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人気キャラはどのようにして殺されるべきなのか/『ドクター・フー:ザ・ギグル』@アドベントカレンダー11日目

2023年12月10日、推しができた。一般的に言うところのシリーズモノ作品への”再熱”に近いのだろうけど、どうもその表現では満足できなかった。

https://www.bbc.co.uk/mediacentre/articles/2023/doctor-who-60th-anniversary-specials-everything-you-need-to-know

『ドクター・フー:ザ・ギグル』は、イギリスのSFドラマ『ドクター・フー』の60周年を彩るスペシャル・エピソードの1つであり、フィナーレを飾る作品だ。

「2023年12月頭から2024年11月末までの作品」というレギュレーションが設定されている今回のアドベントカレンダー、本エピソードの公開は2023年12月10日。間違いなく、今回の選評は狂わされている。

それくらいこの『ザ・ギグル』というエピソードは
愛すべき存在で、愛されるべき作品なのである。


なんとなく世界観がわかるかもしれない感じで作ったけれど、行き場をなくしてしまったインタラクティブ版記事はこちら(音が出ます)

アドベントカレンダーについて

12月11日。本記事は黒井深氏主催のアドベンドカレンダー「ここ一年で心に残ったベストエンタメコンテンツを全力でオススメする Advent Calendar 2024」の11日目に参加するための記事となっています。
10日目はRickyさんの「ONE PIECE エッグヘッド編のOPが良いので、勝手に称賛したい。」でした。

今回は『ドクター・フー:ザ・ギグル』の話をします。誰も知らないTVシリーズの誰も見てないTVスペシャルの話をするのでわかんないかもしれません。原作の解説もするけれど、読み飛ばしてもいいと思います。適当に読んでください。

『ドクター・フー』ってそもそも何?

さて、ひとくちに『ドクター・フー』について書くといっても、そもそも大抵の日本人の脳内にはクエスチョンマークが浮かぶことと思う。当然だろう、テレビで放送していたのなんて20年近く前の話になる。

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009041043_00000

他人へ本作を端的に伝える際によく使うのが、日本人にとっての『アンパンマン』という表現。
イギリス人は絶対知っていて、プラスでたまに英語圏の人間がたまに知っているというくらいで、今までアジア人でこの作品を推す人間に出会った回数はと言えば片手で数えられるほどしかなかった。

そんな『ドクター・フー』は1963年から英BBCで放送されているSFテレビドラマシリーズである。初回放送から数えると実に60年も続いており、現在では世界最長のSFドラマシリーズの地位を獲得している。

本作は主人公のドクターと呼ばれる異星人が地球人(コンパニオン)と共に時空を旅する冒険譚となっており、道中で遭遇する外敵からの侵略やタイムパラドックスを含む様々な事象に対処するため翻弄することとなる。大まかなプロットはシリーズを通して一貫しており、登場するドクターは全て同一人物だ。

この「同一人物」という点は少しややこしいのだが、ドクターは死にかけると顔や身体の作り、声、そして性格までもが別人へと変化していく。これを作中では再生(Regeneration)と表現していて、大抵の場合1シリーズが終わる頃に訪れる。

この"再生"という概念は本記事の重要な要素にもなるので軽く覚えておいてほしい。

https://www.bbc.co.uk/newsround/25004050

今回取り上げる『ドクター・フー:ザ・ギグル』は、デイヴィッド・テナント演じる14代目ドクターを描く全3エピソードの1つ。
13代目ドクターからの再生の過程で、なぜか10代目ドクター(演:デイヴィッド・テナント)と全く同じ顔になってしまった後の冒険を描いている。

10代目ドクターは、2005年にスタートした新シリーズ【※1】の人気を爆発させた立役者であり、イギリス国外で最も知名度の高いドクターと言っても過言ではない存在。それ故にファンからの人気も高く、まさに60周年の節目に相応しい状態でスクリーンデビューを飾ったことになる。駆け足気味ではあったが、必要な前知識はこの程度でいいだろう。

※1 新シリーズ
『ドクター・フー』は1963年から1989年までの作品群を"旧シリーズ"、2005年から現在まで続く作品群を"新シリーズ"と読んで区別している。
旧シリーズはシーズン制、新シリーズはシリーズ制を取っているのでややこしいのだが、旧シリーズは日本で見る手段が存在しないので気にしなくて良い。

『ドクター・フー』はSFであって、SFではない

『ドクター・フー』という作品には、サイエンス・フィクションの枠組みでは説明しきれないエピソードが少なからず存在する。時たま存在するこの手のエピソードが『ドクター・フー』を『ドクター・フー』たらしめる一因にもなっているのだ。

今回の『ザ・ギグル』もまさに、SFの枠を超えたエピソードの一つ。メインヴィラン・トイメーカーが1925年に仕掛けた「笑い声(ギグル)」の信号を発端として世界中が狂乱。全人類が自分自身の考えが正しいと思い込んでしまうというもの。

