私が2021年に読んだ本のあらすじ・感想まとめ記事
閲覧ありがとうございます!_sumomoと申します!
タイトル通り、私が2021年に読んだ本の記録をつけていきたいなと思っています。ミステリーが好きで(特にイヤミス)今までの読書履歴にはだいぶ偏りがあったんですが、今年は純文学や古典など、他ジャンルにも挑戦できればと思っています。ただ今年は特に後半忙しくなる予定なので、マイペースに楽しもうと思います。
随時追加していくので、気になった方は記事の保存等してチラチラ覗きにきてみてくださいね!直接的なネタバレは一切していませんが、少しでも察したくない方はお気をつけください。タイトル、あらすじ、作品からの引用、感想、の順番で載せていますので、引用で読むのをストップしていただければネタバレに関しては無事故だと思います。
グラスホッパー(伊坂幸太郎)
主人公の鈴木は、自分の妻を轢き殺した犯人である寺原に復讐を果たすため、寺原の父が経営する怪しい会社に潜入する。しかし、復讐の相手であった寺原は、鈴木の目の前で何者かに押され、車にはねられてしまう。鈴木はその「押し屋」を追い、より深い事件に巻き込まれていく。
「死んでいるみたいに生きていたくない」というレトリックを最初に使ったのは、ジャック・クリスピンだよ。
鈴木の他に、殺し屋の蝉と自殺幇助専門の鯨の3人の目線で物語が描かれるのですが、蝉の上司である岩西が事あるごとに口にするのが、彼が敬愛するミュージシャンのジャック・クリスピンの発言。岩西が引用する彼の言葉の中で一番物語の根幹と繋がっているのはこの一文だと思う。「押し屋」を追い、数多の無謀な賭けに出続ける鈴木。何を考えるだけでもなく淡々と人を殺していく蝉と、間接的に人を死に追い込む鯨、それぞれの最後に際してこの「生きる」ことに関する引用が活きてくるのが、「殺し屋小説」に似合った素敵な皮肉だなと感心しました。
ただ正直、タイトルの「グラスホッパー」というメタファーと、最後のエピローグは、明瞭にその形を捉えることができませんでした。私の読み取り力不足だとは思うんですが......立派なシャンデリアがぶら下がっている描写がその後の死の隠喩になっているだとか、伏線の回収だとか、他の箇所はとても勉強になりました。かっこいいなぁ。あんな描写ができる人になりたい。
破局(遠野遥)
第163回芥川賞受賞作。自身の出身である高校ラグビー部のコーチを務める大学4年生の陽介。コーチ業に日々のトレーニング、公務員試験に恋と性。実直に見える彼の生活が破滅していく様子を描く。
車が止まり、左を見ると服を着た白いチワワが歩いていた。私が知らないだけで、チワワはみんな白いのかもしれない。
淡々としたルーティーンワークに、他者をどこか異質なものとしてみる目線。そういったものから陽介のキャラクターにあまり好感を抱けなかったのですが、この描写がやけに残りました。私が黒いチワワを知っているからじゃなく、つかみどころのない陽介に、いい意味で幼い思考回路を垣間見たからです。「あの犬の名前は何?」「チワワってみんな白いの?」と矢継ぎ早に尋ねる子供のような。そんな事に考えが及ぶのね。っていう。
それにもかかわらず、彼が自分の内にむける目の視力はあまりよくなかった。自分が今悲しいのかどうか、そのための思慮が必要なくらい。その視力の悪さと、鈍った感覚、ぼんやりでも自分の意見を受け入れられる器量が不足していたこと(それが怠惰の結果なのか不可抗力なのか、私は前者だと思うが)が最後の破滅を導いたんだと思う。最後のシーンに似合うのは、個人的には「破局」より「崩壊」な気がする。正直なぜこれが芥川賞を受賞したのか、特に作品のディティールは理解ができなかったのですが、陽介が最後「崩壊」を迎えたのは、必然の流れだったと感じます。選評と合わせて読んだけど、やはり芥川賞受賞作は難解でした。
太陽の塔(森見登美彦)
京都大学農学部5回生(休学中)の「私」は、「水尾さん研究」と称した元カノの日常生活観察に日々を捧げていた。言うなればストーキング行為だが。クリスマスに渡って京都で繰り広げられる、男たちの強烈で濃い青春譚。
