『チャイムが鳴る家』

 「キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン」

 チャイムの音で目を覚ました私は、隣の部屋で寝ているお父さんに一声かけ、白い壁とメイプル色の床材でできた階段を下る。一階から差し込む日によって乱反射した光が、目ヤニとまつ毛が引っかかり開ききらない私の視界を、白い光でいっぱいにする。覚めきらない脳と朝日の暖かい匂いもあいまって、身の危険は感じず、あたかも天国にいるような感覚が心地良い。そんな一瞬の幸せは、目ヤニとまつ毛の別れとともに、階段を下りきる前にはビッと終わりを告げる。

 洗面所で顔を洗い、リビングに向かうと、お母さんがキッチンで朝ごはんの準備をしている。食卓に朝ごはんが並ぶと、本日二度目のチャイムが鳴る。キーンコーンカーンコ―ン、キーンコーンカーンコーン。お父さんが階段を下りてくる。


 *****


 数年前に越してきた私の家は、チャイムが鳴る家だった。注文住宅だったけど、別にそんな機能をつけた訳でもないし、勿論、つけてないわけだからこの家には学校みたいにスピーカーも放送室もない。でも、何故か、チャイムが鳴る。

 初めてチャイムが鳴った日のことは今でも覚えている。三年前の私が中学二年生の時、ある程度新しい街と家の生活に慣れてきた頃の話だ。チャイムの音が鳴り、飛び起きた私は自分の部屋を出ると、そこには同じように、何とも言えない驚きの表情をしたお父さんが隣の部屋から出てきた。
「今、学校のチャイムみたいなの鳴ったよな!?」
お父さんが私に向かって言った。「うん、鳴った」と、私は答える。そして、バッチリ開いた目で階段を駆け下りると、そこにはキッチンで朝ごはんの準備をするいつも通りのお母さんの姿があった。

 私たち二人の顔を見て、お母さんが「どうしたの?」と笑う。お父さんが「今、学校のチャイムみたいなの鳴らなかったか?」と言うと、お母さんが「やっぱり?!」と興奮したように声を上げた。「やっぱりってどういうこと?」と私が聞くと、「私もさっき、いつも起きる時間の五分くらい前に、学校のチャイムみたいなのが聞こえた気がして起きたんだけど、お父さんに言われる今の今まで気のせいだと思ってた。夢かなにかかと」と、普段より少しばかり早口な口調でお母さんが答えた。いつも冷静なお母さんも流石にその感情を抑えきれないようだった。冷めやまらぬ興奮の中、三人で話していると、遠くからバイブレーション混じりの小さい音と、ジリンジリンという強く高い音が聞こえた。私のスマホのアラームとお父さんの目覚まし時計だった。

 このまま考えていてもどうしようもないので、とりあえず朝ご飯を食べようとなった。そうして、食卓にその日の朝ご飯だったパンとバター、スクランブルエッグとウインナーが載った皿を並べ終えると、そのタイミングでまたさっき飛び起きた時と同じチャイムが鳴った。全員が、今鳴ったよね、という顔で目を合わせると、「今鳴ったよね」とお母さんが言った。

 朝ご飯を食べながら、色々な考察をしたが、その時に分かったことは、お母さんが起きた時に鳴ったチャイムは私とお父さんには聞こえてなくて、私とお父さんが起きた時に鳴ったチャイムはお母さんには聞こえてなかったということだけだった。いつもよりスローペースで朝ご飯を食べ終えたところで、お父さんが「あっ」と声を発した。と同時に、点けていたテレビのニュース番組から七時を知らせるアナウンスが流れる。それを聞いたお母さんは「時間!」と叫ぶと、お父さんは慌ててスーツに着替え、歯磨きもせずに家を飛び出て行った。

 私がその後三回目のチャイムを聞いたのは、学校に行くために、いつも家を出る時間の五分前のことだった。

 そして初めてチャイムが鳴ったあの日から、チャイムは毎日欠かさず同じタイミングで鳴った。そんな日々を過ごしていく中で、私たち家族は、チャイムについて理解を深めていった。チャイムは、人によって聞こえたり聞こえなかったりすること。チャイムは、私たち各々の生活リズムに合わせて鳴っていること。決まった時間の五分前を知らせてくれるチャイムと、準備など日によって時間に誤差があるものはそれができた時点で知らてくれるチャイムの二種類のチャイムがあること。他にも、「テスト勉強だから毎日一時間は勉強しよ」「三時まで昼寝しよ」と声に出して言えば、その時間を知らせてくれるチャイムを設定できること。次第にチャイムが我が家に欠かせない存在になっていること。


