生きる場所なんてどこにもなかった
始まりはYouTubeだった。
【生きる場所なんてどこにもなかった】という見出しが印象的で、サムネイルに映る金髪ショートカットの女の子が気になった。
あの時「W.W.D」のMVをクリックしてなかったら?
私は今東京で生活しているだろうか。
両親ともに田舎の公立学校の教員で、当時高校生だった私は将来の夢などなく、
なんとなく自分も国公立大学の教育学部に進学し、教員になるのかもしれないとぼんやり感じていた。
もちろん都会への憧れはあったけど、半年に一度広島に買い物に行くことで当時の私は十分満足していたし、周りの友達もみんなそうだったと思う。
「東京」という単語は、「ニューヨーク」や「南極」とほぼ同義語だった。
いつか行ってみたいけど、現実的ではない場所。日常から遠く離れた場所。
「W.W.D」は16歳の私にとって衝撃的な楽曲だった。
それまでもアイドルは好きだったけど、AKBや乃木坂、PASSPO⭐︎は基本的に王道なJ-POPやバンドサウンドだったし、「電波ソング」なんてものを知らない私は、その転調の多さや意味のわからない歌詞、全てがごちゃ混ぜに混ざり合ったカオスな楽曲にカルチャーショックを受け、MVを見終わる頃には「でんぱ組.inc」という不思議な名前のグループにとても惹かれていた。
女の子の頭に海老フライがついている髪型も、肩が異常に大きくなっている変な形の衣装も、全てが新しく輝いてみえて、「東京にはこんな面白いアイドルがいるのか」と感動し、東京がとても羨ましくなった。
受験期後半、母親に「私立でもいいよ」と言われたのをよく覚えている。
地方にありがちな“自称進学校“に在学していた私の中の常識は、“何がなんでも国公立“だった。私立は金銭的にも高いし、地元から離れなければならない。
田舎の国公立信仰は凄まじくて、教師、塾講師、その他周りの大人が口を揃えて「国公立に行け」というので、私もそういうものだと思い込んでいた。
だから、母親がそう言ってくれた時、目から鱗が落ちるような気持ちだった。
別に、私立でもいいのか。というか、東京に行ってもいいんだ。私が東京で暮らすということは、十分あり得る未来なんだ。東京はニューヨークでも南極でもないんだ。
そう思った瞬間、自分の中で何かが拓けたように思う。
そこからはあっという間だった。
気づけば無事に東京に上京し、私は私立の大学生になった。
東京ではじめてでんぱ組のライブに行ったのは、5月に行われた初の武道館公演だと記憶している。
地元にいた時も広島や福岡でのでんぱ組のライブには行っていたけど、そこまで大きな規模の、しかもかの有名な「日本武道館」ででんぱ組を観る、という事実にものすごく興奮していた。
その日のライブはもちろん最高で、そこからは坂を転げ落ちるように東京の地下アイドルカルチャーやサブカルチャーの沼にハマっていった。
あれから12年。
今でも私は東京で、音楽やアイドルに携わる仕事をしている。
16歳の自分が知ったら驚くだろうか?
あの時私の可能性の扉を開き、
私の中の宇宙を救ってくれたのは間違いなくでんぱ組だった。
でんぱ組は私にたくさんのものを与えてくれた。
夢、憧れ、楽しみ、可能性、未来。
今日、でんぱ組はエンディングを迎える。
それでもこれからも私の中にはずっと残り続けるだろうと思う。
次の時代は自分が、昔の私みたいな女の子たちのきっかけになる何かを生み出したいと願っている。