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noteでノベルゲーム『薔薇の城』 *2 ピンクの薔薇姫

本作『薔薇の城』は「noteで遊べるノベルゲーム」を目指して書いた物語です。物語を読み進め、記事の最後に現れる選択肢を選ぶことで、展開や結末が変化します。途中から読み始めた方は、ぜひ最初から読んで、ご自身で選択肢を選んでみてください。

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ピンクの薔薇姫

「では、ピンクでしたら問題ないかしら?」

 私の言葉に、王と大臣の目が輝く。

「と申しましても、私、本当にこの白い薔薇以外の服を着ることを禁じられておりますの。ですから──」

 私は椅子を立ち、窓に向かう。

「レースやヴェールでは駄目だめね、花嫁のドレスとかぶってしまうわ。そうだ、オーガンジーなんてどうかしら。ピンクのオーガンジーで、シンプルなローブを作らせましょう。それをこの服の上にまとうの」

 私はゆっくりと振り返り、王と大臣に向かって言う。

「白い薔薇の服の上に、ピンクのオーガンジーのローブをまとえば、服はけて見えるけれど、色はピンクですわ。いかがかしら?」

 王が涙を流している。

「おお、なんと寛大かんだいなご配慮はいりょ! 姫様、心より感謝申し上げます」
「あら、嫌だわ、陛下。今泣いてしまったら、結婚式当日の分の涙が足りなくなってしまいましてよ」

 私は王の側へ歩み寄り、そっとハンカチを渡す。

「これは失礼、私は手前でハンカチを持っておりますので」
「いえ、どうぞお使いになって。私のハンカチには毎日、薔薇のしずくを込めておりますの。気持ちが落ち着きますわ」

 王にハンカチを手渡しながら、私は大臣にたずねる。

「あら、嫌だわ。私、勝手にピンクだなんて決めてしまって。私のお隣に座られる皆さまと、色が重なってはいけませんわね。周りの皆さまのお召し物はどんなお色のご予定ですの?」
「いえ! とんでもございません、ピンクで結構でございます。白の薔薇姫様のお手をわずらわせるようなことは致しません。周囲に問題がございましたらば、私が周囲の者に色を変えさせます」
「まあ、心強いわ、ありがとう。私、本当に白以外の服を着ることは初めてですの。だから少し緊張いたします」
「何をおっしゃいます、薔薇姫様。姫様ほどのお美しさであらせられれば、いかなる色とてお似合いになりましょう」
「実に、実にその通り」

 ハンカチで幾度も目元をぬぐいながら、王が続ける。

「はるばる我が国まで足をお運びいただくだけでなく、かように寛大かんだいなご配慮はいりょ、身に余る幸せにございます。お言葉をいただき、安堵あんどいたしました」
「白の薔薇姫様、誠にありがとうございます。陛下、お忙しい姫様のお時間をあまりお取りしてはいけません。参りましょう」
「うむ、そうだな大臣。では姫様、私どもはこれにて失礼いたします」

 謁見室から去る砂漠の王と大臣を見送り、深々とため息をつく。本当にピンクで良かったのだろうか。

ヒヨドリの御子みこ

 午後からは、国に住む者たちからの嘆願を聞くことになっていた。今日も城には大勢の嘆願者が列を作る。

 一人一人の嘆願を聞き、対処や考えを述べ、記録係に書き取らせていく。記録係は六人いて、一人が一つの嘆願を担当して交代で記録していくが、それでも記録係の誰かの手が止まるまで待たねばならないこともしばしばだった。多くの嘆願者は急いでいて、早口なのだ。

 丘陵地の麦畑の案山子かかしによる、カラスからのひどい仕打ちについての話を聞き終わったところで、私と記録係は少し休憩を挟んだ。あたたかい紅茶と香ばしいビスキュイをいただきながら、私と記録係たちは、今日挙がってきた嘆願の対応策を話し合っていた。

「失礼」

 不意に隣で見知らぬ男性の低い声がした。私はこの世界の人の声なら大抵覚えている。でもこの声には聞き覚えがない。誰だろう。

「ごめんなさい、今は休憩中なの。嘆願は少し後で──」

 男性の方を向いて驚く。ゆうに190cmはあろうか、細身ではあるが長身の男だ。灰色の乱れた髪が腰まで伸び、肩から床まで汚れた灰色の翼が生えている。目の周りだけが鮮やかなオレンジ色で、その中に黒真珠のような瞳が、どこを見るともなく浮かんでいた。

「ああ、待つよ」

 静かに男性は答えたが、その瞳がどこを見ているのかはまるで分からなかった。

「失礼ながら、そのビスキュイ、一ついただいても?」

 男性のとらえどころのなさに困惑していた私は、ハッとなり、ビスキュイの皿を差し出す。

「失敬」

 言うが早いか、男性の翼と肩の間から鳥の足が伸びて、ビスキュイを一つつまんでいった。男性は鳥の足を器用に使ってビスキュイを口に運び、一口かじる。

「こいつは上等」

 頭・胴体・足は人間で、肩から翼と鳥の足が生えているなんて。腕がない替わりに鳥の足だけれど、これじゃ人間の足と鳥の足が両方あることになる。

 男性は小刻みに口を動かし、うむ、うむ、とうなりながらビスキュイをかじり続けていた。

「あの、貴方は?」
「ああ、これは失礼、この頃はロクなものを食べていなくてね。あまりにビスキュイの良い香りがしたものだから」
「そうじゃなくて、貴方の名前よ」
「名前?」

 男性はうつろな目で私を見る。そして、小首をかしげた。

「名前──名前とは、何だろうか?」
「貴方、記憶がないの?」
「記憶?」

 男性はビスキュイをかじり続けながら、考えるような仕草をして、言った。

「分からないな。名前と記憶の有無に、どういったつながりがあるのだろうか」
「普通は誰にでも名前があるものよ。貴方はそれを忘れているんじゃないかしら」
「奇妙なことを言う」

 男性はビスキュイをかじるのをやめ、私の顔をのぞき込む。

「私には正しく記憶がある。ただ名前がないだけのことだよ。名前はラベルのようなものだ。記号のようなものだ。個を識別するために与えられた、音の羅列だよ。鼻歌にも等しい。それが無いことに、なぜ君は固執こしつするのだろうか?」
「それは……」

