noteでノベルゲーム『薔薇の城』 *6 黒の薔薇姫
黒の薔薇姫
私は、貴女を愛している。
だから、受け入れるわ。貴女の何もかも。悲しみも、憎悪も、みんな、みんな、受け止めてあげる。
だって、私、本当に貴女を愛しているんだもの。私に都合のいい貴女だけを求めるなんておかしな話だわ。
「いいわ、薔薇姫。私を殺して」
笑顔で私は言う。
穏やかな気持ちだ。やっと私は、心の底から薔薇姫を愛せるんだわ。この想いは、私の死をもって成就する。はじめからこんな風に、貴女の全てを愛せれば良かった。
雄叫びを上げながら、薔薇姫の剣が迫る。
憎んで、私を。強く、強く憎んで、そして忘れないで。
「死ね、クソアマ!」
私は目を閉じる。
最期の瞬間を待って、どれくらいの時間が過ぎたのか。息をする度に、胸がわずかに上下する。しかし、いつまで経っても最期の瞬間がやって来ない。私はゆっくり目を開く。
私の目の前で、薔薇姫が振り下ろした剣を、ヒヨドリの御子が剣を手に受け止めていた。
「彼女は──私の花嫁だ」
鳥の足で握ったその剣は、微動だにしない。薔薇姫が幾度も幾度も剣を振り下ろすが、ヒヨドリの御子はいとも容易く弾き返していく。逆上した薔薇姫の大振りな一撃を、ヒヨドリの御子はすかさずかわし、手元を素早く狙い、振り払った。その衝撃で薔薇姫の手から剣が離れ、母子像の背後のタペストリーに突き刺さる。
「人間風情が、神に剣で敵うとでも?」
薔薇姫はゆっくりと後ずさり、距離を取る。
「君の身に危険が及べば助けを呼べ、と約束したはずだが」
ヒヨドリの御子が私に言う。
「まさか、死を受け入れようとしたのではあるまいな」
「私……」
「君が私に言った言葉だぞ。死を受け入れるな、と」
「ごめんなさい」
「構わない。私は許す。君の全てを許す」
ヒヨドリの御子はその場に剣を棄て、薔薇姫に向き直る。薔薇姫が嗤う。
「へえ……貴女の神様とやらはコイツのこと?」
「そうよ、鳥の王よ。ねえ、薔薇姫、もうやめましょう」
「やめる? やめるって何を? 私はまだ貴女を殺してないわ」
ヒヨドリの御子が、私の前に歩み出る。
「人間よ、やめるんだ。これ以上私の花嫁を傷付けるなら、容赦しない」
「貴方、鳥よね?」
「いかにも」
「なら、これはどうかしら?」
薔薇姫が、背中に背負ったクロスボウを構える。
「鳥を撃つにはおあつらえ向きだわ」
「やってみればいい」
「クソ鳥ッ!」
薔薇姫はクロスボウの引き金を引く。目にも止まらない速さで撃ち出されたボルトは、しかしヒヨドリの御子には届かない。ヒヨドリの御子は鳥の足を前にかざしていた。鳥の足とボルトの間に、空気の渦が見える。その空気の渦にボルトは阻まれ、そのまま宙に浮いて静止した。
「くそッ、くそッ、クソが!」
薔薇姫が何本ボルトを撃っても、その全てが空気の渦に捉えられてしまう。
「私たち鳥が、この世でもっとも風を自由に扱えるのだ。人の目ならともかく、我々神の目が、そのような緩慢な矢をとらえることは造作もない」
「へぇ……でもアンタは守ってるだけよ。私を止めることはできないわ」
宙に浮いていたボルトが、瞬時に向きを変え、薔薇姫を狙う。
「風を操れる、と言ったはずだが」
薔薇姫が歯ぎしりする。
「私を……殺すの?」
「やめて、ヒヨドリの御子、薔薇姫を傷付けないで!」
叫ぶ私を見て、ヒヨドリの御子は穏やかな様子を見せる。
「殺さないよ」
宙に浮いたボルトたちが、バラバラと地面に落ちる。
「その必要もない」
ヒヨドリの御子が悲しそうに首を振る。
その隙を見て、薔薇姫が残ったハンマーを手に襲いかかろうとするが、それは叶わない。異変に気付いたのは、彼女自身だった。
「何よ、これ!」
薔薇姫の叫びに驚いて、私は彼女を見る。薔薇姫の白い薔薇の服が、じわじわと黒く染まっていく。服だけではない。腕も、顔も、美しいブロンドの髪も、溶け出すタールのようなおぞましい色に染まっていく。
「呪いだ」
ヒヨドリの御子がうつむいて言う。
「君たち白の薔薇は、他者の幸福に尽くすことで白であれた。汚れた花弁が白に戻るのも、君たちの為すことに感謝する人々の思いがあったからだ。でも君は人を呪った。殺し、憎んだ。君には白い薔薇は似合わないよ」
「嫌よッ、私は白の薔薇姫なの! 世界で白い薔薇をまとっていいのは、この私だけよ!」
「私は花嫁を見守ってきたが、同時に君も見ていた。だから分かる。遅かれ早かれ君はこうなった。黒い薔薇にね」
「薔薇姫ッ!」
耐えられず私は叫び、薔薇姫に駆け寄る。
「しっかりして! 落ち着いて、人々に許しを請いましょう。私も一緒に、貴女の罪を背負うわ。もう一度、最初からやり直すの。私たち、二人で一人、白の薔薇に!」
「手遅れだ。離れるんだ、花嫁」