 *****


 階段から下りてきたお父さんは顔も洗わず、朝ご飯が並んだ食卓の席につく。お父さんは、寝起きが悪い。だから、この家にチャイムが鳴る以前はとんでもなく大音量の目覚まし時計を使っていた。私とお母さんはその音が不快で嫌いだった。その後、チャイムで起きるようになったお父さんだが、そのチャイムの音にも耳が慣れてしまい、とうとうチャイムが鳴っても起きなくなった。だから今では、起きる時間が一緒の私が毎朝お父さんに声をかけ、軽く起こした状態にして、朝ご飯ができた合図のチャイムでお父さんが完全に起きるというシステムになった。私はそれが面倒なので、「チャイムで起きないんだったら目覚ましかけて。まだあの音の方が不快じゃない」とお父さんに面と向かって言ったことがあるが、お父さんは「それじゃチャイムが可哀想だろ。せっかく鳴らしてくれてんのに」と返してきた。「じゃあ起きろよ」と私は思ったが、これ以上言っても意味がないことを知っているのでその言葉を飲み込んだ。そもそもチャイムも呆れて、もう起床の知らせはお父さんには鳴らしていないんじゃないかなと、私は思う。

 朝ご飯のおにぎりを食べながら、「今日出発するの何時だっけ?」と私はお母さんに聞く。「お母さんのフラワーアレンジメント教室が終わってからだから、大体夕方の十八時くらいかな。最後だからいつもより少し遅くなるかもしれないけど。だから、まあその三十分前には家出れるように準備しといて」

「わかった」と、私は二つ返事をする。

 実は、お父さんの仕事の転勤による引っ越しでこの家とは今日でお別れなのである。私は、高校もあるし、「お父さんひとりで行ってよ」とお父さんの単身赴任を懇願したが、どうやらそうもいかないらしい。お母さんは「家族だから」と言っていた。そう言われてまで突き放すような父親嫌いの私ではないので、私は引っ越すことを承諾した。この家を引っ越すということは、つまり、チャイムともお別れということである。この家は、そのまま中古物件として売りに出されることになっている。たったの築三年だし、割と人気の街だから、すぐに次に住む人は見つかると思うが、注文住宅で設計の段階から携わっていたこともあって、手放すことに両親はとても悲しそうにしていた。私も理由は違うが、悲しかった。

 この家に住み始めて一年くらいしたある日の夜、酔っぱらったお父さんが私にこんな話をしてくれたことがある。「チャイムって、日本語で金の童と書いて『鐘』って書くだろ。だから、このチャイムは、この家に住み着く座敷童子みたいなもんなんだろうな」と。私は、漢字なんて人間の概念だし、そんなの現象に対する後付けじゃんとも思ったが、それと同時になんだか素敵な話だなとも思った。お父さんのくせに良い表現をしやがる。その後、完全に泥酔したお父さんは「我が家に金をもたらす童よ。我が家を、いや、我を億万長者にしてくれぃ~」と叫んでいたので、すぐに見損なったが、この時が、私がチャイムのことを好きになり、家族だとも思うようになったきっかけだった。今回のお父さんの転勤は昇進によるものだから、もしかしたら本当にお父さんの言う通りだったのかもしれない。

 そんなチャイムとの思い出を振り返りながら、空っぽの自分の部屋に寝ころび、天井を見つめる。緊張でなかなか寝付けなかった高校受験当日の朝、その合格発表の日の朝、初めて高校に登校した日の朝、中学で恋愛とは無縁だった私が初めて男子とデートに行くことのなった日の朝、その子に夜中にLINEで告白されて「朝のチャイムが鳴るまで考えさせて」と今考えると少し珍しい返事をしてしまったときのその朝の朝、その子にフラれて別れた翌日の朝、そしてこの家を引っ越す今日の朝、思えば君と出会ってからの私の日々は、全て君が始まりを告げていたんだね。明日からの日常がちゃんと始まるのか不安だよ、と私はヘタクソに笑って君に言う。少し間の空いた後に、まるで返事をするように君は鳴った。十七時二十五分だった。

 オレンジ色の光が反射した階段を、涙で水たまりができた視界で下りていく。すると、ガチャっと音がし、花束を抱えたお母さんが玄関から私に向かって言う。「思ったより早く終わったわ。準備できてる?」 私は、「うん」と言い、階段を下りた勢いそのままに靴を履く。荷物は全て車に積んでいたので、あとは私とお母さんが乗るだけだ。お父さんは仕事の関係で先に新居に越していた。私は玄関のドアを閉める前に、家の方を向いて自分の中で十分に思いを馳せたあと、一度も振り返ることなく車に乗った。

 後部座席から運転席にいるお母さんに声をかける。その花束可愛いね。お母さんは、「これはネリネっていって、ヒガンバナの仲間なのよ」と教えてくれた。私は何を思ったのか、「その花、一輪庭に植えてきてもいい?」と聞くと、お母さんは「いいよ」と言って、その花束から一輪とって渡してくれた。私は、庭の一番日が当たるところにその花を植えた。ネリネのピンク色の花びらがダイヤモンドのように輝いていた。

 私は満足し、再び車に乗る。お母さんがアクセルを踏みハンドルを切ると、ノスタルジーから逃げるように車は路地を進み、まだ見ぬ何かに引っ張られるように大通りに出た。1㎞ほど進んだ先の信号待ちで、開いた窓の隙間から夕方の風に運ばれた学校のチャイムが聞こえる。私は無意識にちらっとカーナビの時計を見る。十七時五十五分だった。

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