 そう言いかけて、そこで初めて私は気付いた。この人は、生き物じゃない。

「貴方、神様ね?」

 私の言葉を聞いて、男性はゆっくりと頭を戻す。

「鳥たちの神様なんでしょう?」

 男性はまた小首をかしげて、ビスキュイをかじりながら外に出ていこうとした。

「ビスキュイをありがとう」

 男性は、相変わらずどこを見ているか良く分からない目で、少し微笑んだ。

「嘆願の列に並ぶよ。君と話したくて来たんだ」

 私と記録係が休憩を終えて、嘆願を再開して、男性の番になったのは一番最後だった。日は少し傾き始め、今にも夕焼けが始まりそうな時間だった。

「君のところへビスキュイをもらいに行って、列に並び直したからね。最後になってしまったよ」
「ビスキュイは高くついたわね。並んでいれば早く終わったのに」
「良いんだ」

 男性は静かに言った。

「最後なら次に待つ人を気にしなくて済む。ゆっくり君と話ができる」

 太陽がその色を黄色から赤く変える様を少し見て、男性は続けた。

「私たち鳥は、今大いに困っている。食糧難だ。森の木の実や果物を、あらかた他の動物たちに食べられてしまった」
「そう……。私たちに何ができるかしら」
「何もしなくていい」
「えっ?」

 思わず私は聞き返す。

「何もしないでもらいたい。何かされては困る」
「どういうこと?」
「自然とはそうしたものだ。厳しい時期には、その種族に多くの餓死者が出る。私たちは私たち自身でそれを乗り越えなくてはならない」
「城にはまだ食料の備蓄があるわ。それを森に」
「それが困ると言っている」
「どうして?」

 男性はうつむく。

「それは人間の傲慢ごうまんだ。分からないか? 確かに人間から食料を与えられれば、餓死をまぬがれる者もいるだろう。しかしそれは人為的なものだ。自然ではない」

 ゆっくりと男性は顔を上げ、つぼみを開き始めた瞬間の、芙蓉ふようの色をした雲を眺めた。

「私たちは自然によって生き、自然によって死ぬ。それが鳥の生き方なんだ」
「そう」

 男性の見ているであろう雲を、私も眺めた。

「仕方ないわね。でもこれじゃ嘆願にならないわ」
「なるさ」
「えっ?」
「今からなる。ここからが嘆願だ」

 私は男性に向き直ったが、男性は雲を見つめたままだ。

「そうなの? では引き続き、嘆願をどうぞ」
「ああ。私と結婚してくれないか」

 抑揚よくようのない声が響く。記録係が、思わずその手を止める。

「ずっと見ていたんだ、君のことを。城の上をグルグル飛びながらね」

 あまりのことに言葉を失う。これは、嘆願?

「私たち、特に我々ヒヨドリへの人間による処遇しょぐうは良いものとは言えない」
「ヒヨドリ?」
「ああ、私はヒヨドリなんだ。全ての鳥のおさつとめてはいるがね。我々ヒヨドリは森の食料が尽きると、人間の領域に出て農作物を食べる。先ほど君からビスキュイを失敬したようにね。おかげで農業に従事している人間からは強く敵視されているし、狩猟鳥にも指定されてしまった。君と私が結婚するとなれば、そうした人間から反対されるかもしれない」
「ちょっと待って、私、何もまだ」
「分かっている」

 男性は静かに立ち上がった。

「今日は嘆願に来ただけだよ」

 なんだか腹が立ってきて、私も立ち上がる。

「こんなの嘆願じゃないわ!」
「そう? 君は奇妙なことを言う。だって君は」

 男性はゆっくりと翼で私の頬に触れる。

「こんなにも美しい」

 美しい? 私が? それはそうよ、私は白の薔薇姫なんだもの。

「ちょっと待って!」

 あわてて私は言う。

「貴方、空から見ていたのなら知っているでしょう? 私は、私は!」
「知っているよ」

 男性は動かない。

「君とそっくりな娘がいるね」
「そうよ、私たちは二人で一人。ずっと一緒なの。これまでも、これからも。どっちがどっちかなんて誰にも──」
「分かるさ」

 男性の口元がゆるむ。

「ずっと見てきた、って言ったろう? 確かにあの娘は君に似ている。外見はね。けれど中身は別物だ。君は清らかで誠実だ。それに」

 私の頬に触れた翼が、ゆっくりと上下する。

「外見だって違う。表情が違うんだ。君の笑顔はとてもおだやかだ。君の笑顔を見るとね、私は胸があたたかくなる。私は君に、恋をしているんだ」

 私の口から言葉が出てこないのはなぜだろう。罵倒ばとうする言葉も、あきれる言葉も、出てこない。

「君は私の名前を聞いたね。確かに、私に名前がないと、君が不便かもしれないな。かつて私の姿を見た人間が、私をこう呼んだ。『ヒヨドリの御子みこ』とね。だから、今日から私は、ヒヨドリの御子みこだよ」

 その瞬間、周囲にとてつもない風が吹き込んだ。

 あまりの勢いに顔をおおい、風が止み、目を開けてみると、もうそこにヒヨドリの御子みこの姿はなかった。城の窓の外、夕焼けの空をヒヨドリの御子みこは飛んでいた。ゆっくりと輪を描くように何周か泳いだあと、あの低い声からは想像も付かない高く透き通った声で一鳴きして、彼は消えた。

夜の薔薇姫たち

「ピンク?!」

 薔薇姫の鋭い声が、城のバルコニーに響く。

「ごめんなさい、薔薇姫。貴女に相談できなかったことは謝るわ。でも他の方法を思い付けなかったの」

 私の声は薔薇姫に届いていない。

 夜、私たちは城のバルコニーで、その日一日にあったことの報告をする。出来事の共有をしておかなければ、二人で一人の人格を演じ続けることはできない。

「おかしいじゃない! 世界を支える私たちが、わざわざ砂漠くんだりまで出向いてやるのよ? それでどうして着替えなきゃならないのよ!」
「薔薇姫、お願い、そんなに怒らないで。私の考えが足りなかったのよ」
「ええ、そうよ! 貴女が間抜けだからこんなことになるのよ!」
「砂漠の国には私一人で行くから。貴女には迷惑をかけないようにするから!」
「当然でしょ?」

