しまっちは絵を◯◯して描いてるよね
保、ただいま。あのね、今日、ちょっと嬉しいことがあったんだ。嬉しいっていうか、ビックリしたって言うか……上手く言えないんだけど。
ある方が、俺の描いてる絵を見てくださってて、その絵について、「しまっちは絵を◯◯して描いてるよね」って仰ったんだ。
ビックリしたよ。
俺が絵を描いている間に、心の中で思ってた言葉《そのまま》が出てきたんだもの。絶句したし、「なんで……」って言うのが精一杯だった。
自分の中ではそう思ってるけど、人には絶対に口にしないでおこう、って思ってたのに、見抜かれちゃった。敵わないねえ。
それは、最初はとても嬉しくて。分かってくれる人いるんだ、って思った。けれど、家に帰ってくるまでの間、ぼんやりそのことを考えていたら、チョイ違うな、って。
だって、それってさ、俺の絵を見た人が、そういう気持ちを抱くってことでしょ? 俺が、俺の絵を見た人に感じて欲しいことって、なんか、それじゃねえよな、俺が必死過ぎんの伝わる絵とか嫌じゃね? って考えた。
もちろん、その方が仰ってるのは絵画練習帳の方で、普段の一枚絵のことじゃない。それは分かってる。絵が上手くなりたいし、絵画練習帳も続けるけど、最終的に出力するものがそういうものにはしたくないな、って思ったんだ。見る側が疲れる絵とか、性に合わないし。
何かを追求するには、執念みたいなものが要る。それは捨て去れないし、大事にしていくし、むしろ追求していくけど、もし何らかのゴールがあったとして、それを人が見た時に、「この人、いつも気楽に描いてるよねえ〜」くらいに言われるようになれたら、良いなあ、って思った。執念の塊だけが表現できる世界があることも知ってるよ? ひょっとしたら、今の俺が目指している先は、そういうものなのかもしれない。けれど、その、なんて言うか、「俺、頑張ってます!」ってのを押し付けてくるのって、ちょっと、この歳でカッコ悪いよね?
あ、これからは気楽に描くとか、そういうことじゃないよ。もちろん頑張って描くさー。ほら、俺、痛みとか苦しみの上に手に入るものにしか興味がないの、知ってるでしょ? この手に残る痛みだけが、俺を赦してくれる。俺を保証してくれる。
いやー、それにしても、参ったね。やっぱ、分野を問わず、何かを突き詰め続けている人ってすごいね。分かっちゃうんだね。いやー、良い勉強させていただいた。こんなこと、誰も教えてくれないもの。学ぶ機会そのものが無いんだもの。ありがてえ。
さて、24時半。描くか。