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2025.2.16 あたたかく

気づけばもう2月で 年が明けたのもついこの前な気がするのに、どんどん時の流れがはやくなってきました。最近はあたたかくしなやかに、時折枕を濡らす夜もありながらも 毎日をすすめていて、ぐっすり眠れそうな夜に限って勿体なくて、短篇集の一編だけ読んだり微かな音量で音楽を聴いたりして、いろんなものを解消することをその夜は諦めて全部抱えながら眠りについています。仕草とか匂いとか笑い方とか目線ぜんぶ大切で、すこし似たかもしれなくて嫌になるけれど、それでもやっぱり大切なままです。ようやく、自分の弱い部分まで愛せるようになって、息がしやすくなりました。感情を殺して涙を堪えてきたからこそ、私だけの鋭感があって、寒い日にひとりで歩くとき世界にただ独りぼっちなような気がしてしまうのは 病のせいだと片付けることが出来るのも知りながらも、それが私の本質だとも思うのです。馴染むのは得意で大概のことは切り抜けてきて、なのにどこか浮いているような気がして、摩耗してしまうのはもうやめにしたい、形づくるのは光かそれとも影か、そこに本質があらわれてくるような気がします。自分の本質というものに拘る理由は、もし知り得たとき、私しか知り得ないことだから、知りたいと思うのです。出来るか解らないけど、意味をここに見出して、探す為にまた生き延びたいとそんなふうに思います。報われない気持ちに身を削ったことも当たり前であっただろうことも、ゆっくり整理して、私にしか守れないものを守ってゆく日々は、案外悪くないかもしれないと思う様になりました。逃げ出さないように囲うんじゃなくて、守るのならば、もうこわくないと思いました。明日がくることが怖くて泣いていた去年の夏を思えば、随分と歩いてきたなと、褒め労いたくなってしまう気がします。まだ、するどくてはやいうちに、色んな脈打つものに触れに行きたいなと、新宿御苑の木に手のひらを乗せながら思っていたのは、丁度昨日のことです。あそこはいつ行っても、孤独なままあたたかくしてくれる場所でどこか懐かしい感じがします。そのままでいいと思えるようになるまでにはまだまだ時間が必要だけれど、きっといつかくるその日まではまだつづけよう


モミジバスズカケノキ、要はプラタナス

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