 薔薇姫が冷ややかな目で私を見下ろす。

「砂漠に行って貴女の花弁がどれだけしおれようが、知りやしないわ。貴女、私が何に腹を立てているか、分からないんでしょう?」
「分からないわ……どうしてそんなに怒るの?」
「色よ!」

 吐き捨てるように薔薇姫が言う。

「どうしてピンクなのよ! あんな安っぽい色。世の男どもが身勝手に『女性にはこういう色を好きでいて欲しい』って妄想を垂れ流すための色じゃない!」
「そんなことないわ、ピンクにも色んな色があるじゃない。淡い色も、濃い色も」
「じゃあ、貴女、股を開きなさいよ」

 しゃがみ込む私の前に仁王立ちして、薔薇姫が言う。

「下着を降ろして、股を開いてご覧なさいよ」
「できないわ、そんなこと!」
「中の色を見せなさいって言ってるのよ!」

 両足で私の閉じた太股を開き、薔薇姫は両腕で私の下着を力づくで降ろし始める。

「嫌ッ、やめて!」

 あらん限りの力で、私は薔薇姫を突き飛ばした。薔薇姫は思った以上に遠くまで飛び、倒れ、動かなくなった。

「嘘……」

 私は下着を戻しながらヨロヨロと立ち上がる。

「薔薇姫?」

 恐る恐る薔薇姫に近付いてみるが、薔薇姫は身じろぎ一つしない。

「薔薇姫!」

 私は何度も薔薇姫の身体を揺さぶる。しかし、薔薇姫の身体は糸の切れたマリオネットのように、グニャグニャと揺れるだけだ。

「嘘、嫌よ、しっかりして、薔薇姫! 私、私、貴女を愛しているのに!」

 その瞬間、世界が反転した。

 それが世界が反転したのではなく、自分が反転したのだと分かるまで、しばらくかかった。

「──愛してくれてありがとう、薔薇姫」

 気付けば私の身体は、がっしりと薔薇姫に押さえ込まれている。演技だったのだ。

「でも、おあいにく様。私が愛しているのは私だけ」

 薔薇姫がわらっている。

「私が貴女を愛しているのは、貴女が私だからよ? 分かるでしょう、私たちの内側がどんな色をしているか。あの色が、最も男の欲望をき立てる。だからあんな色をしているの。その色を身にまとうですって? とんだ色情魔もいたものね」

 私を押さえ込む薔薇姫の力が、少しずつゆるんでいく。

「正直、貴女が私を突き飛ばせるとは思っていなかったわ。私が貴女を甘く見ていたようね」

 薔薇姫は私から手を離し、その場に立ち上がる。

「でも、次は無いわ。次にもし貴女が私に手を上げようものなら、その時は──」

 薔薇姫の顔に表情はない。まるで道端にある石ころを見るような目で言う。

「貴女を殺すわ」

 ふるえる声で、私はたずねる。

「薔薇姫、貴女、本当は白が嫌いなの?」
「貴女、何を言ってるの?」

 さげすんだ声で薔薇姫は言う。

「私以上に白が似合う女性なんて、いやしないわ。例え、貴女であってもね」

 気だるそうに身体をひるがえして、薔薇姫は部屋に戻っていく。

「疲れた。明日は私の番なんだから、先に休むわよ。せいぜい綺麗なピンクにして頂戴ちょうだい。貴女が着たところで、どのみち私が着たことになっちゃうんだから」

 バルコニーに座り込んだまま、私は思う。

「ねえ、薔薇姫」

 力づくで押さえ込まれた腕が痛む。

「私、貴女に着せるとしたら、ピンクが一番素敵だって思ったのよ。だとしたら、私の」

 冷えた外気にふるえを覚え、両膝りょうひざをグッと抱き締める。

「私の貴女への気持ちが、汚れているのかしら」

薔薇姫ではない朝

 今日は、私は薔薇姫じゃない。表で白の薔薇姫として振る舞っているのは、薔薇姫。私は休みだ。私が外に出て、白の薔薇姫が二人だとさとられるわけにはいかないから、休みの日に外に出ることはできない。

 昨夜は──昨夜の薔薇姫は、本当に恐ろしかった。薔薇姫があんなにピンクが嫌いだったなんて。ただピンクだというだけで、彼女がここまで腹を立てるとは思いもしなかった。

 ずっと一緒に過ごしてきたのに。ずっと愛してきたのに。私は、薔薇姫をまるで理解できていない。

 薔薇姫は違う。むしろ私を知り尽くしている。私の想いも、私の愚かさも、全部。どうして彼女にはそれができて、私にはそれができないのだろう。

 考えていると、ふとヒヨドリの御子みこの言葉が思い浮かぶ。

「確かにあの娘は君に似ている。外見はね。けれど中身は別物だ」

 本当にその通りだ。私たちは違う。もし、私が薔薇姫ほど賢明だったら、私は薔薇姫を傷付けずに済んだだろうか? でも、どれほど二人で一人であろうと願っても、どれだけ私が薔薇姫を愛そうと、同じにはなれない。

 同じ?

 思い当たって、初めて気付く。私は薔薇姫と同じになりたいの? 私は……

 私は、薔薇姫になりたいの?

 違う。私は薔薇姫の側で、共に咲きたい。薔薇姫に愛されたい。

 でも、私が私である限り薔薇姫を傷付け続けてしまうのだとするなら、私のこの想いはただの身勝手な欲求の押し付けだ。つまりそれは、私の薔薇姫への愛情が、呪いであり、絶望でしかない証左しょうさじゃないか。

 ベッドの上からぼんやりと窓の外をながめる。今頃、薔薇姫は周辺国の諸王を集めて、国家間の不可侵条約を取り付けるべく議論しているはずだ。薔薇姫は私よりずっと頭が良い。きっと、不可侵条約も問題なく締結されるだろう。

 それに比べて、私は。

 目を閉じる。

 私は、駄目だ。内政も外交も不得手で、人付き合いも上手くいかない。私が咲けば世界の安寧あんねいが保たれると言うけれど、私には咲くことしかできない。

 本当に世界を支えているのは、世界の一つ一つの命なのに。実際に畑をたがやし、ものを作り、子を育て、生きているものたちなのに。世界の調和の象徴、白の薔薇姫? 私にはおこがましい。

 悲しい気持ちで目を開くと、カーテン越しにバルコニーに人影が見える。城のバルコニーまで入ってこられるようなすべはない。一体どうやって?

