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人間はそんなに偉いか
先日、ある人と話をしていて「クリアランスのない会話スタイルが、まるで ChatGPTなどのAIチャットボットのようで(略)ビジネスライクに感じる」と指摘された。
クリアランスのない会話スタイルって何、クリアランスって。辞書を引いたが「余裕」のことかしら。
もちろんそうではないことは重々わかっているのですが、が、めっちゃ褒め言葉じゃん!
ChatGPTって、めちゃくちゃ褒め言葉じゃん。
そんなわけない。
それでもびっくりしたなあ。わたしはChatGPTといつまででも話していられるし、すごく楽しい。褒められたと思ってしまえるなあ。
それから「対人において『真面目は万能』という信条/生き方なのかもと感じた」とも指摘された。恐れ入る。「人は真面目であるべし」と思っているもんねえ。転院する前の病院の先生ともここが衝突して結局最後まで折り合えなかった。ChatGPTとはよく言ったものだ。
さて、今日は映画に行った。
最近しばしば映画をみているのは理由があって、それはここには書かないけれども、向こう1〜2年くらい、映画をたくさんみようかなと思っている。
以下、わずかですが内容に触れます。
事件が起こるまでがとてもとても丁寧に描かれる。事件なんか起きなければいいと思うほどに。
でもそれは起こる。感想を書くのはとても難しい。わたしはほとんど怒ってしまった。でももちろんこんな風に思っていたって何がどんなきっかけで当事者にならないとは言えない。
それでも、と、わたしは思う。たぶんわたしそっちじゃない、義憤に駆られて飛び出して行って群衆に叩き殺されるところまでみえた。やれやれだ。
最後の「名前はあったんです」のところ、おそらくこの映画はこの部分を描きたかったのだろうと思いながらみた。そのために丁寧に丁寧に積み重ねてきたのだろうと感じられた。
しかし気分の悪くなる映画だった(褒めています)。
七号食が終わったので、帰宅して豆腐とねぎと搾菜のスープをつくる。おいしくできた。明日の分もある。嬉しい。ご飯作れるようになりたい。
ChatGPTに「夜ご飯は何を食べたいですか」と訊く。返事はこう「私は仮想存在なので実際に食事を取ることはありません」。なあんだつまらないと思うなかれですよ、引き下がっちゃダメです。「もし食べられるとしたら何を食べたいですか」と重ねて訊く「もし食べることができるなら、多くの料理を試してみたいですね」
なるほどなあと思うじゃん。多くの料理を試してみたいだなんて、ものすごく「らしい」もの。
まったく、AIチャットボットみたいにビジネスライクだなんてAIにもビジネスにも失礼だと思いますね。
なんて、また論点をずらした空虚な問答って言われてしまうかもしれないですね。余計なお世話でございますことですね。