【Oxford留学】留学生活を終えて
2023年9月末から始まったOxfordでの留学生活ですが、早いもので全てのカリキュラム・イベントが終了しました。
正式なコースの終了日は7月末ですが、記憶が新鮮なうちにOxfordでの留学がどのようなものであったかを書き留めておきたいと思います。
もっぱら自分のために書いているため、やたらと細かく書いている部分もあります。多くの方にとってはご関心事ではないと思いますので、ご興味に従って適宜読み飛ばしてください。
1. 勉強
Oxfordでの生活の中心を占めるのは言うまでもなく勉強です。
ここでは、どういう勉強をしたかということと、日本の教育との違いとして感じたことを書いてみます。
(1) 履修した授業
私はMSc in law and financeという修士課程のコースに在籍していたため、法律と金融に関する授業を受けていました。具体的には以下のような授業を受講しました。
ミクロ経済学
ゲーム理論(Rubinstein gameなど)やDiamond and DybvigのBank runモデル、Arrow-Debreu securitiesなどについて勉強しました。
取り扱われるテーマは高級でしたが、講師がかなり噛み砕いて教えてくれたため、非常に分かりやすかったです。また、韓国系の先生であったこともあり、英語が非常に聞きやすかったです(30代前半でOxfordのtenureポジションというスーパーマンでした)。
計算というよりも理論寄りの内容でした。
ビジネスファイナンス
MBAでもお馴染みの科目だと思います。
私のコースでは、NPVやIRRから始まり、Sharpe ratio、ポートフォリオ理論、ß(ベータ)、CAPM、M&M(モディリアーニ・ミラー)、社債・オプション商品の価格決定等について学びました。
なかなかファイナンスを真正面から学ぶ機会がなかったので、良い授業でした。
担当していたアメリカ人講師の英語が早くて心が折れましたが、授業スライドを予復習することでなんとか置いていかれずに済みました。また、ファイナンスは数字を使うことが多かったので、計算式を通して内容を理解するといったこともよくありました。
Corporate valuation(企業価値評価)
DCF法について実際にモデルを組めるようになるレベルまで学ぶコースでした。成績がつくエッセイ課題はEasyJetの企業価値評価をDCF法とマルチプルを使って行うというものでした。まっさらのExcelシートに自分でDCFのモデルを組むのはかなりの苦しみを伴いましたが、非常に良い経験でした。
①いかに綺麗なモデルを組んだとしても前提とする数字がいい加減であれば結果として出てくる企業価値はいい加減になるということ、②算出された企業価値が他社によって算定された企業価値とかけ離れていないことが重要だということ、が大きな学びでした。言い換えると、これは学問的なものではなく、完全に技術習得のための授業でした。
法と経済学
企業間取引を法と経済学的な視点から分析するという実務と理論を架橋する授業でした。法律と経済学の学際的な講座でもあるため、コースの目玉的な授業でもあったようです。
情報の非対称性、利益相反、不完備契約、Hold-up問題、Agency costとモラルハザードなどについて学びました。
これらの問題に対処するためにどのような契約条項を設ける必要があるか、どのようなガバナンス体制とすることが望ましいか、という視点から企業間取引を分析するため、実践的な内容でした。
授業の後半では実際の取引事例を基に、学生が1時間かけて事例の解説・分析・問題点への対応に関するプレゼンを行うという機会もあり、グループワークの良い経験となりました。
レギュレーション
唯一の法学部科目として選んだのはレギュレーションでした。
特定の規制について学ぶというよりは、規制一般についてどのような立場から検討するべきか、という総論的な内容に着目した講座でした。
例えば、経済学的見地から分析したり、公益的見地から検討したり、Regulatory spaceやANT(Actor-Network Theory)という発展的な視座から規制を分析することもありました。
この講座は非常にOxfordらしいというか、根本的な議論が重視されていました。例えば、経済学的分析を行う回ではハイエクやポランニーが文献リストに挙がっていたり、政府の役割を相対化する文脈ではフーコーのテクストが指定されていたりしました。正直、日本語で読んでも内容を理解するのが厳しい知の巨人たちの文章を英語で読むのは消化不良でしたが、Oxfordが求める知の基準との距離を知ることができた(思い知らされた)のは良い学びでした。