 人影は音もなく窓際にすべり寄り、窓をノックした。

「誰?」

 人影からの答えはない。

 私は用心しながら、そっとカーテン越しにその姿をのぞいてみる。人影は、ヒヨドリの御子みこだった。

「どうやってここへ?」
「相変わらず、君は奇妙なことを言う」

 ヒヨドリの御子みこは小首をかしげる。

「鳥がバルコニーに来ることが、そんなに不思議かい?」

 そうだった。彼は鳥なのだ。

「外に出ないか。今日、君は一日休みなんだろう?」
「どうしてそんなことまで知ってるの?」
「言ったはずだ。ずっと君を見てきた」

 周囲をチラリと見回してから、ヒヨドリの御子みこが続ける。

「今なら大丈夫だ。誰にも気付かれない」
駄目だめよ、見付かったら取り返しが付かないわ」
「早く。時間がそうあるわけじゃない」

 ヒヨドリの御子は窓を静かに開き、私に背を向けて腰を落とした。

「私の首につかまるんだ。空に上がれば、誰の目にもとらえることができない。森へ行こう。森の奥なら誰に見付かる心配もない」
「本当に?」

 不安げな私に、ヒヨドリの御子みこおだやかに答える。

「私を誰だと思っている。鳥たちの王だ。どのみち今日一日部屋で過ごしたところで、君は一人で無為むいに思い悩むだけなのだろう」

 それは……そうだ。

「見て分からないか。この体勢も、そう楽な姿勢ではない」
「分かったわ」

 意を決して、私はヒヨドリの御子みこの首に腕を回す。

「息をとめて」
「えっ?」
「いいから、早く」

 言われるままに、私は息をとめる。

 一瞬、ヒヨドリの御子みこの腰が沈んだかと思いきや、とてつもない勢いで上空からの圧力を感じる。垂直に上昇しているのだ。あまりの勢いに思わず目を閉じる。周囲の空気がみるみる冷たくなるのを感じる。細かな水滴や霧が、顔や腕に降り注ぐ。

 突然ふわりと勢いが止んだ。上昇が終わったのだ。私はそろそろと目を開く。眼下に城を探したが、見付からなかった。目の下には、一面の雲が広がっていた。

「ここは、雲の上なの?」
「そうだ。雲の上まで見通せる人間はいない」
「そのためにここまで登ってきたの?」
「君が構わないなら、城の周りを悠々ゆうゆうと飛んでいくこともできたが」
「ふざけないで、そんな姿を誰かに見られたら……」

 言いかけて、呼吸がうまくできないことに気付く。頭や耳の奥に、張り詰めた音がする。

「すまない、君にはここは空気が薄すぎる。すぐに森に降りるよ。もう少しだけ、我慢してもらいたい」

 ヒヨドリの御子みこすべるように雲から雲を渡り、そして垂直に森へと降りた。

 降りた先は、森の中心だった。森の入り口周辺と違い、一面に背の高い針葉樹が立ち並んでいる。マツの木だ。足元には細い針のようなマツの葉が、絨毯じゅうたんのように積もっている。一歩歩くたびに、これがマツの葉かと疑いたくなるほどの、フカフカした柔らかな感触が伝わってくる。

「柔らかいだろう?」
「ええ、とてもマツの葉とは思えないわ。舶来はくらい絨毯じゅうたんみたいよ」
「この辺りはずっと昔からマツの葉が降り積もっている。ずっと、ずっと地面の下にね。表面はそうでもないが、下に積もったマツの葉はたくさんの雨水をたくわえている。知っているかい? マツの葉が吸った雨水は、とても甘い味と香りがする」
「飲んだことないわ」
「君はやめた方がいい。あくまで私たち鳥の話だ」

 私たちは、枝のないまっすぐなマツの木々をながめた。

「不思議だわ。どうして枝がないの?」
「枝は自然と枯れ落ちるんだ。こうして密集して生えていると、互いの影で枝には日が当たらなくなる。その結果、日の当たる先端にだけ枝葉が生え、それ以外の枝は枯れ落ちる」
「神秘的ね。まるで神殿の柱のよう」
「神殿だよ」

 ヒヨドリの御子みこおごそかに言う。

「ここは私の神殿だ」

 私はヒヨドリの御子みこの顔を見て、もう一度マツの木々を見上げる。

「本当に……神様なのね」
「無論だ」

 居並ぶマツの木々を見ていると、胸の奥が自然におだやかになっていく。気持ちが落ち着くにつれ、見えているものだけでなく、様々な感覚がまされていくのが分かる。

「とても静かだわ」
「ああ、高くまで空間が広がっているからね。よく耳をかたむければ、色々な場所からの音がここに響いてくるのが分かるさ。森の入り口周辺の音だって、この神殿には響いて、私は聞き取ることができる」
「鳥の……鳴き声かしら」
「聞こえるかい? 君にも聞き取ることもできるだろう。鳥たちは高い声を上げるからね、響きやすい」

 うっとりとするような香りが、どこからかただよってくる。

「何か、甘い香りがするわ」
「素晴らしい」

 ヒヨドリの御子みこが、驚いた素振そぶりを見せる。

「川だ。川の水の香りだよ。この近くに、川が生まれる場所がある」
「川が生まれる場所?」
「どんな川にも始まりの場所がある。水が少しずつ集まって、ある場所から川が始まる。それが川が生まれる場所だ」
「見てみたいわ」
「それはまた今度。人間には少し危険な、足場の悪い場所でね。それより──」

