" また、いつか "を夢に見て

まふまふという本の11ページ目に刻まれた" 東京ドームライブ "の8文字



" 終わってしまった。"


そう思う自分の心に喪失感や虚無感はない。
あるのは確かな満足感と幸福感だった。


ご視聴ありがとうございました、と映された画面を見ながら涙が止まらなかった私は今、1つの夢を見終えた。
10年という時間をかけてこの夢を追い続けた1人と、何万といる彼を応援する人たちとの1つの夢を見終えた。この夢は醒めることはない。


今私は"ひきこもりでもLIVEがしたい!~すーぱーまふまふわーるど2021@東京ドーム~オンライン"を見終えたのである。


前日からTwitter上では開幕曲の予想がされるなど、今まで以上の盛り上がりを見せていた。私は、この曲予想のツイートを見るまで東京ドームライブが開催される、という実感がしっかりと湧いていなかった。ライブの入金もしていなければ座席の確認もなく、電車の時間確認もしていない。通常とは違うライブ前の過ごし方であったからだ。しかし、ツイートで盛り上がっているリスナーの方々を見て、いよいよ東京ドームライブが始まるのだという実感が急に湧いてきた。それから動悸と手の震えが止まらなかった。


18時からテレビの前で待機をして、いよいよ待ちに待ったライブ開始の18時30分。特にこの待っていた30分間は生きた心地がしていなかった。動きに動きまくるTwitterを見ながら、ほとんどのリスナーさんが私と同じ気持ちだということが唯一の救いだった。


まふまふの世界観が強く反映されたオープニングムービーが始まる。
カウントダウンが0になって映像に切り替わったとき、青白い光がゆらゆら動き出した。赤い雲が立ち込め雷が鳴る。
さんざん予想されていた開幕曲は" ベルセルク "だった。
そこから" 最終宣告 "" 罰ゲーム "と続き、罰ゲームの中でまふまふが「このドームは、この舞台は今日、俺たちだけのものだ!」と高らかに叫ぶ。この一言に私は当初のライブが中止になってから今日までの、やっと叶ったぞ、という気持ちを強く感じた。


MCを挿んで" アルターエゴ "などの携帯ゲームとコラボしたり、提供した曲が披露された。


バンド紹介が終わり" 女の子になりたい "を経た後のMC。ステージに移動しながらまふまふは「次はみんな目の前で集まってこの景色を作りたいよね。改めてそう思った。」と言った。私たちが会場に行けなかったことを悔やむように、まふまふもまた、観客がいないことを物足りないと感じているのだろうと改めて感じた。


その後、軽い雑談の後に紹介された曲は" 忍びのすゝめ "
ライブの開幕曲に予想していた人が多かっただけあって、ここに来るのは予想外であった。また、満を持して登場した、まふまふの真骨頂でもある和ロックなこの1曲で、雰囲気ががらりと変わった。


新旧の曲が披露され続け、インストとまふまふ史上初、自分自身が顔を出したMVで投稿された" ひともどき "を終えたその次に披露された曲は" 生まれた意味などなかった。 "全身を使って時折声を震わせながら、命を削るように叫び歌う姿を見て、涙を流さずにいられなかった。
この涙は私がさっきまで流してきたものとは違う涙だった。感動の涙ではなく、歌詞が深く胸の奥に突き刺さったが故の涙だった。
涙が拭いきれないまま次に流れたイントロは、カンザキイオリの代表曲" 命に嫌われている。 "
まふまふの歌ってみたで最高の再生回数・9846万再生(2021.5.6現在)を誇る楽曲である。
私には予想していない展開だった。
初のドームライブだったメットライフドームでも、歌ってみた楽曲は披露されなかったからだ。
東京ドームという最高の舞台でのライブ。
まふまふにとってとても大切な1曲であり、まふまふ自身が歌ってみたから始まったからこそ、この最高の会場で歌おうと思ったのではないだろうか。この曲もまた声を擦り切れさせながら歌う姿に一度止まった涙がまた溢れて止まらなくなった。


その次に定番の開幕曲であった" 輪廻転生 "を披露。お馴染みとなったこの曲は圧巻のパフォーマンスだった。
そして炎とともに始まった楽曲は" 拝啓ドッペルゲンガー "
本日2回目の歌ってみたである。疾走感が部屋を駆け巡ってボルテージを一気に上げていく。


興奮冷めやらぬまま4度目のMCへ。
「夢だった東京ドームに立つことができたのは、立たせていただいているのは他でもない皆さんのおかげです。」そう言って礼をするまふまふに、涙が止まらなかった。まふまふはそういえば、こういう人だった。いつだって人に感謝することを忘れない人だった。
応援してきた今日までの8年が、走馬灯のように思い出された。母親に借りた携帯で見たYouTubeに、偶然出てきたとある曲の、当時流行っていた歌ってみた合唱にまふまふを見つけ、友達がなかなかできなかった私にまふまふの曲が勇気を与えてくれた。まふまふという話題で友達ができた。初めて買ったアルバム・明日色ワールドエンド。初めて妹と行った、大雨だったメットライフドームのライブ。これら全てが昨日のことのように鮮やかに脳内を駆け巡った。
「僕を変えてくれてありがとう。」
その言葉が私の気持ちとリンクした。


