実家に帰省している。
実家に帰省している。ただ今、26時7分。寝付けない。
上の妹と姪も帰省している。会うのは数年ぶりだ。僕と違い、しっかりした妹なので安心する。地元に戻るというのは歳を経るごとに不思議な感覚に陥るものだ。何もかもが懐かしい。高校生時代に通った電車に乗る。僕が滋賀県に引っ越した頃からある建物が、いまだに残っている。薬屋の建物はともかく、布製の登りまで高校生時代のままで、思わず笑ってしまった。
妹と姪と、地元の神社のお祭りに行く。奉納花火があるというので、とても楽しみにしていた。花火なんていつ以来だろう。姪と二人で露店を回ったり、妹のビールとポテトを買いつつ姪のかき氷とチーズの韓国系の何か(名前を忘れた)を買うのに、手が足りなくて笑えた。焼き小籠包と牛串を買って食べた。心地よい風の吹く、いい夜だった。
でも、僕はまだ気付いていなかった。これは神社のお祭りなのだ。儀式なのだ。花火大会ではなく、奉納花火なのだ。神様に捧げる花火なのだ。
打ち上げられる花火は一時間で二千発。規模としてはかなり小さい。周囲の人たちは、神事に関心を持っていない。ただの花火大会だと考えている。花火を見る場所へ向かう橋を渡る際に、橋の下を御神輿を乗せた舟が通ると言うので通行止めになった。周囲からは不満の声が漏れる。
「全然関係ないやん、舟が下を通るだけでなんで橋が渡れなくなるねん」。あからさまな言葉に、僕は心底腹が立った。考えて分からないのか? 舟には御神輿が乗っているんだぞ。御神輿はその祭りの間、神様が居てくださる場所なんだぞ。神様を乗せた舟の上を、人が歩いていいと思っているのか? お前は神社のお社の屋根に乗るのと同じことをしようとしているのだぞ。
奉納花火が始まったが、十分ほどで花火は一度止まった。そこから二十分間、会場の川を、御神輿を乗せた舟が回っていく。これは神事のプロセスなのだ。だが、周囲の人たちにはただ花火を待たされる時間でしかない。途中で帰ってしまう人も出てくる。けれど、僕は何かに導かれるように、舟に乗せられゆっくりと川を周る御神輿を見ていた。
その時だった。懐かしい声がした。
「──久し振り、やな」。
周りを見回すが、その声の主の姿はなかった。あるはずもなかった。死んだ人間の声だったからだ。
相方の声だった。
「また、花火、一緒に来れたな」。
僕は口には出さずに、心の中で答えた。そうやね。本当に、久し振りやね。
周囲の人たちは、花火の続きがなかなか始まらないものだから、立って歩き回ったり、出店に買い出しに行ったり、騒がしい。でも僕はそれどころじゃなかった。今、僕の隣に、間違いなく相方がいる。あれだけ会いたかった相方が、僕の隣で、一緒にゆっくりと遠ざかる御神輿を見ている。そうか、今はお盆だったんだ。相方は、御神輿に乗って僕に会いに来てくれたのだ。
「最近、ちょっとしんどそうやな」。
僕は相方に笑って言った。そうでもないよ、昨年の今頃に比べれば、ずっとマシになったよ。御神輿を乗せた舟は着岸して、陸地へ御神輿が降ろされた。そのまま、御神輿は神社へ戻るのだ。
「時間だ。もう行かないと。一緒に花火、見れたらいいんやけどな」。
いいよ、全然。僕はゆっくり言った。あなたに会えた、もうそれだけで充分。また来年来るよ。会いに来てくれて本当にありがとう。
この六年、どれだけあなたに会いたかったか、と言いかけてやめた。言っても仕方のない事柄はある。そう、言っても仕方がない事柄はある。
相方の気配が消えて、再び花火が上がり始めた。奉納の花火。この花火が神様に捧げるものであるならば、きっと相方にも見えているのだろう。
しばらくは花火の画像や動画を撮ってみていたが、途中でやめた。すべからく、美しいものは肉眼で見て感じ、思い出とすべきものなのだ。自分の目で見るのが一番美しい。記憶に刻む。僕はただ、相方も見ているこの奉納花火を、ぼんやりと昔の出来事を思い起こしながら見ていた。無性に泣きたくなったが、妹と姪の手前こらえた。その涙が喜びであったのか、悲しみであったのか、それはもう分からない。
花火大会ではなく奉納花火。たったそれだけの違いで、こんなにも印象が変わるという事実が、僕の心に強く焼き付いた。来年も行けるといいな。