『ドクター・フー:ザ・ギグル』

正直なところ、前週に配信された『ドクター・フー:ワイルド・ブルー・ヨンダー』のほうが圧倒的にSFらしいし、人に知ってもらいたいだけなら間違いなく『ワイルド・ブルー・ヨンダー』をチョイスしていたはずだ。

それに比べて『ザ・ギグル』はあまりSF的ではないし、本エピソードのメインヴィランであるトイメーカーはエイリアンでも人間でもなく、神だ。
はたして神をSFに登場させて良いものか疑問は残るが、少なくとも筆者はベストエピソードとして『ザ・ギグル』を選んでいるし、BBCもファイナルエピソードに彼を登場させることを選んだ。このことを考えると、本作が「SFという枠組みを超えられる存在”だから可能であるという認識でも良いのかもしれない。

なお、このエピソードで描かれる狂わされた世界はコロナ禍で麻痺した世界と酷似している。自分自身が正しいという思想を持った人類は、反ワクチンや陰謀論に傾倒した人々への直球すぎる揶揄だ。発端となった「笑い声」に至っては、全てスマホやPC、テレビを始めとしたスクリーンを介して脳に直接届いている。

要は「今の人類、善悪しか考えていないよね」というキャンセルカルチャーに対する皮肉なのだけれど、昨今はこのくらいの分かりやすさがちょうどいいのかな。悲しい時代になってしまった。

『ドクター・フー:ザ・ギグル』

なお、ドクターはタイムロードと呼ばれる高貴な種族であるからか、人間を気に入りつつも見下している。したがって、この事件自体もトイメーカーだけの責任ではなく、人間の短所が利用されているとの見解を示していた。

これは序盤でドクター自身が直接的に人類へ説教をする場面だった。ただ、面白いことにこのエピソードのドクターは、物語後半になるまで常に勝負に囚われていた。人間と同じ様に「善悪/白黒」をつけることに対して躍起になっていたし、結局は勝負で決着をつけてしまったのである。

時空を旅して、どんな困難をも解決してきたタイムロードですら超えられない「トイメーカー」という存在。"タイムロード"と"神"の戦いを通して描かれるのが"人間の本質"という点は非常に味わい深くも、なにか物悲しい語り口だった。

ニール・パトリック・ハリス演じるトイメーカーというキャラクター

トイメーカーというキャラクター自体は、別に今回が初出というわけではない。初登場は1966年に放送された『The Celestial Toymaker』で、連続した4つのエピソードを通じて初代ドクターと相まみえている。

60年前のキャラクターを復活させようという気概もスゴいのだが、そもそもこの一連のエピソード、1話目から3話目はマスターテープが現存していない。見ようと思っても見ることが出来ないエピソードのキャラクターを出すなといいたいところだが、ニール・パトリック・ハリス演じるトイメーカーには目を見張る物がある。

『レモニー・スニケットの世にも不幸な出来事』で彼が演じた、オラフ伯爵を彷彿とさせる不気味で愉快で特徴的な演技もさることながら、何よりもハリス本人がこの役を楽しんでいることが容易に見て取れるのも好印象だった。

とくに中盤のダンスシーンには注目したい。アメリカ人であるハリスが英アイドルグループであるスパイス・ガールズの楽曲「Spice Up Your Life」をバックにどこからともなく現れるのだ。

銃弾はバラの花に変わり、兵士は風船に。ドアや柱の概念を無視しカットごとに出現場所がコロコロと変わる。劇伴であるはずの音楽をドクターたちが知覚し、トイメーカー本人も歌う。このとてつもないスピード感に多くの視聴者が度肝を抜かれ、ハリス演じるトイメーカーというキャラクターの虜になったのは間違いないだろう。

別れと出会い

当のドクターはというと、直前の数エピソードで完全に憔悴しきっていた。タイムロードの時間的概念からすれば、特定のコンパニオンと共に過ごす時間など大したものではない。くわえて、大抵の場合は再生によって見た目や性格が変わってしまうので、滅多なことでは過去を振り返ることがないのだ。

ただし今回は例外中の例外。14代目として、10代目と同じ顔になってしまったドクターからは、過去に対する後悔やトラウマ、懺悔や疲労といったものがヒシヒシと伝わってきた。
この表現が可能になるのも、デイヴィッド・テナントの演技あってこそなのだけれど、だからこそ彼がシリーズの中でもトップクラスに人気のドクターだったということがわかるはず。多くのファンの中で、ドクターと言えばデイヴィッド・テナントだった。

https://www.bbc.co.uk/mediacentre/2022/doctor-who-david-tennant-14th-doctor

そうなると、シリーズの弊害になってくるのは伝統的な「再生」という概念の存在だ。メタ的な視点で見てしまえば、都合よく役者を変更することが出来るシステムだったし、そもそもこれは視聴者に対して俳優との別れを無理強いするものだった。だからこそ、テナント演じる10代目ドクターとの別れは辛かったし、14代目ドクターがテナントになった時の心境としては幾ばくか表現しがたいものがあった。

