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自戒と自罰

自戒と自罰のちがい

自戒→ 自分で自分をいましめること。

自罰→ 失敗などの原因が自分にあるものとして自分を罰しようとする傾向があること。自責的であること。

国語辞典みたく解説するとこういう事になります。
なんで説明したかというと、僕にはどっちもあるからです。
自分が生きてちゃいけないんじゃないか、自分が生きているせいで他人が不幸になるんじゃいか、そう思って罰を与えるためにリストカットをし始めたという話は前回の記事でしたと思います。
自罰的なのもそうで、仕事で誰がしたか分からないミスが起こった時なぜだか必ず「自分がやってしまったんだろう」「周りも僕がやったと思ってるんだ」と考えてしまい塞ぎ込んで職場に行けなくなって結果辞めてしまいます。
職場で上手くいった経験は1度しかありません。それも引っ越した際に辞めてしまったし大学を中退してしまったので同じような職種にはもう就くことが出来ません。

一生残っても一生続くんじゃないか

今僕の左腕にはこれだけの傷跡があります。痛々しく思ってしまった人には申し訳ありません。
これは入院中に撮影したもので、退院してからも一度何本か切りました。
僕は何がストレスになるのか自分でよくわかりません。
というのも、学校が辛くて家が辛くてどうしようもなかった時期に、「痛いのも辛いのも苦しいのも思うのを辞めてしまえば楽になるんじゃないか」と考えて以降そういった感覚が鈍くなってしまいました。気が付かないうちに積み重なって積み重なって爆発して自殺未遂やリストカット、ODに繋がりました。
現在、僕は自戒としてのリストカットは全くしていません。心の内に自戒はありますが、リストカットの理由はストレス発散です。
血を見るのが楽しい(自分のものに限ります、グロ系は何故か受け付けません)、切って心配されるのが嬉しい(これは境界性パーソナリティ障害の症状だそうです)、切ったらすっきりする、そんな気持ちからリストカットをしています。
傷は一生残るでしょう。
でもこの行為はいつ辞められるんでしょうか。
自戒ですら無くなったリストカットは辞められるのか、自罰的な性格の僕には無理な気がしました。
傷の上に傷を重ねたって大して変わりないと思えてしまいました。
今更まっさらに綺麗になることなんてないんだ、どうせ深く切る事も出来ないんだ、なら切ってすっきりしよう、心配してもらおう、そうして安心しよう。そんな考えの中で僕は今も生きています。

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