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名曲珈琲・麦と透明人間

東大を横目にコンクリートジャングルを抜けて、東京メトロ本郷三丁目駅から体感徒歩10秒。

くたびれたビロード調の赤い階段を下りれば、暇を持て余した無口なマスターががらんどうの客席でこちらに背を向けてタバコを喫んでいる昭和の断片が在った。

未だに、純喫茶に入るときはそのどっしりとした重厚感に足がすくんでしまう。

どこに座ろうか。
店内の奥に目をやると、背中側は壁に向かっていて、正面にはその前のブロックの椅子の背中がぴたりとくっついているため、向かいには座ることができないという具合の妙な一角があった。

隙間に無理やりいれたような配置に違和感はあるが、背中を守りながら店内を観察できる、秘密基地のようなその席に吸い込まれるように腰を下ろした。

固い板座の上には、かつて何百人の客の腰を支えたかわからない、はじめはどんな鮮やかだったのか見る影もなく今はグレーにくすんだ座布団が敷かれている。衝撃の吸収なんてもってのほか、申し訳程度の厚さしかない。

ここ最近のコロナ禍で先の見えない恐怖や不安感、とてつもない孤独…地上での生活で私の心はすっかり疲弊していた。

「はいどうぞ」 
ずっしりとしたプリンとホットコーヒーがすぐに秘密基地に運ばれる。
なんてぶっきらぼうなんだろう。
そのくせ返事のこない厨房にむかって今年の紫陽花のピークは早いのね、なんて無駄話はしている。

マスターの妻と思しきグレイヘアの年増の女性の最低限の接客ぶりに初めはそう思った。

過剰なサービス、情報過多に慣れすぎた今は些細なことにひっかかる。
雨に降られ冷えた体をあたためるため、ホットコーヒーを急いで流し込んだ。

一息ついて店内を見渡す。

仏頂面で読み物をするマスターと返事もないのに彼に話しかける妻が向かい合って座っている。
こんな昔ながらの喫茶店なのだから、きっとこの雰囲気に溶け込めずにそわそわする私を見かねて「あなた社会人?平日だけどお休みかしら?」「プリンのお味はどう?」なんて話しかけられたりするのだろうか、そうしたらなんて返そう、などと妄想した。

ーーーなにも起こらない。本当に特別なことはなにも起こらなかった。

女将がたまにこちらを気にかける様子はあっても、私はあの場でほとんど私ではなく客であり、彼らは店員であるが個として美しい個の役割を果たしていた。

このところの私はまっすぐの100mを全力で走っていて、そうするのが当たり前のことでそうするしかないのだと思っていた。彼らはそんな時間軸やしがらみとは無縁に見える。まるでセピア色のコーヒー&シガレッツを見ているようだった。

張り詰めていた気持ちが緩まって名物プリンをほうばりながらつい、わんわんと泣きそうになった。

明らかに私だけ空間や客層からは浮いた異質な若者なのに、ここでは特別扱いはされない。ただ特別な意味もなく、この場所に置かれ、透明にコーヒーをすする客になっていた。

それが、今はありがたかった。


#純喫茶

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