このクラスに参加していた他の学生と話していたところ「この授業は難しすぎる。概念が曖昧なので理解することが大変だ。」という意見が100%でした。最初は25名程度いた受講者も、いつの間にか15名程度になっていました。
4回のTutorialを経験したのもこの授業です。毎回1,500 wordsのエッセイを書くのは骨が折れましたが、教授1・学生2で1時間ディスカッションをするのも大変でした。1人の持ち時間は30分で、前半15分は口頭で自分のエッセイについて報告する時間であるため、正味のディスカッション時間は15~20分くらいですが、抽象的な議論を正確に理解し、伝えられるほどの英語力が備わっていなかったため、最初の方は議論になっているのかいないのかよく分からない状態でした。それでも学期が進んで多少英語力が伸びると、議論が噛み合っているのが分かり、成長を感じました。また、疑問点を教授に質問することで理解がさらに促進されることに気づいてからは、前向きにTutorialに臨むことができました。
このような抽象度が高く、一見すぐには実務に役立たないような科目こそ、私は最も重要な科目だと思っています。目先の知識や技術は常に変化し、廃れていきますが、一般的・抽象的な概念はより長い時間の変化に耐えることができます。学習難易度は高いですが、一度枠組みを理解してしまえば長期間使えるので、コスパ的にも悪くないと思います。
参考までに、試験課題として与えられたエッセイのテーマをいくつかご紹介します。8題のうちから2つ選んで、1問当たり4,000 wordsを上限として自分の考えを書きます。
プライベート・エクイティ
Oxfordで一番がっかりした科目です。
元々ある程度の知識があったということもありますが、教授の理解を押し付けるような指導スタイルが肌に合いませんでした。また、「なぜそう考えるか」というプロセスが重視されず、結論(とそれを支持する少しばかりの論拠)が所与のものとして提示されるスタイルも気に入りませんでした。
この授業内容を知りたい方は教授のウェブサイトや著書をご覧ください。授業でも、質問に対して「それは私の本の⚫︎章に書いてるから読んでおいてくれ」という回答がよくあったので、本を読めば授業の内容はカバーできます。ただし、読みにくいです。
(2) 日本における教育との差異
Oxfordでは大きく2つの点で日本の教育システムとの違いを感じました。
個人的体験に基づく感想であり、一般論ではない点につきご留意ください。
対話重視
1つ目は対話を重視するという点です。
教授・学生間の質疑応答が典型例ですが、クラス内で学生が発言する機会が非常に多いです。教授が質問を投げかけて、学生が答える。または学生が質問をして、教授が答える。そういうシーンは日常的によくありました。Tutorialはこの最たるものです。
また、グループワークのように学生間のコミュニケーションが重視される機会も多くあります。理解度が異なる学生間で一つのゴールに向かって協調するためには、口頭でのやりとりを通じてお互いの理解度を合わせた上で作業に臨む必要があります。
口に出して自分の理解を発表することは、理解の不足を明らかにする作業だと感じました。頭の中でわかっているつもりであっても、それを論理立てて伝達する中で、ロジックの抜け落ちが明らかになることはとても多いです。その意味で、自らの理解不足・誤りを見つけるために対話が用いられているように感じました。
なお、対話だけから学習するのではなく、各人が必要な時間を割いて自習することは当然の前提となっています。
間違えることが重要
2つ目は間違えることに価値があると考えられていることです。1つ目とも関係しますが、学習の最大のゴールは正確な知識・理論の習得・活用にあります。その意味で、間違えることで早めに軌道修正をすることがゴールに到達するための近道になっています。
また、同級生の前で間違えることは、皆の代わりに間違えたことになるため、恥ずかしい行為とはみなされません。自分が勘違いしていたことを誰かが代わりに聞いてくれたので誤りに気づく、という経験はたくさんありました。間違えを積み上げることで確かな正解へと近づくことこそが重要と考えられています。
もっとも、これはOxfordというよりも、西洋の文化かもしれません。
2. 生活
Oxfordでの生活はどのようなものだったでしょうか。印象に残っている2つの点について言及します。
(1) 伝統を感じること
Oxfordなので当然かもしれませんが、日常に伝統が根付いています。
