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蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #28

「にぃにゃあああぁあぁぁああっ!」
 ももを高く上げ、後方に砂を撒き散らしながら走る。最初にやった時よりずっと力強く砂を蹴れているってわかるし、体も軽い気がする。体力がついてるってわかる。
「がんばれ! がんばれ! その調子で最後まで!」
「が、がんばってください。……がんばって、鳶沢さん」
 今日は白瀬さんと部長と覆面選手が来ない代わりに、白瀬さんの妹のみなもちゃんが応援に来てくれている。
「んにゃーすっ!」
 倒れこむように胸を前に出しながら、砂浜に引いた線を越える。
「よし!」
 叫びながら、晶也がスマホのストップウォッチをとめる。
「はっ、はあっ、はあっはあっはっ、ンッ。どうだった?」
「今までの最高記録だ」
 みなもちゃんが遠慮がちにパチパチと手を叩く。
「凄いです。……陸上部の選手みたい……でした」
「少なくとも弱小な陸上部の部員よりは速いだろうな」
「あははは、みなもちゃんの応援があったからだよー」
「そ……そんな。わたしは……何もして……ないです」
 あたしは、動物園のライオンみたいにうろうろして呼吸を整えながら叫ぶ。
「よし! 今日はこれで終わりっ!」
「え……。今日は……これで……終わりですか?」
「午後から雨みたいだし、今日は半分休養の日だからね」
「最近のみさきはオーバーワーク気味だからな。ちゃんと一日休ませたいんだけど……」
「あははは……。動いてないと不安なんだよね〜」
 みなもちゃんが外見と同じく可愛らしいバッグから、白瀬スポーツの紙袋を出した。
「あ、あの……これ。お兄ちゃんが、もって……いけって。プロテイン……です」
「う! もしかして白瀬さんはあたしをムキムキ軍団に入れるつもり?」
 みなもちゃんは、小動物を連想させる動きで首を左右に小刻みに振った。
「そういう……つもりじゃないと、思います。……疲労……回復にって言ってました」
「みさきは勘違いしてるみたいだけど、プロテインはステロイドと違って、飲んでいるだけでムキムキになったりしないし、副作用もないんだぞ」
「え? そうなんだ」
「スポーツ選手がドーピングで使うアナボリックステロイドは筋肉がつく代わりに副作用がたっぷりな危険なブツだけど、プロテインはただの高タンパク。大豆を大量に食べるのと似たようなもんだよ。筋肉を作るにはタンパク質が重要だからな」
「ふ〜ん。そうだったのかー。タンパクね。それって疲労回復にもなるの?」
「当然なるよ。筋肉を回復させる効果がある。疲労回復に、と言ってくれたってことは、そういう成分が配合されたプロテインなんだろうな」
「だったら、どうして晶也はプロテインを飲ませてくれなかったの!」
「みさきの体を絞るのが目的だったからな。必要ないかと思っていたけど。まー飲んでもよかったかな。……それに、プロテインって結構高いんだよ」
「え? お高いモノなの? そ、そんなものもらっちゃっていいの?」
「いえ、そんな……。それにそれは試供品……です、けど。お兄ちゃんのおすすめで、成分が……とても、いいって」
「そうなんだ〜。試供品とかそんなの関係ないよ。あたしの疲労を気にしてくれた心が嬉しい。晶也、プロテインっていつ飲めばいいの?」
「運動した直後がいいぞ」
「それって今じゃない」
「わたしが……作り、ましょうか?」
「うん。是非お願いします!」
「ドリンクボトルを……お借りします」
 みなもちゃんは水の入ったボトルにさらさらと粉を入れて蓋をした。
「……えい、えい、えい」
 ボトルを両手でがっちりと掴んで、ガシャガシャと前後左右に振る。
「へー。プロテインって水に溶かして飲むものなんだ」
「そんなことも知らなかったのか?」
「普通に生きていればプロテインを飲む機会なんかないって」
 全身を使ってボトルを振っていたみなもちゃんは、ため息をついて蓋を開けた。
「ふー……。はい。でき……ました」
「ありがとう、みなもちゃん!」
 みなもちゃんが差し出したボトルを受け取る。
「えーっと……。プロテインって飲むの始めてなんだけど、普通に飲めばいいのかな?」
「はい……普通に……」
「では、いただきます」
 ボトルに口をつけて傾けると、とろみというか粉感というか、異物が混じっているのがわかる液体が流れ込んでくる。
「んくっ、んくっ……ンンンンンンッ!」
 こ、これは! 喉が飲むことを拒否する味、っていうか匂い!
