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蒼の彼方のフォーリズム - BLUE HORIZON - #12

 とある部活の休養日。
 誰もいない部室の奥で、わたしはみさき先輩が来るのを待っていた。
 ただ待っていたわけじゃない。
 というのも、わたしは床に置かれた「拾ってください」と書かれた段ボールの中で、猫耳ヘアバンドをつけて待っていた。二次元ではよく見る捨て猫スタイルだ。
……いや、捨て猫スタイルだ。じゃなくて。
「やっぱり何かが壮絶に間違ってるような……」
 事の発端はつい先日、友だち……友だちでいいんだよね? 友だちの保坂実里と出くわしたことだった。最初は最近どう? 髪切った? くらいの話だったんだけど、お節介なあの子に悩んでいるのを勘づかれたことで話は急転。
……実里といいみさき先輩といい、わたしってそんなにわかりやすいのだろうか。なんか、まいってますアピールしてるみたいでつらい。それでいてわからないあの人は、どれだけわたしを見てくれてないのか。
 行ったり来たりを繰り返していたわたしの悩みはこのとき少しだけ前進していて、あの人が気になるというところまでは素直に認められるようになっていた。
 だけど、わたしにはみさき先輩という心に決めた人がいる。それは紛うことなき事実だ。
 あの人とみさき先輩では男と女とか好きの種類とか違うものはあるんだと思う。
 それでもあの人が好き、この人も好きって、我ながらなんだか軽くて薄っぺらく、これまでみさき先輩を慕ってきた気持ちの全部が嘘になってしまうみたいで怖かった。自分の感じる好きが、全部信じられなくなってしまいそうだ。
 冗談ぽくとはいえ、実里にもびっちって言われたし……
 そこでわたしは気になるあの人が気にならなくなるくらい、みさき先輩をもっともっとも~っと好きになるという解決法を思いついた。うん、これならモトサヤ。あの人ともちょっと仲良くなった事実は残るし、言うことなしな気がする。
 そして、みさき先輩と仲を深めるために実里が貸してくれたのが、この捨て猫セットだった。演劇部の小道具置き場から持ってきたらしい。
 これを使って全力で甘えちゃえって……頷いたわたしもどうかしてた。ただ最初に聞かされたのが大事な部分に穴? とかスリット? の開いたいやらしい下着で迫っちゃえ云々だったので、麻痺していた可能性は否めない。
「だけどもうみさき先輩に電話してお願いしちゃったし」
 わたしが待ち合わせというかお願いした時間までもう少し。覚悟を決めるしかない。
 考える。
「もしみさき先輩が乗ってくれて、かわいいかわいいって相手してくれて、そのあと……」
 あれ? そのあとはどうしたいんだっけわたし。
 ふと、ドキドキと緊張しているはずの胸の真ん中に、ぽっかりと穴が開いたような不思議な錯覚に囚われて──
 そのとき、部室に人がやってくる気配がした。
 い、いらっしゃっちゃった。
 だめだめっ、余計なこと考えるなわたし! 今はとにかくみさき先輩に甘えることだけ考えて……お、お互いに姿が見えるようになる奥に入ってくるまで引きつけて、そこでがぶっとかわいく!
 床にいるからだろうけど、靴の音がダイレクトに響いてくる。
 す~は~……近づいてきてる。やれるよ真白、タイミングを合わせるのなんてゲームでは日常茶飯事だもん。
 カウント3……2……1……くらってくださいみさき先輩!
「に、にゃあ~……あ」
「うわっ、びっくり……え?」
 おそらくお互いに目にしたものが理解できない、鏡合わせのような表情で硬直していた。
 だって目の前にいたのはみさき先輩じゃなくて……え、ちょ、どうしてセンパイがここに!?
 なんでどうして、くぁwせdrftgyふじこlp
 パニックすぎて思考が形にならない。ふじこの連続すぎる。ふじこしかない。
 だけど、目の前の見たこともないくらい気の毒な表情をしているセンパイを見てると、なんとかしなきゃと気が焦る。させてるわたしの名誉のために。なんとかなんとかえっとえっと……
「にぃ……」
 って、なに鳴いてるのわたしー!?