通学路は古くからの街並みに囲まれ、図書館も古い建物の中にあったりします。街中にある古そうな建物の大体は大学に関連した施設です。
私がよく利用した法学部棟とMBA科目を受講するSaid Business Schoolはいずれも新しめの建物でしたが、正直、機能的には新しい建物の方が良かったです。
様々な文脈での服装規程にも伝統が色濃く残っています。
試験を受ける際に黒いマントを着用して受けることはその最たる例です。フォーマルディナーに出席する際に同じ黒いマントの着用を求められることもありました(カレッジによります)。
このような伝統に根付いた服装規程があるため、古い写真であっても服装は昔と今とで似通っているということはよくありました。
なお、試験の際にカーネーションを胸につける文化は私が好きな伝統のうちの一つでした。
伝統といえば行事ごとは欠かせません。
最近だと、春の訪れを祝うために毎年5/1の朝6時からMogdalen Towerに集まって聖歌隊の讃美歌を聞くMay dayや、初夏のカレッジ対抗ボートレースであるSummer VIIIsは長く続くイベントです。入学式に相当するMatriculationもOxfordならではの慣習でしょう。
いずれも変わらぬ形で長く受け継がれてきたものであり、これらのイベントに参加できることは、自分自身が長い伝統の文脈に位置付けられたという喜びがありました。
このように、普通にOxfordで生きているだけで歴史の重みを感じるような出来事が頻発します。毎年毎年、学生の顔ぶれは変わりつつも同じことを繰り返し続けるOxfordの文化には目を見張るものがありました。
(2) ソーシャルライフの重要性
勉強も重要ですが、それと同等、あるいはそれ以上に重視されるのがソーシャルライフです。メインは同じコースの同級生ですが、他のコースの学生や教授陣、関連するテーマの業界人、広くはその家族まで、Oxfordで出会う人たちとの交流はOxfordのカルチャーとして非常に大切にされていました。
コースのイベントでも、軽いものだとピザパーティーから、しっかりしたものだとガーデンパーティーやカレッジでのフォーマルなディナーまで、同級生との交流を持てるようにする場が意図的に設定されていました。また、ゲストスピーカーを呼んでネットワークの機会が持たれることもありました。
コースが先導するイベントだけではなく、カレッジが主導するイベントもたくさんありました。所属する学生をかき混ぜて様々な学生と交流を持たせようとする試みが多かったです。例えば私のカレッジでは毎週火曜日にディナーイベントがありましたが、カレッジ生は参加無料であり、学生間の交流に一役買っていました。
あとは学生が自主的にイベントを企画したり、という感じですが、特筆すべきはカレッジのフォーマルディナーの文化です。所属するカレッジが開催するディナーにゲストを呼ぶことで、ディナーの時間、大体2時間くらい、みっちりとゲストと話をすることができます。自分が誘うと相手も誘ってくれるので、普通は同じ相手と2回ディナーを共にすることになります。
コースが同じでもなかなか授業前後に2時間話すことはないので、このディナーの機会は、相手のことを知るという意味でとても良い仕組みでした。実際、ディナーの前後で相手との距離がぐっと縮むのを何度も感じました。
ある意味、Oxfordの文化は内向的な人間には厳しいと思いますが、各学生が新しい出会いを歓迎する傾向にあるため、内向的な人でもそれなりにやっていけるような雰囲気はあると思いました。
3. 国際交流
これ自体は留学の目的ではないのですが、留学生がほとんどを占める大学であるため、国際交流は毎秒発生します。ただ、少し思っていた内容と違ったので、その点について書き留めておこうと思います。
私のクラスは26カ国から学生が参加しているため、少人数クラスの割にはダイバーシティが確保されていたといえます。これまであまり関わり合いがなかったヨーロッパ・アフリカ・中南米の人たちと9ヶ月を共にするので、様々な面でカルチャーショックを受けることになるだろうと思っていました。しかし、結論として、あまりそのような場面は多くなかったです。
もちろん、雑談を通じて各国の様子を知ることで日本との差異を感じることはよくありました。軽めの話だと、カメルーンでは犬は番犬としての役割が期待されているため、大型犬が多く、猫を飼っている人はあまりいないという話とか、日本ではハムスターが人気なペットと伝えると「それはネズミじゃないか」と爆笑された話とかはあります。重めの話だと、ウクライナの交通は鉄道がメインなので都市間移動にものすごい時間がかかる(飛行機で移動するとロシアから攻撃される可能性がある)といった話もあります。