「次の1曲は日本とはまた別のところに住んでいる人たち、その人たちを考えて作った曲。」
「その次の次の曲は、東京ドームで歌おうね、会おうね、って約束していた、1年前に約束していたみんな。それを楽しみにしていたみんなに向けて作った曲。」
「最後はきっと、僕の1番大切な曲。」
「最後までお付き合いください。」


残り3曲の紹介が終わり、1曲目の前振りの後に告げられた曲名は" 曼殊沙華 "
桃源郷へようこそ、という歌詞の通り本当に桃源郷のようだと思うほど、幸せで濃密な時間だった。運命は変えられないけれど素敵な未来は自分で作れるのだと感じた瞬間でもあった。
次に披露された曲は" 夜空のクレヨン "
リスナーから集めた願い事をMVに使ったこの曲は、たくさんの思いを乗せた曲だ。曲の終盤、まふまふが" 星空 "という歌詞を歌った後、会場のペンライトが白と青になり、星空のようになる演出が施された。
私はこれと似た景色を過去に1度見たことがある。
それは先程から少しだけ話題にしている" ひきこもりでもLIVEがしたい!~すーぱーまふまふわーるど2019@メットライフドーム~ "である。
このライブの中盤、そらるとまふまふのユニットである" After the Rain "から1曲持ってきました、と披露された曲が" 彗星列車のベルが鳴る "
それまで、まふまふのイメージカラーであった白色で埋め尽くされていた会場が、After the Rainの楽曲ということで、そらるのイメージカラーである青色も付け始めた。それによって青と白が入り混ざった、まるで星空のような空間になったのだ。図らずともそうなった景色にライブの良さを強く感じ、とても心に残っている。それを私は一生忘れないだろう。
夜空のクレヨンでこの景色を見た瞬間に、あのライブの一幕が思い出された。
まふまふが夜空のクレヨンで見せた笑顔も心にとても残っている。まるで、やっとこの曲をここで歌えたと言わんばかりの笑顔に胸が熱くなった。


夜空のクレヨンが終わり、耳に馴染みのないイントロが流れ始め、会場の雰囲気が変わる。今まで盛り上がっていた夏祭りが終わり、帰り道の静けさのような、そんな雰囲気。
「お別れの時間です。今日僕を見つけてくれてありがとう。」
この言葉を皮切りにずっと待っていたこの曲が流れ始めた。
" 夢のまた夢 "である。
「さよなら」
この一言にもう終わってしまうんだと、涙が止まらなくなってしまった。
まふまふという名を世に知らしめるきっかけとなったこの曲は、最後を飾るにとても相応しかった。" 夢のまた夢 "を夢のまた夢だった東京ドームで歌うことに意味があるのだと強く思った。
その一方で私は先程の" さよなら "に引っかかっていた。
私はどうも" さよなら "という言葉を好きになれない。もう2度と会えないような気がしてしまうからだ。だから" さよなら "と言われた私は不安な気持ちに駆られていた。この時点で重大発表を控えていたので頭の中を一瞬" 引退 "の2文字が駆け巡った。
だがしかし、その考えは楽曲中盤で打ち砕かれる。密かに毎回楽しみにしている" バイバイ "の言葉を、いつもはまふまふが別れを惜しむように言うのに対して今回は、別れを知らない子供がさも当たり前のように、明日も会えると思って言うようにあっけらかんと" バイバイ "と言ったからだ。
それと同時にこのセリフをいつもと違うニュアンスで聞くことになるとは思わず、少し驚いたのも記憶に新しい。


まふまふをどこから好きになっても誰一人として置いていくことのないセットリストだった。
" ベルセルク "や" さえずり "など投稿された5年ほど前、それ以上前から好きな人。
" アルターエゴ "や" 悔やむと書いてミライ "など携帯ゲームをきっかけに好きになった人。
" 女の子になりたい "や" ひともどき "など最近の曲で好きになった人。
" 最終宣告 "や" ユウレイ "などテレビで聞いて好きになった人。
" 命に嫌われている。 "や" 拝啓ドッペルゲンガー "など歌ってみたで好きになった人。
最高の舞台でみんなを楽しませられるように組まれたセットリストに、頭が上がらない。


曲も終わり、まふまふがやりきったという顔で「ありがとう」と口にする。
最後に言った「また、いつか」の後に続く言葉は何だろうか。" 東京ドームでライブをやろう "かもしれないし" 会おうね "かもしれない。でも何が後に続くとしてもそれがまた、まふまふとリスナー私たちの追いかけていく夢となるに違いない。


私たちは長く、夢を見続けてきた。
まふまふの東京ドームライブという夢を。
夢のまた夢だったそれは、今日現実になった。
10年待ち続けてやっと、やっとだ。
この出来事は、ライブが中止になって悲しみに暮れている2020年3月の私に言っても驚かれるだろうし、好きになった当初2013年2月の私に言っても驚かれるだろう。でも、いつの日の私に" まふまふは東京ドームでライブをした "と言っても否定することはないと思う。それぐらい、いつの日だって東京ドームライブを夢に見てきた。
" 東京ドームライブ "という大きくて醒めない夢を見終えた私たちは、次に何の夢を見るだろうか。
まふまふという本があったとして、11ページ目に" 東京ドームライブ "と刻まれた今、次に何の夢を見るだろうか。


私は、



" また、いつか "



みんなとまた同じ夢を見たい




〖注〗
楽曲名はオンラインライブ上で示されていたものを引用させていただきました。

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