蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #20
8
「くっ!」
叫びながら前傾姿勢で突進してきた部長の頭を抑えようとして失敗する。目で部長の背中を追いながら必死に考える。えっと、えっと……こういう時のショートカットは……。うー、もう! とにかく急いでショートカットしないと! 体を捻って向きを変えて、次のラインに──あー、ダメだ! 部長が先まで行っちゃってる。ここは、次の次のラインに……。
──あたしってこの程度の選手だったんだ。
強い焦燥に肺を突き上げられて、呼吸が乱れる。自分で考えて試合をしようとしたら、想像以上に何もできない。いや、セコンドの指示がなくったって、試合はできてたはずなんだ。指示のない練習試合をしたことあるもん。
試合を作れ、って言っていた晶也の言葉が呪いみたいに足を引っ張ってる。意識してなければできていたことが、考えたらできなくなってる。心と体がバラバラ。
……落ち着こう、落ち着こう、落ち着こう。
何度も念じるけど、その言葉が脳裏を流れていくだけで、少しも役立ってくれない。
ショートカットして部長を待ち構える。
今度こそ! 一度、止めることができれば、そこで気持ちを切り替えられる。
猛スピードで迫ってくる部長が右方向に体重移動。視線も右。これなら簡単に……え?
先回りしようとあたしが反応した瞬間、左上に部長が移動する。
フェイント!?
すぐに姿勢を戻して、左に向かって手を伸ばす。
「くぅぅぅっ! あ〜〜」
届かなかった。
残念がってる場合じゃない! すぐにショートカットしないと! あんな簡単なフェイントに引っかかるなんて! いつものあたしなら、引っかかったとしたって指先くらいは部長の足に届いたはずだ。次! 次は止める! ……え?
部長が急に静止して、あたしに向かって下を見るようにハンドサインを出す。部長の指さす先では、晶也が降りてこいとジェスチャーをしていた。全身から、がっくりと力が抜ける。久しぶりに飛んだのに、こんなに不満のたまる練習になるなんて、ひどい。
晶也は降りてきたあたしに軽く肩をすくめて見せた。
「まあ、こんなもんだろう」
あたしが部長に抜かれまくることになるのを予想してたみたいで、軽くイラッとする。
「頭を使ってやったら反応が落ちるよ」
「最初はそんなもんだ。練習を続ければ体と頭の差が縮む。感じるのと考えるのが一体化するのが理想。今のみさきは感じることはできても考えるのがうまくいってないからな」
「あたしをアホみたいに言うな〜」
むかつくけど、晶也の言う通りなんだと思う。今まであたしは考えるってことのかなりの部分を晶也に預けていたんだってわかった。
晶也は白瀬さんにノートパソコンを差し出した。
「じゃ、次の練習の準備をよろしくお願いします」
「ほいきた。みさきちゃん、グラシュをいじらせてもらってもいいかな?」
「え? 晶也がいいって言うならいいですけど……」
「本当はセコンドの俺がさわるべきなんだろうけど、白瀬さんの方が確実だ。なんせ元プロだから変えるのも戻すのも早い。じゃ、お願いします」
「はいはい。グラシュは履いたままでいいからじっとしててね」
白瀬さんがノートパソコンとグラシュをケーブルで接続する。
「で、晶也さんや。グラシュをどう変更するつもりなの?」
「ファイター用のグラシュの最高速の遅さをそのままに、部長が使ってるきつめな設定のスピーダー用グラシュくらい初速を遅くする」
加速は遅く、初速は遅く?
「……それっていいとこナシなんじゃ? どういうこと?」
覆面選手は腰に手をやって大きくのけ反る。
「わっははは。練習相手の覆面のグラシュはそのままだ。圧倒的な力の差を教えてやる」
「それって力の差って言うかグラシュの差なんじゃないでしょうか……」
「死ぬがよい!」
「あ、はい。善処します」
聞いていた晶也が呆れたように脱力する。
「善処してどうすんだよ」
「悪い人じゃない感じがするから、あっさりと断るのも悪いなーと思って……」
無理して言ってる雰囲気があるし……まあ、本当に死にはしないけどさ。
「んじゃ、次の練習の目的を説明するぞ。今回は乾の作戦を覆面選手にやってもらう。体の動かし方をしっかりと確認するため低速でやる」
「低速なら考える時間がある、ってこと?」
「それもあるけど、自分の動きをしっかり確認しながら試合できるだろ。みさきの飛行は綺麗だけど感覚に頼ってるとこがあるからな。自分がどうして、その姿勢で飛んでいるのか? ということを考えてみろ」
「わかりましたー。これもFC頭を鍛える練習ってわけね。でも……その、乾さんの飛び方を覆面さんはできるんですか?」
「わっははははは」
どういう意味の笑いかわからないけど、頼もしい感じはする。
「そこらへんは心配しなくていいよ。僕が覆面選手のセコンドをして指示するから」
白瀬さんは乾さんの作戦を理解してるってことか……。それはそうか。元プロだもんね。
「みさきのセコンドは俺がするけど、基本的には自分で考えて飛ぶように」
「了解」
白瀬さんはグラシュとノートパソコンをつなぐケーブルを引き抜いた。
「……ほい。グラシュの設定は終わったよ」
あたしは肩を回して、ぐいぐいとアキレス腱を伸ばす。
「それじゃ、覆面さんよろしくお願いします」
「口もきけない状態にしてやるのだ」
「あ、はい。よろしくお願いします」
なんでこんなに好戦的なのかわからないけど、ペコリと頭を下げる。
「では、とぶにゃん、って重いよ!」
空にふわりと浮かんでいく感覚がない。全身に重りをつけられたみたいだ。
「全然、加速できない!」
「それでいいんだ。自分の体がどう動くか確認できるだろ?」
「おおお? なんだ、これ? 筋肉の量が減ったような気がする」
あたしの横を覆面選手が通り過ぎていく。
「わっはははは! 覆面はいつも通りだ!」
……覆面選手、凄いやる気だなぁ。ありがたいけど、そんなテンションで持つのかな?
「みさき、聞こえるな?」
「うん。聞こえる」
ヘッドセットから晶也の声が響く。部長と練習していた時は聞けなかったので、それだけで安心してしまう。でも、安心してるようじゃダメなんだよね。
「それじゃ、覆面選手が上、みさきが下の位置からスタートするぞ」
9
「わっはははは」
水面の側まで押し込まれて、3メートルくらい上にいる覆面選手に見下ろされている。
「はあっ、はあっ、はあっっ……。何度やり直しても水面に押し込まれてしまう」
「それが当たり前だから気にするな。もう一回、ポジションを戻して再開だ」
「はあ、はあ、はあ……。ずっと下にいるって凄いプレッシャーだ。つ、疲れる……」
激しい飛行なんか全然していないのに、全身に疲労が溜まる。有利な位置に相手がずっといる状態って精神的に来るものがある。
──こんな状態で真藤さんは試合をしてたんだ。
まだ練習は始まったばかりなんだ。しっかり考えて、しっかり練習しないと!
「覆面選手さん、よろしくお願いします!」
「わっはははは、何度でもかかってくるがよいのだ!」
「はい!」