出会いがあれば別れもある。彼が再演してくれると知った時、世界中のファンが喜んだ。でも同時に、別れも近づいてきていた。
これはファンにとって辛いものだし、何よりも後任の15代目ドクターとして出演が決まっていたチュティ・ガトゥにとっても辛いものだったはずだ。おそらく制作陣もそれを認識していたと思うし、どうにかして双方に優しいエンディングを見つけ出そうと模索していたのだろう。

https://www.doctorwho.tv/characters/fifteenth-doctor

その結果生まれたのが「バイ・ジェネレーション」という現象。14代目ドクターと15代目ドクターが共存するかたちで再生したのである。
ご都合主義の極みとも言えるこの演出。当然ながらファンの中では賛否両論で、放送直後は様々な意見が飛び交っていたように思う。

とはいえ、そもそも12回しか再生できないと言われていた再生の概念はとうの昔に上限突破しているし、いまさら新しいことが起こっても驚くことはない。

https://www.youtube.com/watch?v=l2MFwLn-SmA

その後、14代目ドクターは10代目時代のコンパニオンであるドナ・ノーブルと幸せに暮らし、15代目ドクターはドクターとして世界を救う旅に出る。悪く言えば、またテナントをいつか使ってやろうという魂胆にも思えるのだけれど、9代目・10代目を成功に導いた張本人で本作の製作総指揮のラッセル・T・デイヴィス自身もファンに考察の余地を残しているし、もう良いんじゃないかと思う。

ドクターは寂しがり屋で、だからこそコンパニオンをそばにおいている。筆者は9代目・10代目のコンパニオンを務めたローズ・タイラーが大好きだった。ミッキーだって、マーサだって、ドナとウィルフレッドだって大好きだった。でもドクターは特定個人に固執していない、自身が目をかけたコンパニオンが居ることに意味を感じているのだ。

とはいえ、14代目ドクターとして演じるテナントの演技を見ていると、心なしかドクター自身の疲労が見えてくる気がした。

だからこそ、「コンパニオンであったドナやその家族と暮らす」というあまりに純粋なハッピーエンディングで本当に良かったと思う。下手に濁されて今後の展開を期待させられるよりも、こっちのほうが何億倍も幸せだ。ドクターも過去を清算し、我々も10代目ドクターとの思い出を大切にしまっておくことができる。2つの心臓を持つドクターが2つの道を歩み始め、1つの心臓を持つ我々が新しい道を歩み始めるのだ。

『ドクター・フー:ザ・ギグル』

人気キャラはどのようにして殺されるべきなのか

『ザ・ギグル』を見終わった後、ふと『ポケットモンスター』のことを思い出す。ずいぶん前に『ポケモン』でサトシが主人公の座を降りた時、筆者はボロボロになるくらい泣いていた。

何よりも最終回に至るまでの特別編が本当に面白かった。おなじみのキャラや演出は山のように出てくるし、TVシリーズなのに劇場版用の劇伴が聞ける。でも、最終回だけは様相が違ったのである。

サトシがマサラタウンに帰省し、ママやポケモンたちと過ごす。でも数日すれば冒険に出かけてしまう。30分かけて「最終回なんだなぁ」と思わせた後に「サトシは冒険を続けるけれど、お前は大人になれ」とただ一方的に突き放されてしまった。そして追い打ちをかけるように流れる「タイプ:ワイルド」。

サトシは旅を続けて幸せかもしれないけれど、少なくともこちらは幸せではなかった。次のシリーズを楽しみに待とうとかもなく、ただ終わってしまったのである。

一方で、『ドクター・フー:ザ・ギグル』はとにかくメチャクチャだった。ファイナルエピソードだと言うのに驚異的なまでなスピード感で話が進むし、お涙頂戴エピソードがあるわけでもない。ただ『ドクター・フー』の1エピソードがそこにあった。

懐かしさはあっても、悲しくもなければ、辛くもない。エピソード自体は『ドクター・フー』特有のホラー感強めであるものの、ただひたすらにポジティブで幸せな時間を過ごすことが出来たと言える。

別に『ドクター・フー』の終わらせ方が正しいとは言わないし、ボロ泣きしている『ポケモン』の締め方が悪かったとは思えない。けど、少なくともシリーズ物の作品にはファンにとって気持ちのいい殺し方があるのだろうと思う。

ファンというのは、とてつもなく面倒くさい生き物だ。でも、だからこそファンが居ると楽しいし、何かのファンであることが楽しいのだ。

だからこそ、今後も『ドクター・フー:ザ・ギグル』というエピソードを推していきたい。推させてほしい。

12日目はいいもさん!

= ( ^ω^) |// ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
= ▄︻┻┳══━=  ドカーン
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視聴方法

今見るならHuluかディズニープラスの二択になるのかな。12月25日にはクリスマス・スペシャルも放送されるので要チェック!アロンジー!

シリーズ1からシリーズ13+スピンオフ

スペシャルエピソード(全5話)とシリーズ14


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