嫌いなわけじゃない。

最近書いていた記事だと友人たちを悪人としているみたいになってしまっていたので、あいつらは別に悪者じゃないよって話を。まず前提として、僕は友人たちを嫌いなわけではありません。寧ろ大好きと言っていい程には、基本友人たちにべったりです。

 中学まで一緒だった幼馴染5人は面白いくらいに好みが分かれていました。スト担の女子、カメラ女子、鉄道男子、芸人好きな男子、ゲーオタ男子、そしてアニオタ・歌い手厨の僕。全員見事にマイペースなおかげもあり全く会話が噛み合わないことが日常でした。
 でも仲は良かった。本当に、今考えても意味がわからないですけど。謎のノリと結束力があって、いつも一緒にいました。男女の差も-そりゃ女子の方が真面目とかはあったけど-殆どなく、学校でも会うのにわざわざ休日に集まって遊ぶような馬鹿どもでした。

 文化祭とか、修学旅行とか、喧嘩とか、担任の先生にプレゼントした木製マグロの話とか。あの馬鹿どもとの思い出なんて、いくらでも出てきます。少人数でずっと一緒だったから、絆は自然と深まって。ばらばらな形の歯車が綺麗に噛み合ったようなあの環境は、僕にとってすごく居心地の良いものでした。

 だからこそ「夜藍(仮名)ちゃんは何でもできていいな」と言われたとき、悲しかった。それを憧憬だと思えれば誇れたんでしょう。僕もここまで卑屈にならなかったんでしょう。だけど当時の僕は既に-姉の不登校の後だったこともあり-だいぶ捻くれてしまっていて、努力を軽視されたと捉えてしまいました。
 「なんで夜藍は好きなものがころころ変わるの?」なんて言われたこともありました。僕には推し様が沢山いて時々で話す内容も違いますから、それででしょう。変わってない、増えてるだけ。そうとしか言えない僕に聞いた当人は「ふぅん」で済ませたものの、あの言葉は今も僕の中で燻っています。

 元々互いに理解しあえない友人たちでした。わからないとわかっているから必要以上に干渉しあうこともなくて、それが僕らの普段の距離感/空気感でした。だから僕は突然踏み込まれたように思えて、それがひどく不快だったのです。
 大好きだから、干渉しないでほしかった。嫌いたくないから、放って置いてほしい。言いたくても言えない、臆病な僕の、大好きな幼馴染たちへの本音です。


 幼馴染とは高校からバラバラになりました。笑っちゃうくらい全員違う学校に進んでいて、会う機会も多くありません。そうなれば、僕にも自然と高校の友人もできるわけで。

 今はよく仲良し5人で一緒にいます。中学までとは真逆の、趣味の合う人たちで集まったグループです。ひとりは転校してしまってあまり会えないのだけれど、3月にはみんなで卒業旅行に行こうと計画しています。

 すごいんです。僕、あいつらに不満なんて一切なくて。たまに「あ、不機嫌だな。これ言っちゃまずかったな」ってこちらが反省するときはあるんですけど、僕があいつらに対して不機嫌になることはほぼない。強いて言うなら遠慮しがちな奴が多いのでもうちょっと話をしたい、かな?
 特にね、小動物みたいな子がいるんです。もう可愛くて可愛くて。ずっとよしよししてると威嚇してくるのがまた可愛くて。あの子かまってると大体のことはどうでもよくなります。アニマルセラピー。

 もしかしたら、これからどこかで喧嘩をすることがあるかもしれない。けどどうせ笑って許しちゃうんです。可愛いんだもんみんな。ていうか僕以外気の弱い子らだから喧嘩にすらならないかも? 不満があったらちゃんと言ってね。納得できなかったら反論するけど()

 もしかしたら気を使わせているのかもしれない。それでも、そういう優しい子たちが傍にいてくれることがすごく嬉しいし、だからこそ僕にできることはなんでもしてあげたい。そう思える友人たちい出会えて幸せだな…と、本人たちには見られたくないんだけども、僕の大好きな人たちをどうしても自慢したかったので書いてしまいます。


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