 ヒヨドリの御子は静かにマツの葉の上に腰を下ろし、両手を組み、あごをその上に乗せた。

「君は大丈夫なのか」

 私は振り返り、たずねる。

「大丈夫って?」
「昨夜のことだ。彼女のあんな仕打ちを受けて、君が平気とは思えない」
「見てたの?」
「見ていたさ。一部始終ね」

 だとすると、彼は薔薇姫が私を押し倒すさまも見ていたのだろうか。そう思うと、私は途端に恥ずかしくなった。

「平気よ。いつものことだもの」
「なぜ嘘をつく」

 ヒヨドリの御子の目は黒く、その中をうかがい知ることはできない。でも、その目が鋭く私を見抜いていることを、私は認めざるをない。

「君の下着を下ろして、またを開かせようとするなんて、これまでになかった。あれは明らかに異常だ」
「やめて」

 私は目を伏せる。彼の目は黒く、まっすぐすぎて、目を合わせることが難しい。

「彼女を悪く言うのはよして」
「すまない」

 ヒヨドリの御子みこが顔を伏せる。

「でも私は、君があんな目にうのがとても辛い」

 ヒヨドリの御子みこは、翼をわずかに開いたり閉じたりを繰り返して、言う。

「君が好きなんだ」

 吹き抜けのマツの木々の間を、彼の言葉が通り抜けていく。言葉は互いのみきに反響し合って、教会の鐘のように反復しては遠ざかっていく。

 私はヒヨドリの御子みこの隣に座った。

「ありがとう。貴方は見た目が少し怖いけれど、優しいのね」
「そうでもない。見た目が怖いのは認めるが、決して優しいわけではない。私はヒヨドリだ。皆が育てた農作物を失敬する。君のビスキュイもね」
「ビスキュイなら、いくつでも進呈しんていするわ」
「そうもいかない。我々ヒヨドリは食べ物をひとめしたがる悪癖があるからね。ある分は全部一匹で食べくしてしまう。君の分がなくなってしまうよ」
「それは困るわ」

 思わず私は笑ってしまう。

「休憩時間にお菓子がなくて、紅茶だけなんて嫌」

 ヒヨドリの御子みこの口元が緩む。

「その顔だ」
「え?」

 ヒヨドリの御子みこの翼が小刻こきざみにふるえ、ゆっくりと開いて、閉じた。

「君のその笑顔が好きなんだ」

 彼の黒い目が笑っている。

「どうせ生きるなら、私は苦しくても笑って生きる道を選ぶ。その方が得だと君は思わないか」
「生きることに、損得を考えたことはないわ」
「なら今、考えてみてはどうかな」
「今?」
「今だ」

 損をする生き方、得をする生き方? なんだかあさましい気がする。

 私は横目でヒヨドリの御子みこを見る。ヒヨドリの御子みこは、翼を上に大きく伸ばし、鳥の足をグルグル回しながら、あくびをしている。

 鳥だから損得の話になるのだろうか。人間だから善悪や倫理で考えがちなのだろうか。私はぼんやりとそう考えてみる。

「誰だ?!」

 突然、ヒヨドリの御子みこが立ち上がった。その面持おももちは、これまでに見たことがないほどにけわしい。

「何? 誰かいるの?」
「違う。この付近じゃない。おかしな音がする」
「おかしな音?」
「静かに」

 ヒヨドリの御子みこに制され、私は音を立てないようにしながら耳を澄ましてみる。でも、私には何も聞こえない。

「城だ」
「えっ?」
「君の城から嫌な音がする」
「城?!」
「黙って!」

 再び制されて、慌てて私は口を押さえる。できるだけ音を立てないように、私もゆっくり立ち上がる。

「この音は──燃えている! 君の城が燃えている。今すぐ戻らないと!」

 ヒヨドリの御子みこが背を向け、腰を下げる。

「早く首を!」

 私はすかさず首につかまる。すさまじい速さで、ヒヨドリの御子みこは針葉樹の木々の間をすり抜けていく。

「この際、雲を経由するのは無しだ。一刻も早く君の城に……」

 森の木々は針葉樹から広葉樹に変わり、その瞬間に私たちは森を抜けた。

 森を抜けた目の前、薔薇の城は、城全体が炎に包まれていた。

「君の、城に……」
「う、嘘よ」

 城の周囲で、人々の争う声が聞こえる。言い争っているのではない。互いに手に武器を持ち、人々は殺し合っている。

「一体、何が……」
「なぜ? どうして?!」

 薔薇の城の前にある広場には、巨大な投石器が運ばれている。人々が力を合わせて投石器を巻き上げ、掛け声に合わせて皆が手を離す。投石器から放たれた巨大な岩のかたまり尖塔せんとうにぶつかり、塔が崩れ始めた。

「やめて! あなたたち、何が不満なの!」

燃える城

「落ち着くんだ、まず城に戻らねば」

 ヒヨドリの御子みこが、全速で城の上空へ飛ぶ。

「落ち着くって何がよ! 燃えてるのよ、城が! みんなが城を壊してるのに!」
「みんなって誰だ! 誰がなぜ城に火を放ったのか、誰がなぜ城を壊すのか、それが分かるまで気を確かに持つんだ」
「嫌よ、もう嫌! どうして私がこんな目にわなきゃならないの!」
だまれッ!」

 ヒヨドリの御子みこの翼が、私の頬を打った。

「君は、白の薔薇姫じゃないか!」

 ヒヨドリの御子みこの身体がふるえている。

「見て分からないか。私は今、おびえている。怖いんだ。私は鳥だ。こんな所にいたら、あの投石器の石つぶてに巻き込まれたらひとたまりもない。でも私は逃げない。ここは君の城だ。私は命に変えてでも君を守る。だから逃げない!」

 上空から見ると、明らかに武装した兵士たちが、城の正門を破壊するべく巨大な木の柱をぶつけている。

「まずい、あの門は長くはたない」
「諸王だわ!」
「諸王?」
「あの鎧は諸王たちのものよ。今日は周辺国の諸王が集まって、不可侵条約を結ぶための会議を開いていたはず」
「しかし、これは諸王同士のいざこざには見えない」
「そうね、むしろ諸王同士が協力して薔薇の城を破壊している。応戦しているのは薔薇の城の兵士だわ。でもどうして?」
「それは分からない」

 そこまで言って、ヒヨドリの御子みこの顔が蒼白になる。

「不可侵条約の会議が開かれていた場所は?!」
「場所?」
「部屋だ、会議室だ!」
「二階の奥よ。それがどうしたの?」
「白の薔薇姫が危ない! 君じゃない、もう一人の君だ!」
「どういうこと?」

