noteでノベルゲーム『薔薇の城』 *2 色を失った薔薇姫
色を失った薔薇姫
砂漠の王や大臣の言うことも分かる。でも、私はあくまで白の薔薇姫なのだ。私は私の掟を破ることはできない。となれば……。
「致し方ありません、参列を控えさせていただきますわ」
この私の言葉は、さすがに予期していなかったようだ。王も大臣も、魂を抜かれたような顔をしている。
「そう、だって、私は白の薔薇姫。結婚式に参列する資格そのものがなかったんですわね」
呆けていた王が、大慌てで喚き立てる。
「おお、おお、どうか、そのような……! 姫様、後生にございます。私の子どもたちに、どうかお慈悲を!」
隣で、手にした書類を次々にめくりながら、悲鳴のような声で大臣が言う。
「席順が……スピーチの順番が……式の時間が!」
「大臣、そのようなことはどうでもよい! 我が息子の結婚式に、白の薔薇姫様をお迎えできないなどということがあってはならぬのだ!」
「いいえ」
私は、ゆっくりと席を立って窓際へ向かう。
「ごめんなさい」
窓にそっと手を当てて、私は言う。
「私は、この城に囚われた咎人のようなもの。特別な用でもない限り、この城から出ることは叶いません。結婚式に伺うこと、本当に楽しみにしておりましたのよ」
人知れず、ため息が漏れる。
「でも、白い服しか着れない私が、結婚式に伺うなんて、元から無理な話だったのですわ」
王と大臣にゆっくりと向き直り、私は言う。
「決めました。私は今後も、いかなる結婚式にも参列いたしません。無理なものは、無理なのですから。式の間際になってこのような──全て私の落ち度です。申し訳ありません」
深々と頭を下げる私に、王と大臣が慌てて言う。
「何をおっしゃいます、姫様に落ち度など!」
「左様にございます、これはむしろ私どもの落ち度にございます。薔薇姫様が白い服以外をお召しになれないと存じ上げず、姫様の御心を痛めてしまいました。何とお詫び申し上げてよいか……」
「いえ、良いのです、本当に私が悪いのです」
ゆっくりと頭を上げながら、微笑んで見せる。
「きっと、美しいドレスなのでしょうね。ぜひ拝見してみたかったわ。陛下、きっと素敵な式になさってくださいね。ああ私、王子様にも、新しいお妃様にも、お詫び申し上げなくてはなりませんわね。本当になんてことを……」
私の手の平に、雫がこぼれ落ちる。涙だった。
誰の? 私? 私が泣いているの?
私は慌てて話を逸そうとするが、間に合わない。
「違うのです、これは──」
「薔薇姫様、ああ、薔薇姫様、どうかお許しを! 貴女様を苦しめてしまうなど、私には到底耐えられない!」
「何と愚かなのだ、私は! 目の前においでになる薔薇姫様のご心痛をお察しすることもできず、私は、私はッ!」
「やめてください二人とも!」
悲しいのか、自分に腹立たしいのか、ないまぜになった感情が私の中に渦巻く。
「ごめんなさい、私、参列できません。どうかお二人には、お幸せにとお伝えください。本当にごめんなさい」
それ以上はもう、言葉が出なかった。
床に膝を付いた私を見て、二人は静かに謁見室を出ていった。一人残された私は、ただ泣いていた。他人事のように自分の涙を見つめながら、私はその涙の理由を理解できずにいた。
ヒヨドリの御子
午後からは、国に住む者たちからの嘆願を聞くことになっていた。今日も城には大勢の嘆願者が列を作る。
一人一人の嘆願を聞き、対処や考えを述べ、記録係に書き取らせていく。記録係は六人いて、一人が一つの嘆願を担当して交代で記録していくが、それでも記録係の誰かの手が止まるまで待たねばならないこともしばしばだった。多くの嘆願者は急いでいて、早口なのだ。
丘陵地の麦畑の案山子による、カラスからの酷い仕打ちについての話を聞き終わったところで、私と記録係は少し休憩を挟んだ。あたたかい紅茶と香ばしいビスキュイをいただきながら、私と記録係たちは、今日挙がってきた嘆願の対応策を話し合っていた。
「失礼」
不意に隣で見知らぬ男性の低い声がした。私はこの世界の人の声なら大抵覚えている。でもこの声には聞き覚えがない。誰だろう。
「ごめんなさい、今は休憩中なの。嘆願は少し後で──」
男性の方を向いて驚く。ゆうに190cmはあろうか、細身ではあるが長身の男だ。灰色の乱れた髪が腰まで伸び、肩から床まで汚れた灰色の翼が生えている。目の周りだけが鮮やかなオレンジ色で、その中に黒真珠のような瞳が、どこを見るともなく浮かんでいた。
