蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #41
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「一回戦で乾とはな! 予想をはるかに超える幸運だ」
部長がぐぐっと胸の筋肉を盛り上げて叫んだ。横に立っている白瀬さんも嬉しそうにニコニコだ。
「そこで当たるのが希望だったからね。よかったじゃないか」
「覆面と当たる二回戦では地獄へ直行だから、今は幸運を味わっているがいい!」
「あ、はい。幸運に打ち震えます」
「勝っても負けてもいいから、観客にFCをアピールするド派手な試合を頼むよ。僕の出してる出店の売り上げに貢献して欲しいな」
「が、がんばります!」
「プロじゃないんだから、そんなこと意識しなくていい」
白瀬さんは咎めるように言った晶也を無視して、
「みさきちゃんが優勝したらみさきちゃんに売り子をしてもらったり、直筆ポップを書いてもらったり、等身大パネルを製作してもらう予定だからね」
「そ、そんなことになってるんですか?」
「そういうことになってるんだ」
晶也は不自然にあたしから視線を外して言った。あたしの知らないとこで、そんな代償が約束されていたとは……。でも、無償より気が楽かもしんない。
「まあ、いいや。たくさん協力してもらったんだしね」
白瀬さんに恩返しできることがあるなら、できる範囲でしたい。というか、あたしの等身大パネルとかちょっと見てみたい気もするような……。どういう気分になるんだ?
「試合、がんばれよ、鳶沢」
単純な言葉だけど、部長の気持ちが伝わる。あたしに特別に好意を持ってたりはしないし、あたしを応援しなきゃいけない理由だって全然ないはずだ。それなのに、夏の間、ずっとあたしを助けてくれた。きっと、物凄いお人よしなのだ。
「が……がんばり、ますっ!」
感謝の気持ちが伝わるように、気持ちを込めて言った。
「ふん! がんばるがよいのだ!」
「がんばります! 覆面さんも!」
「うむっ!」
「開会式が終わったらすぐに作戦会議だ。念のため、試合展開を確認しておこう」
「わかった。……よし! よし! よし!」
あたしは力を込めて、全身を上下に揺らす。
会場に設置されたスピーカーから、開会式が始まるから集まれ、というアナウンス。
「本当に始まるんだね」
「始まるよ」
「夏休みが始まった頃は、二度とこんな場所に来ることはないと思ったのにな」
あたしが真藤さんに負けて、真藤さんが乾さんに負けて……。それを嬉しそうに明日香が見ていて…………。かなわないって。ついていけないなって。
それで……。逃げ出したんだ。それなのに、いる。
ぷつぷつぷつ、と鳥肌が立った。
何だろう? 感情が追いつかない。自分が何を思っているのか自分でもわからない。それなのに、体が先に反応していく。
太くて熱い何かが、ずん、と下から全身を突き上げたような気がした。何かが全身を駆け巡っている。グラシュを起動させた時みたいに、足の裏の感覚が遠ざかる。
何だろう? あたしは何を感じたんだろう?
心が……。体が……。
あ、そうか。あたしは、ここにいるんだ。あたしは、あたしがここにいて当然だって思ってる。恐くて、逃げ出したくて、壊れそうになることもあるけど……。
あたしは、ここにいる!
あたしが、いる! あたしがここにいるのが当たり前だって思っているから!
だから!
そ、それってつまり……こういうことだよね?
「あたし、届いてる」
「届いてる? 誰かからメールが来たのか?」
「違う。あの時、晶也はあたしを届けるって言ったよね」
「え? あー、届くも届かないも、それはこれからだろ」
「違う。あたしはもう届いてる」
「…………え?」
晶也は目をぱちくりする。
「前のあたしは乾さんや明日香と向き合えるなんて少しも思えなかった。恐くて恐くて心が捻じ曲がって、明日香と佐藤院さんの試合を見た時、明日香が負ければいいって、そんなこと思ってた。そしたら嬉しいだろうな、って」
晶也が静かに頷く。
「明日香のこと好きなのに、明日香はいい子なのに、自分が曲がってたから、そんなこと思ってた。あたしが悪いのに自分がダメなのに、明日香もダメになればいいって。ひどいこと考えて……逃げ出した」
あたしはここにいる。だから、目の前にいるのが、明日香だって、乾さんだって、誰だって関係ない。あたしは誰とでも向き合える。そういうあたしになってる。
あたしは夏休みの間、本当にがんばったって思う。あれだけやっちゃったんだから、そのままのあたしを出すしかない。恐いって思っている自分でいいし、逃げたいと思っている自分でいいし、試合をしたいって思っている自分でもちろんいい。
……晶也が引っ張ってくれたんだ。
「試合をするのは恐いよ。だけど、あたしのままで、あたしがここにいることだけは恐くないんだ。晶也が届けてくれたから」
「……そっか。俺はみさきを届けることができたんだ」
「別に綺麗な心になったわけじゃないし、汚い心っていうのかな? そういうのはちゃんとある。それも含めて全部あたしだって認めることができる」
晶也が微笑む。
「夏休みは無駄じゃなかったんだな」
「うん! こんな有益な夏休みは初めて。夏休みについての作文を書きたい気分。……届けてくれて、ありがとう、晶也!」
晶也がいなかったら、こんなあたしに絶対なれなかった。
「どういたしまして。俺も嬉しいよ」
「そっか、あたし……こうなんだ。ちゃんとこうなれるんだ。凄いぞ、あたし!」
あたしは両手を広げて、その場でくるくると回る。
「あははははははは……。あ……明日香のことバケモノって言ったのあやまらないと」
「明日香は言われたことに気づいてないんだから、わざわざあやまる必要はないって。素直なのが偉いわけじゃないんだからな」
「……そうかもね」
「でも、届くのは大会後の方がよかったかもな」
「どうして?」
「試合のモチベーションというかテンションというか、そういうの下がんないか?」
「そんなのは全然変わんない。負けるのが余計に恐くなった。必死に勝たないとって思う」
「どうして?」
「次はあたしが晶也を届ける番だもん。そのためにも勝たないとね」
コーチをしている時の晶也は不安そうな様子をあまり見せない。不安があたしに移らないように、そうしてるんだと思う。だから、微かな表情の変化に気づいてしまう。
晶也は不安そうな目をしていた。
「みさきが勝ったら俺は届くのかな?」
「当然、届くでしょ? 救った相手が結果を残したら、自分のしてきたことが間違いじゃなかったって思えるはず」
あたしは自信たっぷりに聞こえるように言う。
「自分のためにも晶也のためにも、あたしは勝つよ」
あたしは両手を上げて叫んだ。