 上空から、私たちは城の北側二階へ回り込む。

「諸王の狙いがこの城で、諸王と会議をしていたのなら、真っ先に狙われるのは白の薔薇姫、もう一人の君に決まっている!」
「そんな、嫌よ、私の薔薇姫が!」
「会議室の窓は?」
「左から五つ目よ!」
「窓を割って入る。君は手を私の翼の下へ!」

 私は首から手を離し、翼の下、ヒヨドリの御子みこの胸を後ろから抱き締める。

「目を閉じて!」

 そう言いながら、既にヒヨドリの御子みこは窓に向かって突進していた。私たちがガラスを突き破るその瞬間、ヒヨドリの御子みこは翼をたたみ、私の腕に柔らかな羽根の感触がした。

会議室

「会議室に、着いたの?」

 咄嗟とっさに吐き気をもよおす。おさえようとしたが、こらえ切れずその場に私は何度も吐く。おびただしい血の匂いだ。私は恐る恐る目を開く。

「ぐッ……ゥ!」

 匂いだけで散々吐いたはずの私の胃から、どうにもならないほどの吐瀉物としゃぶつがザブザブとあふれかえる。もはや吐いているのではない。胃からはなたれた吐瀉物としゃぶつが流れ出る。私の意思などお構いなしに吐瀉物としゃぶつあふれ、息をすることができない。

「グォァアッ、カ……ハッ」

 胃がひとりでに脈動し、その度に消火栓から水が噴き出すように吐瀉物としゃぶつが飛び出す。嘔吐おうと嘔吐おうとの間に息を吸おうとするが、胃液とのどの粘膜がこびり付いて泡立ち、邪魔をする。

「大丈夫か」

 ヒヨドリの御子みこが背中を翼でさすってくれる。

「全部吐いた方がいい。その方が楽だ」
「ゴフェエァ、アアっ……ッハ、ッェアッ」
「さすがにこれはひどい」

 ヒヨドリの御子みこは平然と室内を見渡しているが、私には恐ろしくて振り返ることができない。会議室では、会議に参加した諸王が、椅子に座ったまま殺されている。

「ただ殺したのではない。顔面をなぐつぶした上、腹をいて臓物ぞうもつを引きずり出したな」
「うッ、グ……貴方、これを、平気で見ていられるの」
「平気なものか」

 私は諸王の死体は視界に入れずに、横目でヒヨドリの御子みこの様子をうかがう。

 ヒヨドリの御子みこの翼には無数のガラス片が突き刺さり、今も血があふれ出ている。

「貴方、翼が!」
「問題ない、想定内だ。君こそ大丈夫か。翼でおおったつもりだったが」
「私は大丈夫。でも駄目だめよ、こんなに血が出てるわ」
「良くあることだ。それより」

 ヒヨドリの御子みこは、会議室を見渡す。

「白の薔薇姫はどこだ」
「まさか……」
「少なくともここにはいない。ここにあるのは人間の男の死体だけだ。もし、城のどこかに逃げ隠れるとしたら、場所に心当たりは?」
「分からない。逃げたり、隠れられる場所……」
「──ッ」

 ヒヨドリの御子みこが、突然ガクリとひざをつく。

「しっかりして!」
「これは、参ったな。思ったより、血が──」
「待って、今、刺さったガラスを抜くから」
「やめろ!」

 私は翼に刺さったガラス片を一つ抜いた。途端に、抜いた傷口から噴水のように血がき出る。慌てて私は傷口を手で押さえるが、き出る血の流れを止めることができない。私の手いっぱいに、あたたかなヒヨドリの御子みこの赤い血が流れていく。

「やめろと言った」
「ごめんなさい」
「刺し傷は、状況にもよるが、抜いてはいけない。失血死につながる」
「ごめんなさい」
「いいんだ、私は許す。君を、許す」
「私……」
「許すと言っている。失敗しない生き物はいない。その全てに目くじらを立てても何も生まない。あらゆる生き物は、相互に許し合って生きるものだ。まして」

 ヒヨドリの御子みこは、翼を丸めながら立ち上がる。

「神である私が人間を許さずに、誰が許すと言うんだ」

 そう言って、ヒヨドリの御子みこは私に力なく微笑む。

「寒いの?」
「少し、な。血が足りないせいだ」
「あなたの手当てをしないと」
「君と、白の薔薇姫の安全が優先だ。諸王のねらいは恐らく君たちだ。私ならいつでも飛んで逃げられる」

 勇気を出して、私は諸王の死体の数と、服に付いた紋章もんしょうを確認する。

「全員だわ。会議に出席した諸王、全員が殺されている」
「……」

 ヒヨドリの御子みこは、急に考え込み始めた。

「どうしたの?」
「いや」

 問題ない、という風に頭を少しかしげてから、ヒヨドリの御子みこが言う。

「私の考えすぎだろう。とにかく、白の薔薇姫を……」

 言いかけたところで、ヒヨドリの御子みこの、翼と鳥の足がダラリと下に垂れ下がった。

「大丈夫?」

 ヒヨドリの御子みこは何も答えない。虚脱きょだつしたかのように、ぼんやりと窓の外を見ている。

「ねえ」

 ヒヨドリの御子みこの口が、ゆっくりと開いていく。何を見ているんだろう。私も振り返り、窓の外を見る。

 城の先、森の入り口に諸王の兵士たちが集い、何かをしているようだ。

「何を……しているのかしら」

 答えはすぐに分かった。巨大な篝火かがりびかれ、篝火かがりびが次々に森に投げ込まれていく。森を焼いているのだ。

「森が」

 かすれるような声でヒヨドリの御子みこが言う。森の入り口に放たれた火はまたたく間に広がり、森周辺の広葉樹が一気に火柱を上げ始める。

「森が焼かれている! 私の森が!」

 広葉樹は今や新たな火種に変わり、その内側、針葉樹林を少しずつむしばみ始めた。

「もう、駄目だめだ」

 ヒヨドリの御子みこの言葉には、ただ絶望だけがあった。

「終わりだ。あの勢いの炎を止めるすべはない」

 ゆっくりとうつむき、ヒヨドリの御子みこの黒い目から涙がこぼれた。

「泣いている場合じゃないわ、しっかりして!」

 私はヒヨドリの御子みこの肩をつかみ、強く揺さぶる。

「死ぬんだ。私たちは死ぬんだ」
莫迦ばかッ!」

 私はヒヨドリの御子みこの頬を張り倒す。

「貴方、鳥たちの王なんでしょう!」

 私にぶたれたヒヨドリの御子みこが、呆然ぼうぜんとしている。

「さっき貴方が私に言ったことよ。私は白の薔薇姫。この城の主。だからこの城を最後まで守り抜くわ。でも、貴方は森の主でしょう。鳥たちの王なんでしょう。何を一人で死を受け入れてるの! まだ生きてる命が、あの森に取り残されてるじゃない! ヒヨドリの御子みこ!」

