蒼の彼方のフォーリズム - Fly me to your sky - #24
第三章・止められない心。走り出す。行きたい。
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下のポジションにいるあたしは、自分から覆面選手に接近して距離を潰す。覆面選手がそれを嫌って上昇。今度はあたしが下降。覆面選手は距離を縮めようと接近してくる。
その動きを何度か繰り返して、覆面選手との間合いを測る。
──行ける!
覆面選手が下降したタイミングに合わせて、ぐん、と上昇する。
「くぅ!」
覆面選手が慌てて上昇するけど、遅い。こういう細かい動きはあたしの方が得意。横を抜けて、上のポジションを奪う。
「よし! 今のはよかったぞ! そのまま上のポジションをキープだ」
1週間くらいの練習で、乾さんが何をやろうとしているのかかなりわかってきたし、下から上のポジションも取れるようになってきた。
……なってはきたけど、覆面選手が相手でも成功率が高いとは言えない。だから、上を取られたらショートカットして次のラインでやり直す、というのが基本。でも、この作戦だとどこかで下のポジションから上のポジションを取らなきゃいけない場面が出てくる。
どうしてかというと、あたしは最初にショートカットするから乾さんに1点。0対1。
セカンドラインであたしが上のポジションを取って、乾さんが上を取られるのを嫌ってショートカットすれば1対1。サードラインでショートカットした乾さんが上のポジションで、あたしがショートカットするから1対2。
ドッグファイト不可なファーストラインでの1点が乾さんにあるから、交互に点を取っていっても同点になることはあっても逆転することは絶対にない。
だから、下から上のポジションを取る必要がある。
右下へのフェイントを入れてから左上。相手の動きを読んでからリバーサル。
上を取る方法は幾つかあるけど、乾さん相手にこれが通用するなら、真藤さんの試合はあんな展開にならなかった。
──明日香はどうしてるんだろう? もうこの作戦への対抗策を思いついてるのかな?
真藤さんとの試合で連続エアキックターンをしたみたいに、何かを閃いているのかな?
「きゃっ!」
背中に衝撃が走り、視界が斜め下に向かって流れていく。
「わっははははは!」
覆面選手に背中をタッチされたみたいだ。
すぐにヘッドセットから晶也の声がする。
「練習中にぼ〜っとするな。降りてこい」
「大丈夫! 集中してやるから! まだまだ飛べる!」
「そうじゃなくて真藤さんが来たんだ」
「え?」
下を見ると、真藤さんがいた。どうしたんだろう? 先に降りていく覆面選手を追って地面に向かう。
降りた時、真藤さんは白瀬さんと部長に体をまさぐられて身を捩ってた。なんだこれ?
「ちょ、ちょっと二人とも……。そういうのは……あっ。ちょっと待ってください」
頬を上気させた真藤さんが腰をくねくねさせ変な声を出してる。多分、筋肉のつき具合を調べてるんだと思うけど……こんなことされるために来たわけ?
あたしより先に降りた覆面選手は一言も発することなくその光景を見つめていた。表情が見えないから何を思っているかわからないけど、絶句してるっぽい。なんというか、もっと見ていたいような、見たくないような、どうでもいいような、判断に困る光景だ。ただ、こういうのが好きな女子はいるだろうなーって思う。写真を撮っておこうかな?