「んぐっ! はあっ、はあっ、はあっ、はあっ」
 ダメだ! あたしはボトルから口を離す。
「凄くまずい! 人生でかなり上位のまずさ! 体に悪い味がする! 毒だ、これ!」
 みなもちゃんは傷ついたように目を伏せた。
「……毒じゃ……ない、と思います」
「ご、ごめん。毒は言い過ぎた。で、でもさ……これは、まずすぎるんじゃないかな?」
「基本的にプロテインってまずいんだよ。高タンパクってことは脂身のない肉をミキサーにかけて飲むようなものだからな」
「飲む気をなくす表現だ……」
「最近はマシになってきているし、美味しいのもあるらしいけどまずいのも多いよ」
「だとしてもこれはひどくない?」
「わたしも味見しましたけど、雨に濡れた……犬の臭いが、する……程度です」
「その表現、超的確!」
「それはかなりまずそうだな」
「で、でも……体にいいのは……本当、です」
 あたしのお腹の辺りをじーっと見つめながら言う。
 こ、これは……。飲むしかないよね。みなもちゃんの善意をすげなく断るのって、仔犬を握り潰せるくらいの非情さを持っていないと無理だと思う。健気で可愛いもんな〜。
「プロテインを飲む時のコツを教えてやろうか?」
「おおおっ、頼もしい! それが聞きたかった! 是非!」
「鼻をつまんで一気に流し込む」
「原始的な方法だ!」
 でも、匂いがきついのだから効果はありそうだ。あたしはみなもちゃんの視線を感じながら鼻をつまむと、ボトルに口をつけて一気に傾けた。
「ん〜〜〜っ。えいや! んぐんぐんぐんぐっ。ぷっ、はーーーーっ! 全部飲んだ! ありがとう、みなもちゃん」
「いえ……そんな。疲労が回復すると……いいですね」
 あたしは部長みたいなポージングをする。
「もう筋肉が回復してきた気がするよ!」
「……あ、ありがとう……ございます」
 晶也は砂浜に放り投げるように置いていたスポーツバッグを持ち上げた。
「んじゃ、着替えたら行こうか」
「だねー」
「どこかに……一緒に……行くんですか?」
「今日はストレス開放デーだからな。どっか適当に遊びに行こうかなって」
「でも、天気予報だと午後から豪雨……なんです、よね?」
「喫茶店でも映画館でも、雨に濡れずに済む方法なんかいくらであるよ」
「喫茶店、映画館……それってデート……みたい……ですね」
「まー、そんなもんだよ」
 軽い調子で言った晶也を見るみなもちゃんの目に、剣呑な色が混じった。焦る。どうしてそんな目をするわけ? え? あれ? 晶也は全然気づいてないっぽい。これって!
 あたしは両手を上下に振りながら、二人の間に割って入る。
「違う違う。デートっていうのは本気でするものだからね。こんなのはただの遊び遊び。全然デートなんかじゃない。ただの気分転換だから!」
「そ、そう……ですか。では……わたしは雨が降り出す前に……し、失礼します」
 がば、と深く頭を下げてから、小走りで去っていった。
「ば、ばいば〜い」
「お兄さんによろしくな」
 みなもちゃんは立ち止まり、回れ右で振り返り、再び頭を下げてから離れていく。
 晶也は道の向こうにみなもちゃんの姿が消えるのを確認してから、
「どうしてデートだってことをあんなに否定したんだ?」
「もしかしてわかってない?」
 晶也は不思議そうな顔してる。あたしはため息を吐き捨てる。
「晶也と付き合っていくのは大変そうだー」
「なんでだよ?」
 説明した所で、どうせ考えすぎ、とか言われるに決まっている。アホめ。
「この話はもうおしまい。んじゃ、あたしは着替えてくるね」
 そう言って、あたしも小走りで晶也から離れた。