 私の語調に、ヒヨドリの御子みこは身をすくませる。

「貴方は、今すぐ森に帰るの。そして、森に生きている動物たちを、少しでも安全な場所へ逃がしなさい」
「しかし、君はどうする」
「ヒヨドリの御子みこ、それは愚問ぐもんよ。私は白の薔薇姫。この城を守ります」

 私は毅然きぜんと言いはなつ。

「だが、諸王との兵力差は歴然だ。火の手もここまで回っている。守り抜くことは無理だ」
「誰も迎え撃つとは言ってないわ。城の者たちと落ち延びて、生き延びてみせる」
「でも、私は、私はもし君の身に何かあったら──」

 私はヒヨドリの御子みこを抱き締める。

「その時は、貴方に助けを呼ぶ。約束する。貴方、耳が良いんでしょう? 必ず助けに来て」
「薔薇、姫……」

 ヒヨドリの御子みこの傷だらけの翼が、そっと私を包む。羽根なのか、流れる血のあたたかさなのか、それは分からない。でもそのあたたかさを、私はいとおしいと思う。

 私たちはゆっくりと離れる。

「お互い、時間に余裕がない身よ」
「ああ、そうらしい」
「一匹でもたくさん、鳥たちを逃がしてあげて」
「鳥だけじゃない。大仕事だ」
「それはお互い様よ」

 私は城の中へ進もうとする。

「薔薇姫!」
「何?」
「その、白の薔薇姫、君じゃない方の薔薇姫だが」
「ええ」
「……」

 ヒヨドリの御子みこは、逡巡しゅんじゅんしているようだった。

「いや、すまない。君が本当に危ないと思った時、必ず私の名を呼ぶんだ。いいね?」
「いいわ、約束する」

 ヒヨドリの御子みこは少し宙に浮かび、そのまま会議室の窓から森に消えた。

 改めて会議室に居並ぶ諸王の死体を見る。こんな死体の一つや二つで吐いている場合じゃない。私は、城の者たちを、薔薇姫を、救わなければならないのだ。

生きてこそ

 二階の会議室を出て一階に降りると、大広間に城仕えしている者たちが集まっていた。私はすぐさま状況を確認する。

「ここにいるのは?」
「皆、戦えぬ者たちです。戦える者は、中庭で迎撃すると申しておりました」
「誰か、中庭に行って迎撃を中止するよう伝えなさい」
「では、降伏するのでございますか?」

 不安気に尋ねる給仕に、おだやかに伝える。

「いいえ、降伏はいたしません。私たちはこれより城を放棄し、逃げ延びます」
「城を、てるのでございますか」
「ええ、皆、辛い思いをさせてごめんなさい。ともあれ、諸王との兵力差は歴然です。また、私たちが逃げ込めないように、先ほど森に火が放たれました。降伏しても、おだやかな結果にはならないでしょう」

 皆がすすり泣く声が聞こえて、胸が痛む。

「誰か、なぜ諸王が私たちを攻撃し始めたのか、分かる者はいますか?」
「それが、誰にも分からないのです」

 侍従長じじゅうちょうが言う。

「突然、城の外でワッと声が上がり、今はこのさまで」
「そうですか……」

 中庭で応戦するつもりだった兵士たちも、次々に大広間に集まってくる。

「おお、薔薇姫様、ご無事で何よりでございました。お姿が見えず、肝を冷やしましたぞ」
「ああ、騎士団長。心配をかけました。しかし、なぜ、諸王は私たちを?」
「私どもにも分かりませぬ。城外にいた兵士たちは、皆、突然襲われたようで、応戦する間もなく全滅とのこと」
「おかしいわ。仮に不可侵条約の会議が決裂して交戦に入ったとしても、あまりに反応が早すぎる」
「ええ、しかも巨大な投石器がこんな短時間に準備できるはずがありません」

 これでは、まるで最初から……

「ともかく、時間がありません。周囲を包囲され、森に逃げることもできぬ以上、逃げ道は一つしかありません」
「と申しますと?」

 騎士団長の問いに、私は答える。

「この城の地下には、今は使われていない、かつて水路だった道があります。諸王がこの存在を知らなければ、そのまま隣町の地下まで逃げることができるわ」
「諸王が、その水路の存在を知っている可能性は」
「無くてもあると考えるべきね。待ち伏せがある前提で準備しましょう。幸い、水路は狭く、通路戦闘になるわ。狭ければ兵力差で押し切ることは難しい。長槍ながやりを持つ者を前に、らない武器はてて。少しでも身軽にするのよ」

 兵士たちが互いの装備を交換し合い、近距離用の武器をてる。戦えぬ者たちは動きやすい服に着替え、運べるだけの水と食料、医療品を背負う。幸い、まだ正門は破られていない。

「では、皆静かに。調理室の下、貯蔵庫の奥に地下水路への扉があるわ」

 城の者たちを連れて、貯蔵庫へ向かう。貯蔵庫の奥、氷室ひむろの鉄格子の先に、地下水路への扉がある。

「長槍兵から中へ。急いで」

 まずは兵士が地下水路に入り安全を確認して、その後に戦えない者たちが続いた。全員が地下水路に入り、陣形を整える。

「姫様」

 侍従長じじゅうちょうが耳打ちしてくる。

「どうしたの?」
「薔薇姫様のお姿が見えません」

 ためらっている時間はない。正門が破られれば、例え地下水路に逃げ込んでも、背後から追われることになる。

「あなた方は先に行きなさい。私は城に残り、薔薇姫を探します」
「とんでもございません、諸王の狙いは間違いなく姫様なのですよ!」
「だからこそです」

 侍従長じじゅうちょうを見えて、私は言葉を続ける。

「ここで薔薇姫が殺されてしまえば、この世に薔薇姫はいなくなってしまいます。世の中の者たちは、白の薔薇姫が一人だと信じています。私たちのどちらかが死んだ時、もう一人の私は社会的に死ぬのです」
「しかし!」