「砂漠の王と大臣と、そうよ、結婚式に出るのよ。みんなの請願もたくさん聞くの。きっとうまくいくわ、諸王との関係も一つ一つ修復していきましょう。不可侵条約を実現させて、争いのない、穏やかな世界に」
「話を聞け!」
「お願い、私、貴女なしに咲けるわけないじゃない!」
その瞬間、私の薔薇が、かつてない光を放って咲いた。花弁に付着した血や尿が蒸発し、青白い燐光をまとって辺りを包む。
薔薇姫の姿は、今やどこが目でどこが口か分からない。ギラリと光る黒い流体が、かき混ぜられる石炭の澱のようにうねる。ゴボゴボと泡立つ口と思しき場所から、薔薇姫の微かな声が聞こえる。
「ねえ、私、今、どんな色をしているの?」
「白よ! 貴女が白でなくて、誰が白だって言うの」
「……」
「薔薇姫?」
「貴女──今日の貴女、綺麗よ。本当に綺麗」
「貴女には敵わないわ」
「ええ、そうだったわね……。ねえ、薔薇姫」
「なに?」
「私、貴女のこと──」
言葉はそこで途切れた。真っ黒に染まった薔薇姫の身体は一瞬で灰になり、崩れた。
「薔薇、姫?」
抱き締めていた私の両手に、灰が積もっている。
「薔薇姫、嫌よ、私を一人にしないで……」
灰はひとりでにこぼれ落ちる。
「だ、駄目よ。薔薇姫が、崩れちゃう。灰を、灰を集めないと。身体がなくなってしまうわ」
私は震える手で灰をかき集める。
「なくなっちゃうわ。薔薇姫の身体を、集めないと」
「もう止せ」
ヒヨドリの御子が、鳥の足で私の手を押さえる。
「彼女は死んだ」
城内に侵入した諸王の兵士たちの声が聞こえる。
「嘘よ」
「認めろ、死んだんだ」
兵士たちの声が、聖堂にも近付いてくる。
「掴まれ、私の首に」
「嫌……」
「もうそこまで兵士が来ている!」
「嫌よ、薔薇姫がいないのに」
ヒヨドリの御子は鳥の足で無理矢理私の両手を引っ張り、胸に腕をかけさせた。
「悲しむなとは言わない。私と結婚もしなくていい。私を憎んでくれて構わない。でも、頼むよ」
そう言って、鳥の足に力を込める。
「生きてくれないか!」
私はヒヨドリの御子へと回した手に、力を込める。
「……すまない」
ヒヨドリの御子が、絞り出すように言う。
私たちが聖堂のステンドグラスを破って外へ出るのと、諸王の兵士たちが中に入ってくるのは、ほぼ同時だった。きっと兵士たちは困惑するだろう。ステンドグラスがひとりでに割れ、その場には灰が積もっている。そして、城のどこを探しても白い薔薇姫を見つけることはできない。
「森は、動物たちはどうなったの?」
「森は駄目だ、全焼だ。元の姿に戻るには何千年もかかる。動物たちは、怪我人が多いが死者は少ない。皆、鼻がいい。木の焼ける臭いで逃げ出していたからね」
「良かった」
城の中に入った諸王の兵士たちは、城内に誰もいないことに困惑しているようだ。あの様子なら、薔薇姫が灰になって死んだことも、城の者たちが地下水路から逃げたことにも、気付かないだろう。
「君はこれからどうする」
ヒヨドリの御子が、私に尋ねる。
「隣町に、皆を逃したわ。合流しないと」
「そのあとは?」
「それは……隣町にはいられないわ、諸王の追撃を受けてしまうもの。どこか、誰も知らないどこかへ行かないと」
「山がある」
「えっ」
「かなり先になるが、山と山の間に、小さな丘陵地がある。まだ人間の手付かずの場所だ。君たちを案内するよ」
「でも、動物たちは?」
私の言葉に、ヒヨドリの御子がふと笑う。
「新しい首領を決めてきた。私ほどの技量ではないが、任せておいて大丈夫だろう」
「私たちと生きてくれるの?」
「君が、望んでくれるならば」
「望むわ。今は一人でも多くの力を借りたいの。お願い」
「先に言っておくが、私の顔は怖い。皆に取り計らってくれ。食欲も旺盛だ」
遠ざかる城を見ながら、お別れを言う。さようなら。私たちの、薔薇の城。
隣町に着いた私たちは、城の者たちを連れて、長い長い旅をした。旅の間、森や山で生き延びる術をヒヨドリの御子が皆に教えてくれた。たくさんの山を越えた先の小さな丘陵地に、私たちは地図に載らない小さな村を作り、穏やかに過ごした。そして二度と薔薇の城に戻ることはなかった。
諸王たちは最初こそ互いに協力し合ったが、結局いがみ合い、戦争になった。牽制し合い、足を引っ張り合ううちに、南から侵攻してきた別の民族に征服されたと風の噂に聞いた。
失った右の乳房と貫かれた右太股の傷が癒えた頃、私とヒヨドリの御子は結婚した。私たちは幸せな夫婦になったが、子は生さなかった。私が老いさらばえ、この世を去るその時も、彼の黒真珠のような二つの目が私を見守り、私の胸の奥できらめいていた。
【完】
最後までお付き合いいただきありがとうございました。『薔薇の城』の物語はここで終わりますが、スタッフロールにお付き合いいただけると大変うれしいです。
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