良薬とはつねに苦いものである。ただし、苦いからと言って良薬であるという保証はどこにもない。毒薬もまた苦いのだ。
俳優の赤楚衛二さんがお勧めされていたので読んでみました。森見登美彦さん作品初めましてだったんですが、「夜は短し歩けよ乙女」の作者さんなんですね!アニメ映画の主題歌・アジカンの「荒野を歩け」、すごく好きで一時期狂ったように聞いてたな。それがきっかけでめでたくアジカンは私の主要プレイリスト入り。ようこそ私の人生へ。
閑話休題。引用した部分は物語冒頭のさほど重要でもないシーンで出てきたのですが、「私」の癖の巧みな隠喩のように感じて選びました。命題の対偶を使った物事へのアプローチ、そしてこの言い回し。理系脳で理屈っぽい「私」が集約されている。「水尾さん研究」をはじめとする自論と自分の言動への清々しいほどの自信はそれ毎に彼の中での言語化のプロセスを経た納得という産物に裏付けされているんじゃないかという感覚に陥るので、作品中の「私」はなぜか憎めない。真っ直ぐだから。周りから見たら捻くれているけれど。そんな彼が論理的に説明できないものが存在するのなら、それは水尾さんという未知との遭遇と、太陽の塔という畏怖すら感じる無機物だったんじゃないかなと思う。この一冊の本は、「私」のその2つに対する納得のプロセスを見せられていた気がする。
あまり読んだことがないテイストで面白かったので、どうせならクリスマス前に読めばよかったなと後悔。ちょうど「私」がうろうろしているようなところ、河原町や銀閣寺道とかの有名どころくらいだけど、私もクリスマスにうろうろしてたのになぁ。
読み始めてすぐは銀杏BOYZの楽曲が似合う感じの男なのかと思ったけど、多分逆ですね。あんな音楽を聴いている奴と私は違うのだと言い放ちそう。私は結構好きなんですけど、「月面のブランコは揺れる」って歌詞。なんの話だ。
流浪の月(凪良ゆう)
本屋大賞2020大賞受賞作品。
自由奔放な母とおおらかな父とともに平和に暮らす小学生の家内更紗は、ある事がきっかけで伯母の家に引き取られる。今までの生活とは違った「常識」を押し付けられる環境に疲弊していた頃に出会った大学生・佐伯文の家に逃げる。地域で「ロリコン」と噂される彼との生活は、更紗にとって伯母家族とのそれよりもはるかに心地が良いものだったが、お互いに「家内更紗ちゃん誘拐事件」の「犯人」「被害女児」というレッテルを貼られる形で終了してしまう。大人になった2人が再会することで物語が疾走していく。
わたしは、あなたたちから自由になりたい。中途半端な理解と優しさで、わたしをがんじがらめにする、あなたたちから自由になりたいのだ。
この箇所に全て集約されている作品。「幼女誘拐事件の被害者」に対して可哀想だと感じたりそう声をかけたり、「犯人」を庇うそぶりをストックホルム症候群だと分類したり、それらが一般的な反応です。もちろん実際にPTSDに苦しむ方も多いと思いますが、「幼女誘拐事件の被害者」が一律にそうであるわけじゃない。文は彼女に一切手を出さなかった(出せなかった)し、更紗は彼との生活に一切危険を感じなかった。彼女を苦しめたのは文との生活ではなく、彼女を「幼女誘拐事件の被害者」として扱う世間からの「中途半端な理解と優しさ」だった。決して冷たい社会じゃない。それでもそのピントのずれた善意に苦しむ人がいる。真実を知らない人はどうか放っておいて。とても認められないかもしれないけれど、私は幸せだから。そのセンシティブで叫ぶような願いが緻密なタッチで描かれた素晴らしい作品でした。
テーマ選びとそれに対するストーリーラインのアプローチもさることながら、心象描写が非常に秀逸だった。元々BL作品を多く執筆されている凪良さん。自分たちに優しくない世間と自分たちの幸福な生活の乖離を生きている当事者たちにしかわからない心の内を表現する文章力は、その経験の産物なのかななんて想像しました。
納得の本屋大賞です。いろんな人におすすめしたい!