「ああ、待つよ」
静かに男性は答えたが、その瞳がどこを見ているのかはまるで分からなかった。
「失礼ながら、そのビスキュイ、一ついただいても?」
男性のとらえどころのなさに困惑していた私は、ハッとなり、ビスキュイの皿を差し出す。
「失敬」
言うが早いか、男性の翼と肩の間から鳥の足が伸びて、ビスキュイを一つつまんでいった。男性は鳥の足を器用に使ってビスキュイを口に運び、一口かじる。
「こいつは上等」
頭・胴体・足は人間で、肩から翼と鳥の足が生えているなんて。腕がない替わりに鳥の足だけれど、これじゃ人間の足と鳥の足が両方あることになる。
男性は小刻みに口を動かし、うむ、うむ、と唸りながらビスキュイをかじり続けていた。
「あの、貴方は?」
「ああ、これは失礼、この頃はロクなものを食べていなくてね。あまりにビスキュイの良い香りがしたものだから」
「そうじゃなくて、貴方の名前よ」
「名前?」
男性は虚ろな目で私を見る。そして、小首を傾げた。
「名前──名前とは、何だろうか?」
「貴方、記憶がないの?」
「記憶?」
男性はビスキュイをかじり続けながら、考えるような仕草をして、言った。
「分からないな。名前と記憶の有無に、どういったつながりがあるのだろうか」
「普通は誰にでも名前があるものよ。貴方はそれを忘れているんじゃないかしら」
「奇妙なことを言う」
男性はビスキュイをかじるのをやめ、私の顔をのぞき込む。
「私には正しく記憶がある。ただ名前がないだけのことだよ。名前はラベルのようなものだ。記号のようなものだ。個を識別するために与えられた、音の羅列だよ。鼻歌にも等しい。それが無いことに、なぜ君は固執するのだろうか?」
「それは……」
そう言いかけて、そこで初めて私は気付いた。この人は、生き物じゃない。
「貴方、神様ね?」
私の言葉を聞いて、男性はゆっくりと頭を戻す。
「鳥たちの神様なんでしょう?」
男性はまた小首を傾げて、ビスキュイをかじりながら外に出ていこうとした。
「ビスキュイをありがとう」
男性は、相変わらずどこを見ているか良く分からない目で、少し微笑んだ。
「嘆願の列に並ぶよ。君と話したくて来たんだ」
私と記録係が休憩を終えて、嘆願を再開して、男性の番になったのは一番最後だった。日は少し傾き始め、今にも夕焼けが始まりそうな時間だった。
「君のところへビスキュイをもらいに行って、列に並び直したからね。最後になってしまったよ」
「ビスキュイは高くついたわね。並んでいれば早く終わったのに」
「良いんだ」
男性は静かに言った。
「最後なら次に待つ人を気にしなくて済む。ゆっくり君と話ができる」
太陽がその色を黄色から赤く変える様を少し見て、男性は続けた。
「私たち鳥は、今大いに困っている。食糧難だ。森の木の実や果物を、あらかた他の動物たちに食べられてしまった」
「そう……。私たちに何ができるかしら」
「何もしなくていい」
「えっ?」
思わず私は聞き返す。
「何もしないでもらいたい。何かされては困る」
「どういうこと?」
「自然とはそうしたものだ。厳しい時期には、その種族に多くの餓死者が出る。私たちは私たち自身でそれを乗り越えなくてはならない」
「城にはまだ食料の備蓄があるわ。それを森に」
「それが困ると言っている」
「どうして?」
男性はうつむく。
「それは人間の傲慢だ。分からないか? 確かに人間から食料を与えられれば、餓死を免れる者もいるだろう。しかしそれは人為的なものだ。自然ではない」
ゆっくりと男性は顔を上げ、つぼみを開き始めた瞬間の、芙蓉の色をした雲を眺めた。
「私たちは自然によって生き、自然によって死ぬ。それが鳥の生き方なんだ」
「そう」
男性の見ているであろう雲を、私も眺めた。
「仕方ないわね。でもこれじゃ嘆願にならないわ」
「なるさ」
「えっ?」
「今からなる。ここからが嘆願だ」
私は男性に向き直ったが、男性は雲を見つめたままだ。
「そうなの? では引き続き、嘆願をどうぞ」
「ああ。私と結婚してくれないか」
抑揚のない声が響く。記録係が、思わずその手を止める。
「ずっと見ていたんだ、君のことを。城の上をグルグル飛びながらね」
あまりのことに言葉を失う。これは、嘆願?
