生きるのが楽になった
お久しぶりです、なし子です。
前回記事を書いてから、7か月もの月日が経過しました。
まだフォローしてくださってる方、どうもありがとうございます。
この記事を見てフォローしていることに気づいた方、勿論フォローを外して頂いてかまいません。
これからは以前のように定期的に投稿するつもりは無く、ごくたまに記事を書くくらいだと思います。
さて、何故今回この記事を書いているのかと言うと、”心境の変化”を書き記したくなったからです。この7か月の間で、沢山の出来事を経験し、沢山のことを考え、結果的に大きく心境が変化が変化しました。
7か月前の私は、自分が描く”理想”にひどく苦しめられていたと思います。
就活という将来を考えなければいけないイベントに向き合ったとき、自分が憧れているものとか、理想の生き方とか、そういうものに縛られて苦しくなっていました。
しかし、そんな”理想”から脱却できるようになるきっかけの出来事が起こります。詳細は書きませんが、その出来事の末、私は酷く後悔して悲しみました。
そこで私が初めて実感したことは、「深い悲しみは、食欲さえも無くす」ということです。「人って本当に、気持ち次第で食欲が無くなったりするんだなー。」と、当時の私は思いました。
そしてそんな状態の私は、自分にひたすら「大丈夫、大丈夫」と声をかけ続けました。そうしないと、自分がどうにかなってしまうと思ったからです。とにかく自分で自分を励まし、優しくしました。
そうしてその出来事を受け入れ、食欲も戻ってきたころ、私はこの出来事から2つの知見を得たことに気づきます。
一つは、生きるのは簡単ではないということ。精神的なことで、簡単に”食欲”という生死に直結する欲求が無くなった時、人とは繊細で、沢山傷つかなくてはいけないこの人生は、簡単なものではないことを実感しました。
2つ目は、自分で自分を守る事は正しいということ。自分をひたすらに励ましていた期間、私は「人とはこうであるべきなのだ」と思いました。自分の理想に悩み自分で自分を傷つけるよりも、むしろ避けられない沢山の傷つきから自分を守るべきだと思ったのです。要は、どんな時も自分を責める必要などない、と言うことに気づきました。
この出来事のほかにも様々な出来事があり、結果的に今の私は理想を手放し、自分を責めることをやめました。ただ、理想を完全に手放すことも自分を完全に責めないことも、どちらもとても難しい事です。上手く出来ないことも多々あります。それでも今の私は、
”生きていくということだけで苦しみは常にあり、どんな瞬間も味方で居てくれるのは自分だけ”
ということを理解しています。私の一番の味方は私なのだから、自分に厳しくしたり自分を責めたりしても仕様がないと、今の私は思います。
過去の記事を見返すと、当時の私はよく頑張っていたなと思います。沢山悩み、沢山苦しみ、自分の気持ちや人生と向き合っていました。
今の私から見るとその姿は、ひどく真面目に見えて愛おしいです。
悩み苦しむ日々が無くて良かったなんて決して思いません。というか、その日々が無ければ私は今の思想には至れていません。
もし当時の私のように、自分の理想や憧れと、自身の性質や感情の間で揺れて苦しんでいる方が居るのなら、そのまま悩んでいていいと思います。
悩んで悩んで苦しんでもがくような、そんな日々の先にしか、自身を許して楽になれる未来は無いのです。
なぜなら、人は自分が経験して実感したことでしか、真に納得することは出来ないからです。そして真に納得しなければ、自身のこびりついた思想を変えることなどできません。
こんな若輩者が言うのもあれですが、どんな日々にも意味があるし、無駄なものなど一つもないと思います。というか、そう思い込んでいいと思います。
私だってきっと、これからも沢山悩むし不安になります。生きるのが面倒くさいとしょっちゅう思ってますし、定期的にあらゆることが嫌になります。
でもそれが私だし、それでいいのです。
生きていくなんて面倒くさいことをやっているだけで相当偉くて、そんな私と私は生きていくのです。
まあ本当に色々面倒くさいですが、明日も精々生きてやろうと思います。