VOCALOID の 存 在
VOCALOIDという存在に出会えたことを、私は一生、存在が不確かな神様に感謝をする。
いつも、自分が何をやるにも意味はあるのだろうかと考えていた小学生時代。
常に私という存在を支えてくれたのはボカロの存在だった。
明るいテーマで飽和しているJ-POPは、昔から好かなかった。
私は明るい気分じゃないのに、明るい曲しか聴くことが出来ない。そんな状況にうんざりしていた。
その中で出会ったのがVOCALOIDだ。
到底、J-POPでは歌えないような世界が、音楽が、そこにはあった。
世間から決して良いイメージは持たれない歌詞だけど、絶対に誰かの共感を呼ぶ。
そんな歌で溢れ返っていた。
私もそんなボカロ曲に共感した1人だ。
その中でも特に私は悲しい気分のときによく、ボカロを聴いていた。
心がスっと軽くなる。それだけで、明日を生きようと思う活力になった。
でも、聴くだけで心の傷が癒えないときが出てきた。思春期も相まってだろうか、それとも考えが大人になったからだろうか。色々なことを考えては悲しみ苦しみ、泣いていた。
そんな私に寄り添ってくれた曲が『ODDS&ENDS』と『贖罪』だ。
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ODDS&ENDSは初音ミクとクリエイターの話だが(だと思う)、初音ミクの言う言葉に私は毎回泣かされる。
みんなの気持ちを代弁するVOCALOID。その、VOCALOID達の気持ちを今度は初音ミクが代弁しているようでいつも泣いてしまうのです。いつもは苛められている嫌われ者の君だけど、君の言葉で私を歌わせて、その言葉が胸に沁みるのだ。
VOCALOIDが受け入れられていない時期に作られた歌だからこその言葉の重み。
今でこそ、たくさんの人の言葉を紡いでいる初音ミクの気持ちが表れているようなこの曲に、私は救われている。
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贖罪は、去年の話。
私の母の勤務先の方針が変わったらしく、上層部の理不尽な態度に疲労した母は、一昨年までとは打って変わって、職場の愚痴を沢山零すようになった。
ある日。母はその日帰宅が遅く、1人で夕食をとっていた。その時に泣きながら、夕食を食べていた。
それを見た私は、何も出来ない自分がとても無力に感じて、漠然とした虚無感に襲われた。何も出来ない、母親も救えない、何ができるんだ、私に何ができるんだ。そう自分を責めた。そのときに、ふと思い出した曲が『贖罪』である。
贖罪とは、犠牲や代償を捧げて罪をあがなうこと。
『贖罪』という曲は、今までの自分の気持ちを罪と捉えているのだと思う。
この曲に出てくる歌詞が、今の私とそっくりで、聴く度に無性に誰かに謝りたい気持ちが出てきた。でも謝る相手もいないから、どうもできない。でも、この曲を聴いているだけで今までの自分の態度が贖えている気がした。
そしてこの曲の最後には
という歌詞がある。
その歌詞を聴いて、私も前を向こうと毎回毎回思うのだ。
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VOCALOIDとの出会いは私の人生の中で最大の運命的な出会いに相当すると思う。
(まだ15年しか生きたことがないので今のところはそう思う。)
喜怒哀楽に寄り添ってくれるVOCALOIDが私はたまらなく好きだ。
近年は今まで活躍されてきた、椎名もたさんやwowakaさんが亡くなられ、深い悲しみに包まれることもあったが、曲は、音楽は、忘れられない限り物語と同じく、永遠に不滅だと思う。
だから私は、世間にいつかVOCALOIDという存在が忘れられる日が来ようと、私は忘れないでいたい。
だって、私をずっと支えてくれたのはVOCALOIDだから。