「私たち、特に我々ヒヨドリへの人間による処遇は良いものとは言えない」
「ヒヨドリ?」
「ああ、私はヒヨドリなんだ。全ての鳥の長を務めてはいるがね。我々ヒヨドリは森の食料が尽きると、人間の領域に出て農作物を食べる。先ほど君からビスキュイを失敬したようにね。おかげで農業に従事している人間からは強く敵視されているし、狩猟鳥にも指定されてしまった。君と私が結婚するとなれば、そうした人間から反対されるかもしれない」
「ちょっと待って、私、何もまだ」
「分かっている」
男性は静かに立ち上がった。
「今日は嘆願に来ただけだよ」
なんだか腹が立ってきて、私も立ち上がる。
「こんなの嘆願じゃないわ!」
「そう? 君は奇妙なことを言う。だって君は」
男性はゆっくりと翼で私の頬に触れる。
「こんなにも美しい」
美しい? 私が? それはそうよ、私は白の薔薇姫なんだもの。
「ちょっと待って!」
慌てて私は言う。
「貴方、空から見ていたのなら知っているでしょう? 私は、私は!」
「知っているよ」
男性は動かない。
「君とそっくりな娘がいるね」
「そうよ、私たちは二人で一人。ずっと一緒なの。これまでも、これからも。どっちがどっちかなんて誰にも──」
「分かるさ」
男性の口元がゆるむ。
「ずっと見てきた、って言ったろう? 確かにあの娘は君に似ている。外見はね。けれど中身は別物だ。君は清らかで誠実だ。それに」
私の頬に触れた翼が、ゆっくりと上下する。
「外見だって違う。表情が違うんだ。君の笑顔はとても穏やかだ。君の笑顔を見るとね、私は胸があたたかくなる。私は君に、恋をしているんだ」
私の口から言葉が出てこないのはなぜだろう。罵倒する言葉も、呆れる言葉も、出てこない。
「君は私の名前を聞いたね。確かに、私に名前がないと、君が不便かもしれないな。かつて私の姿を見た人間が、私をこう呼んだ。『ヒヨドリの御子』とね。だから、今日から私は、ヒヨドリの御子だよ」
その瞬間、周囲にとてつもない風が吹き込んだ。
あまりの勢いに顔を覆い、風が止み、目を開けてみると、もうそこにヒヨドリの御子の姿はなかった。城の窓の外、夕焼けの空をヒヨドリの御子は飛んでいた。ゆっくりと輪を描くように何周か泳いだあと、あの低い声からは想像も付かない高く透き通った声で一鳴きして、彼は消えた。
夜の薔薇姫たち
「貴女、莫迦の極みね!」
薔薇姫の鋭い声がバルコニーに響く。
夜、私たちは城のバルコニーで、その日一日にあったことの報告をする。出来事の共有をしておかなければ、二人で一人の人格を演じ続けることはできない。
「せっかくの城を出る機会を、むざむざふいにするなんて!」
「やめて、怒らないで、薔薇姫」
私は懇願するが、薔薇姫の怒りは収まらない。
「ドレスがなんだって言うのよ? なんとでも方法はあったでしょ? なんなら白い薔薇の服の掟なんて、反故にしてやれば良かったんだわ」
「駄目よ、そんなこと。私たちは白の薔薇姫なのよ?」
「貴女はそれで良くても、私は嫌なの! 私たち、もう一生結婚式に参列できないのよ? 貴女が莫迦をする度に、私まで何もできなくなっていくなんて、もうたくさんなのよ! それが分からないの?」
薔薇姫が私を睨み付ける。
「ごめんなさい」
「ごめんなさい? 謝ったって、もう遅いのよ! 言った言葉を取り消すなんてこと、この世の誰にもできないのに。貴女、自分が話す言葉について考えたことないんでしょ。無責任なのよ、自分の吐く言葉に! その言葉でどれだけの人間が傷付くか、どれだけの人間が苦しむか、貴女、考えもしないんだわ!」
薔薇姫の右手が、全力で私の頬を張り倒す。あまりの衝撃に、私は思わずよろけて、窓枠に手を伸ばし、自分の身体を支える。
「明日は私の番よ」
薔薇姫が言う。
「だったら貴女の頬が腫れていても、何の問題もないわね」
「薔薇姫、ごめんなさい、私……」
刹那、みぞおちに鈍い痛みを覚えて息ができなくなる。薔薇姫の右膝が、私の胸を蹴り上げていた。胃の奥から込み上げる吐瀉物が溢れるのを、必死に抑える。
「言葉を選んで話してくれない? 私、莫迦は嫌いなの」
胃酸で喉が焼けるようだ。みぞおちは蹴られた瞬間よりもその痛みを増し、私はうずくまらないとそれに耐えられない。身体はひとりでに震え、涙がとめどなくあふれる。
「これだから、莫迦は嫌いよ」
苦々しく薔薇姫は吐き捨てる。
「被害者面しないで。貴女の莫迦な言葉で被害を受けているのは、私なんだから。莫迦はみんなそう、謝ることしかしない。謝るってどういうことか分かる? 自分が犯した過ちを、なかったことにしてくれって頼んでるの。過ちを認めておきながら、相手が傷付いたって知りながら、自分が楽になりたくて、自分のために言葉を吐くのよ。それがどれだけの横暴なのか、謝罪する人間は気付きもしないんだわ」
薔薇姫は私を冷ややかに見下ろしている。
「泣けば済むと思ってるの? どうして貴女が泣くの? 泣きたいのは私の方なのに」
私の身体の震えが止まらない。薔薇姫が恐ろしい? 違う、私は私の愚かさが許せない。自分に腹を立てているんだ。自分に怒って震えている。薔薇姫を傷付けて、何もできない自分が。貴女を愛していると言いながら、こうして彼女を傷付けていく自分が。
「それで? 嘆願はちゃんと片付けたんでしょうね」
薔薇姫が私に尋ねる。
「た、嘆願? え、ええ……」
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?