 遠く、正門に丸太が打ち付けられる音が響く。

侍従長じじゅうちょう、私は貴方に命じます。必ず皆を隣町へ」
「姫様!」
「生きてこそ、です」
「できません!」
「私のわがままを、どうか許して」

 私は一人、氷室ひむろに戻り、扉を閉め、鉄格子の鍵をかける。これで仮に正門が突破されて兵士が地下水路の扉を見付けたとしても、次は鉄格子を破らなければならない。時間かせぎにはなるだろう。

 そのまま貯蔵庫から調理室へ戻り、調理室にある井戸──深さ30メートル──に、鉄格子の鍵を投げ捨てる。これで鍵も手に入れることはできない。皆は生き延びられるだろう。

 不思議な心持ちだ。恐怖を感じない。できる限りのことをやったのだ。私は小さな勝利を手に入れた。あとは……

 あとは、薔薇姫を救う。それだけだ。

聖堂

 調理室まで来た道を引き返しながら、私は薔薇姫がいる場所を考えていた。

 少なくとも、火が燃え盛っている場所は除外していい。崩れた尖塔せんとうも考える必要がない。残るは城の本館だが、会議室から大広間に移動した時にも人の気配を感じなかった。見ていないとすれば、聖堂くらいだ。

 薔薇の城の北東から東向きに、小さな聖堂が建てられている。町には大きな大聖堂があるが、城内で暮らす私たちのために、ささやかな聖堂がもうけられた。私は聖堂に向かって走り、扉を開ける。

 聖堂の中央にまつられた母子像の前に、薔薇姫がひざまずき、祈りを捧げていた。その背にはクロスボウを背負い、傍らには血がこびり付いた剣と巨大なハンマーが転がっている。

 薔薇姫がゆっくりと立ち上がる。

「どこに行ってたの? 探したのよ」

 薔薇姫は振り向こうとしない。

「何があったの? 不可侵条約はどうなったの?」
「不可侵条約?」

 薔薇姫がわらう。

「条約は締結されたわ、条件付きで」
「条件?」
批准ひじゅん国同士は相互に不可侵とする。ただし」

 ゆっくりと薔薇姫が振り返る。

「本条約をもって白の薔薇姫を廃するものとする」

 薔薇姫の口がゆがむ。

てられたのよ、私たち。おはらばこってこと。ご丁寧にあらかじめ諸王同士で連携して、城の外に兵士たちをひそませていたわ。条約を締結した瞬間から薔薇の城への攻撃を開始。会議室にいた諸王16人は、白の薔薇姫を始末する、って寸法よ」
「そんな、どうして」
「理由なんて知らないわ。とにかく、私たちはこの世界に必要とされなくなったの。生きてるとむしろ邪魔なのよ」
「あまりにも身勝手だわ、私たちを散々使い倒しておいて!」
「ええ、本当にその通りね。私もそう思うわ。珍しいわよね、私たちの意見が一致するなんて」
「でも薔薇姫、貴女、じゃあ諸王におそわれたの?」
「ええそうよ、16人で一斉いっせいに抜いてきたわ」

 わらいながら薔薇姫はひざを曲げ、足元の、血がこびり付いた剣を手にする。

「そんな、一体どうやって……」
「決まってるじゃない」

 薔薇姫が再び立ち上がる。

「殺したのよ。この剣と、このハンマーでね」

 私は会議室での惨状さんじょうを思い出し、寒気を覚える。

「でも、でも、会議室の諸王の遺体は椅子に座っていたわ」
「ああ、見たのね?」

 薔薇姫がクスクスと笑い声を上げる。

「殺したあと、一人一人元の位置に座らせてあげたの」
「貴女一人で16人もの諸王を、どうやって?」
「貴女ってつくづく莫迦ばかね。あんなに大きなテーブルがあって、17脚もの椅子があるのよ? ただでさえ狭い室内戦闘にこれだけの障害物があれば、人数はむしろハンデにしかならないわ」

 そう言って、薔薇姫は剣に付いた血をめる。

「同時にまともに攻撃を繰り出せるのはせいぜい3人か4人。私が一撃も受けずに致命傷を与え続ければ、相手は次々に倒れていく。そうなれば私の勝ちは確定。たった一人の小娘相手に16人で向かっているのに、仲間が次々に倒れていけば恐怖が生まれる。恐怖すればするほど、人間は仕留しとめやすいわ。恐怖が戦闘においてハンデにしかならないことくらい、貴女にだって分かるでしょう?」

 薔薇姫は楽しそうにわらう。

「だからって、あんな殺し方!」
「貴女、何言ってるの? 私を殺そうとしたのは奴らよ。私にどんな殺し方をされようが、自業自得だわ。そもそも」

 薔薇姫が手に持った剣を私に向ける。

「殺されそうになったのは、貴女じゃないじゃない?」

 先ほどまでのみは、もはやない。

「白の薔薇姫のおきては消えたわ」

 そしてゆっくりと睨み付ける。

「言ったわね? 私が愛してるのは私だけだって。貴女はもはや私じゃない。だから貴女を愛する理由も、もうないの」

 薔薇姫はあわれむように言う。

「この世に白の薔薇をまとうにふさわしいのは私だけ。私以外の白い薔薇は、邪魔なの」
「私は」

 歯を食いしばるように私は言う。

「私は、貴女を恐れたりしない」
「あら、そう? 手ぶらで? 随分余裕ね。諸王16人がかりで傷一つ付けられなかったのよ、私は」
「それが何だって言うの。私には──神様の加護があるんだから」
「アッハハハ! 笑わせるわ!」

 おかしくてたまらないという風に笑ったあと、薔薇姫の剣先がゆらりと揺れる。

「お別れよ。この世に白の薔薇は私一人でいいの。貴女は、そうね、赤い薔薇に変えてあげる!」

 再び薔薇姫の剣先が揺れるや、瞬時に引き、鋭い突きが繰り出される。

「私は、赤い薔薇になんかならない! 私は──」

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