナレッジワーク社としては、大まかに言えば、 仕事におけるスキル獲得に着目し、会社組織の中で、スキルを伝達し獲得させること=「イネーブルメント」の喜びを届けることをミッションとして、組織向けのプロダクト開発を行っている。

2020年に立ち上がったばかりの創業まもない会社なのだが、組織としては非常に成熟しており、自分たち自身がイネーブルメントを体現しようとして、工夫の凝らされた制度がたくさん採用されている。また、プロダクト開発の手法や、利用している技術についても話したいことはたくさんある。

身体知について長々と考察を書いたが、象牙の塔にこもりたいということはなく、世界中で使われるソフトウェアを書きたいという気持ちが強い。このため、自分の関心事に近い領域で、現実の顧客を抱えるサービス開発ができることは、とてもうれしい。興味を持たれた人がいれば、ぜひ気軽にお声がけください。

人間の身体知の転送、どうすればスキルを効率よく伝達し身につけられるのか、というテーマは、ぼくにとっては、科学・工学・哲学・心理学など、あらゆる人類の知を総動員させるに足る大事業だと思える。知識の宝庫としての図書館を建造することよりも、あらゆる人にスキルを届けられる技術を発見するほうが、よほど人類の未来に貢献するだろう。