ただ、これらの国ごとの差異は、会話を通してたまたま出てきたものです。
言い方を変えると、学生がしっかりしている/国際経験豊かなので、国際的なコミュニケーション基準から外れた行動が取られることはあまりありませんでした。その意味で、通常のコースワークをする中で、国ごとの違いを感じた経験はほとんどなく、同じレベル感・責任感のもとに共同作業を進めることができました。
相手をリスペクトし、受け入れるという基本的な姿勢が備わっていると非常に快適にコミュニケーションできるということを強く感じました。
逆にいえば、街中で遭遇する理不尽な扱いをしてくる人については、この基本的な前提が備わっていないのだろうと思います。
4. 英語
最後に英語の成長について書いておきたいと思います。
以前、留学先でのありのままの状況を以下の記事で書きましたが、そこからの変化について、簡単に触れておきます。
なお、私は非常に怠慢なので、上の記事を書いて以降、特に英語に特化した勉強は行っていません。
(1) 学業
(i) 授業(講義・ゼミ)
結局全てを完璧に理解する日が来ることはありませんでしたが、集中して講義を聞いていればその内容が分かるくらいには成長しました。
ただ、パワポを読みながら話を聞くと集中力が逸れてしまうといったことがまだよくあります。あと、発言者の声が小さいとそもそも聞き取れないという事態はよく発生しました。
(ii) 座学
前回からあまり変化はありませんが、強いていえば楽をするようになりました。
つまり、リーディング課題はDeepLに入れて和訳を読む機会が増えました。
英語をトレーニングする観点からは後退なのですが、正確に論文の内容を理解することを優先した次第です。あくまで勉強の内容を理解するために留学しにきたので、英語で粘って内容の理解が不十分に終わるのであれば本末転倒だと考えました。
(iii) グループ課題
ディスカッション内容も分かるようになりましたし、課題のプロダクトの作成にも積極的に参加できたと思います。参加者間に課題という共通のテーマがあるので、コミュニケーションは比較的容易な部類かもしれません。
(iv) 筆記テスト
これも前回と同様ですが、準備して臨めばなんとかなる範囲です。
細かい文法ミス・スペルミスは多発していると思いますが、コンセプトが伝わればOKという感覚です。
(2) 交友関係
(i) 1対1の場面
友達と1対1で話をするときは、特に問題なくコミュニケーションできています。
「上手く話さなければ」と勝手に自分にプレッシャーをかけてしまうと空回りしますが、「別にbrokenでも伝われば良いし、伝わらなければ言い直せば良い」というメンタルでいるときは却ってうまくいきます。
(ii) 1対複数の場面
「90%聞いて、10%話す」という塩梅はあまり変わっていません(話好きの人間が多いというのは要因としてあると思います。)。ただ、聞いて理解できる内容が多くなりました。一言一句漏れなく理解はできていませんが、会話のやり取りとその概要は掴める場面が格段に増えました。
(3) ネットワーキング
この点はあまり変化はなく、自分の守備範囲の話題に持っていくことでなんとか乗り切っています。もっとも、自分から輪に飛び込んで会話に混ぜてもらうという胆力がついたという意味では進歩があると思います。
(4) 街での会話
文脈を重視するという基本的な作戦は維持していますが、聞き取れる範囲が多くなった気がしています。これにはおそらく、長く時間を過ごすことでローカルルールが分かるようになってきた、という側面もあると思います。
5. まとめ
色々と書きましたが、あえてひとつだけ留学して良かったことを選ぶとするならば「同じ関心を持った才能に溢れる仲間とたくさん出会えたこと」だと思います。
Oxfordで生活する中で人間関係で悩んだことはなく(自分の英語力に起因するものは除きます。)、本当に素晴らしい人たちに囲まれたなと思います。彼らとOxfordで同じ時間を過ごしたことは一生の思い出です。
これが自分のキャリアにどう影響するのかはよく分かりませんし、「留学に行ったのに学業ではないのか」というツッコミはごもっともすぎるのですが、留学前の期待値からの差分という意味では人との出会いが最も大きかったので、これを選びました。
将来的に留学を考えているけれど迷っている…という方には、ぜひチャレンジしていただきたいです。円安・インフレという経済的な困難は無視できませんが、とても豊かな時間・経験を得ることができると思います。