 そんな命令出してない! 体だけで勝手に動かないで!
 パニックしすぎて、非常時用に自動起動したダミーわたしがとりあえず当初の目的だけを遂行しようとしているみたいだった。幽体離脱して勝手に動いている自分の姿を見下ろしているような気分。それも、よりにもよってセンパイ相手に。
 信じられない。恥ずかしい。泣きたいの先で死にたいくらいだった。
 なのに、
「こ、こんなところに捨て猫が!」
 センパイー!?
 信じられないことにセンパイが乗ってきた。
 ななな何を言っちゃってるんですかセンパイ! センパイも非常時モードなんですか!?
 冷静に考えたら素で対応された方がよっぽど辛いことになるのに、息つく暇もない混沌で、自分でももう何を考えているのかわからなかった。
 なけなしの平常心を総動員させて、とにかく気持ちを落ち着かせようとする。

 落ち着いて真白。何とか生還の道を探るの。
「ひどいな。一体誰が……こんなにかわいい子猫なのに」
「か、かわっ」
「ああ、うちに連れて帰って飼いたい。白い清潔なふっかふかタオルでやさしく包んで温かいミルクをあげたい。だけどうちは父さんが猫アレルギーだから絶対に無理だろうしなー」
──この頃にはわたしの理性は灼き切れていた。
「飼えなくてごめんな」
「にぃ……」
「はは」
 やさしい笑顔を浮かべていたニンゲンの顔色が、何かに気づいたように変わった。
「お、お前、俺の言葉がわかるのか?」
「にぃ」
 しっぽをぴんっと立てて返事する。
 拾ってほしいな。抱き上げてやさしく撫でてほしいな。
 だけど目の前のニンゲンは何か思うところでもあったのか考えこんでしまった。
「にぃ……?」
「そんなに心細そうな声を出すなよ。大丈夫。俺が必ずなんとかしてやるから」
「にぃにぃ」
 こたえてくれた。うれしい。うれしい。
「ははっ、ほんとにかわいいなお前は」
 あっ……
 言葉と同時におおきな手のひらがわたしの頭に伸びてきて、鼓動がどきっと跳ねる。
 だけどその手は途中でびくっと止まった。見るとセンパイの目には戸惑いの色がありありと浮かんでいる。
「っと、よく見たら箱の脇にねこじゃらしがあるじゃないか。これで遊ぶか?」
 あからさまに話を逸らして、こちらの鼻先に実里が用意していた道具を突きつけてきた。
 だけどわたしの視線は見上げたまま動かせない。
「……にぃ」
 撫でられない理由、あるのかな。誰か他の人の顔が浮かんだり、とか。
 いつの間にか理性を取り戻していることも気づかずに、そんな疑問ばかりが浮かんでくる。
 だけどそれも次のセンパイの言葉を聞くまでのことだった。
「そういえば、みさきの家ならデカいし飼えるかもな。ちょっと聞いてみるか」
「みさき先輩……」
 そうだ、みさき先輩は! 
 その名前を反芻すると、途端に色々なことを思い出した。
 っていうか、どうしてこんなことに!? そもそもこのイベントはみさき先輩のためだけに用意したものだったのに!
 我に返ってわなわなと、何とも言えない感情が湧きあがってくる。
「え?」
 それもこれも目の前のセンパイのせいで、
「やさしくするなー!」
「おおっ!?」
 わたしは鬱憤を晴らすように目の前に差し出されたねこじゃらしに噛みついた。
「そんなことされたってわたしはセンパイを好きになりませんから!」
 そのまま思いの丈をぶつける。
「……いや。何を言っているのかわからん」
「んぎぎぎぎぎ……」
 それだけでは収まらず、しばらくがじがじと猫じゃらしを噛んでいたけど、
 ~!
「あっ」
 結局はどうすることもできず、あっけにとられるセンパイを置いて逃げ出した。
 うん、まあ小道具回収のためにセンパイが帰ったのを見計らってまた部室に戻ったんだけど。整理されて机の上に置かれてて、自分でもよくわからない気持ちになりました。