52ヘルツのクジラたち(町田そのこ)
祖母の遺した古家に引っ越してきた貴湖は、虐待を受けた口の利けない少年・愛に出会う。彼女が少年を保護した背景には、自身の被ネグレクト体験と、そこから救い出してくれた1人の恩人の存在があった。
この声が誰かに届いていると信じるだけで、心が少し救われた。
クジラたちは通常、10~39ヘルツの鳴き声を使って仲間内でコミュニケーションをとりますが、52ヘルツというはるかに高い周波数で鳴くクジラがいるそうです。その個体は未だ未確認らしく、その鳴き声だけが記録されているとか。周波数が他のクジラと全く合わないことから、「世界で一番孤独なクジラ」と言われているそうです。
52ヘルツのクジラというのが誰を隠喩しているのか、その最後の存在が明らかになったところで思わず泣いてしまいました。どれだけ誰かの側で発しても届くことのない声。きっとどこかでこの声を受け取ってくれる人がいると信じて鳴き続けることでしか得られない希望。その希望を手に入れることがどれだけ幸運で恵まれていることなのか、読みながらとても苦しかったです。しかし、作品中に漂う空気はいつもどこか暖かく(舞台が田舎町というのも大きいかもしれない)、最後に貴湖が下した決断にも救われました。52ヘルツのクジラで検索するとどうもその個体数は1らしいのですが、本作品はクジラ「たち」の物語。心が温まって泣ける、すごく満足感の高い一冊でした。
本屋大賞ノミネートおめでとうございます!
電話をしてるふり(バイク川崎バイク)
伝説の大阪吉本NSC26期のお笑い芸人、バイク川崎バイク(BKB)さんのショートショート集。(26期はNSC史の中でも売れっ子芸人が多い代であり、また、同期の仲の良さにも定評があります。同期ライブとか最高ですよ、というお笑いファンの戯言でした)
電話をする”ふり”をする。
ショートショートなので引用を選ぶのが難しかったのですが、タイトルにもなっている作品からひとつ。夜道の防犯対策に(もっぱらナンパ防止)、父親と電話をするふりをする女性が主人公です。ハートフルで、短いながらも感動させる良い作品でした。
BKBさん本人も、ハッピーエンドが好きと公言されているように、明るくポップに読める作品が多かったです。そしてなんといっても題材のバラエティがすごい。芸人仲間の方から頂いたお題もあるみたいですね。その辺の裏話が最後の全話レビューのページで読めるのもポイントが高いです。面白い。ネタバレになるのであまり言えませんが、落し方もユニークなものが多く、さすが芸人さんだなと。会話分が多かったり、地の文が主人公目線の口語だったりするのも、読みやすい一因だと思います。
表題作以外に、第一話の「花言葉」と「能力」が特に好きでした。あと書き下ろしの「思い出を食べるチャペルと思い出がないミナトの物語」。
赤い指(東野圭吾)
加賀恭一郎シリーズ第7弾。
妻と息子、認知症の母と同居生活を送る前原昭夫。父親としての威厳もなく、夫としての体裁も崩れかけている彼の家で、幼女殺害事件が起きる。犯人は息子・直巳。昭夫と妻はそれを隠蔽するために遺体を公園に放棄してしまう。公園や遺体に残された痕跡から、刑事・加賀恭一郎は前原家を怪しいと睨み、捜査を進める。
『おかあさんの宝物はこれだそうです。』
直巳の犯罪の動機や経緯等はそこまで詳しく述べられておらず、また、ミステリーが好きな人であれば、物語が回収される過程は題名や文中のヒントから比較的容易に予想がつくかと。この作品は事件を通してそれらの親子関係を描いたヒューマンストーリーだと解釈しました。直巳が両親をどう思っているのか、昭夫と妻が直巳をどう扱ってきたのか、昭夫が母をどう思っているのか、昭夫の母が自らの息子をどう扱ってきたのか。その対比が提起する「親はどうあるべきか。親子関係はどうあるべきか」という問題にスポットライトが当てられています。いわば、自らの子どもが犯した罪にどう向き合うのかを問う物語。昭夫の母の気持ちを考えながら読んでいると胸が苦しくなりましたが、とても面白かったです。また、加賀恭一郎と彼の父親との確執についてもその真相が明らかにされているので、そこにも注目です。