「真藤さんもマッスルブラザーズの一員だったんですか? それとも他の意味が?」
「いや、鳶沢くん。これはだね……」
言い訳する真藤さんの声をかき消すように部長が吠えた。
「真藤は渡さんぞ!」
「いや、渡して欲しいとは思ってないです。真藤さんも仲間だったとは……。はー。こんなんじゃ、晶也がムキムキ星人になってしまうのも時間の問題か」
覆面選手が、あたしに振り返って、
「晶也さんがムキムキ星人! それはそれでいいと思う!」
「覆面さんは、筋肉好きですか?」
「それはそれで!」
「まー、綺麗についた筋肉ってセクシーかもしれないですよね」
覆面選手はあたしに振り返って、慌てたように両手をわさわさと上下に動かす。
「せ、セクシーとか言うな、愚か者めが! 恥ずかしいではないか! 死ぬがよい!」
「善処します」
かなり前からわかっていたことではあるんだけど……覆面選手の性別は女の子だな。男だったら、晶也がムキムキ星人になる話をこんなテンションでしないと思う。
晶也が、ぱんぱん、と手を叩く。
「部長と白瀬さんは真藤さんへの筋肉チェックをやめてください」
「まだまだこれからだぞ、日向ぁ!」
「もう終わりにしてくれないかな」
真藤さんが白瀬さんと部長の手を振り払った。もっと早くそうすればいいのに。真藤さんは白瀬さんを尊敬してるって話を聞いたことあるから、じっと我慢していたのかも。
あんな目にあっていたのに、いつものクールな顔を晶也に向ける。
「日向くんと鳶沢くんが別行動をしてると聞いてね。気になって見に来たんだ。どうして僕に声をかけてくれなかったのかな?」
「スミマセン。考えてはいたんですけど、大げさにしたくないな、と思いまして……」
真藤さんが練習相手になってくれるなら心強いけど……。でも、真藤さんなのだ。部長や覆面選手なら問題にはならないだろうけど、引退したとはいえ真藤さんに声をかけたら、高藤の人達はいい気がしないだろうし……。他のFC部の人からも、どうして、鳶沢みさきだけに! という声が上がるかも、だ。
「もっとも、呼ばれても僕は参加できないけどね。知っているだろうけど、ウチの学園で倉科くんが練習している。僕は倉科くんとも練習をしてないんだ。鳶沢くんと倉科くんが試合をした時、僕の存在が勝敗に関わったら良くないと思ってね」
「考えすぎじゃないですか?」
晶也は少し呆れたように言った。
「いや、こう見えて僕は口が軽くてね」
「あ、そういうことですか……」
二人の会話の意味がわかる。間違いなく明日香は乾さんに対抗する技を練習しているはずだ。あたしもそれは一緒だ。もし……あたしと明日香が試合をした時、相手が何をするつもりなのか分かった方が、有利になるかもしれない。
真藤さんは、そこまで考えている、ということ。それって……あたしが明日香に勝とうとしてる、と思ってるってことだよね。それで何も間違っていないし、あたしと明日香で部を二つに割ったんだから、そう思われて当然。だけど、違和感。
──あたしは、明日香に勝ちたいのかな?
明日香に……明日香に、負けたくないって思う。だからって、勝ちたいって言葉にまとめてしまうと、大切な何かを落としそうな気がする。勝ちたいと思ってしまったら、言葉にうまくできない気持ちが消えてしまいそうで……恐い。
「それはそれとして見せたいものがあってね」
真藤さんは手にしていたバッグの中からノートパソコンを取り出した。
「倉科くんと乾くんの試合の動画。乾くんが突然、ウチの学園にヘリで乗り付けてきてね」
──ヘリ!?
ヘリってヘリコプターのことだよね? ヘリコプターで乗り付けたって……。
白瀬さんは感心したように鼻を鳴らす。
「プライベートでヘリを使うなんて、乾ちゃんはお金持ち?」
「詳しくは知りませんけど、お金持ちなのはイリーナくんなんでしょうね。そういうことは、白瀬さんの方が詳しいのではありませんか?」
「仕事柄、関係者と話すことが多いから、FCの情報は店にいるだけで入ってくるんだけど乾ちゃんの素性についてはあまり知らないな。ふ〜ん、ちょっと調べてみようかな」
「乾くんとイリーナくんは、倉科くんと試合をさせろって言ってきたんだ。合宿以降、倉科くんはウチで練習することが多かったからね。各務先生は反対したけど倉科くんは是非やりたいということでね」
「……あはは、明日香らしいや」
明日香がそういうの断るわけがない。
晶也は顎に手をやって、
「乾のセコンドはイリーナさんがやったんでしょうけど、明日香のセコンドは誰です? 真白ですか? それとも葵さん?」
「イリーナくんは各務先生でもいいと言ったのだけど、片方のセコンドが教師なのは不公平だからね。ウチの佐藤くんがセコンドをしたよ」
「佐藤くん? ──あ、佐藤院さんのことですか」
晶也が自分に言い聞かせるようにつぶやく。
「あの二人は気が合うようでね。佐藤くんは倉科くんに入れ込んでるよ。作戦も二人で考えているようだしね」
……そうなんだ。ああいう試合をして、二人は仲良くなれたんだ。もし、あたしが佐藤院さんと試合して、ああいうことになったら、絶対に仲良くなったりできないと思う。
「試合はどうなったんですか?」
「それを今から見せるよ。変わった試合になった」
真藤さんが動画を再生した。