『ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ』全18話見た
はい、見終わりました『ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ』全18話。あっという間でした。
これで、TVシリーズ『ツイン・ピークス』30話、映画『ツイン・ピークス:ローラ・パーマー最期の7日間』、続編『ツイン・ピークス:リミテッド・イベント・シリーズ』18話を見たことになります。本当はもう一本映画があるらしい(Wikipediaには出てないんで、特典映像とかなんだろうか?)のですが、まあ見ました。楽しかった。
本編30話(約30時間)がマジ長くて、昔のドラマだから今のと違って展開がゆっくりで、そのくせ先が気になる演出がふんだんに盛り込まれるからヤキモキして見たんだけど、『リミテッド・イベント・シリーズ』も相変わらずヤキモキさせてくれました。
そもそも、『ツイン・ピークス』自体が論理的に理解できる物語ではなくて、断片的な謎めいたエピソードの群れでできています。本編に全く関係ないやり取りを延々見せられたり、もはや笑い取りに来たの? みたいなトンデモ展開が満載なので、ちょっとやそっと見て理解できるドラマではありません。TVシリーズの終盤に至っては、赤いカーテンに囲まれた部屋で、無言でゆっくり歩くおじさんを5分とか10分とか見せられるっていう、「えーっと、私は何を見せられてますか?」って感じになりますが、いやしかし、それこそが『ツイン・ピークス』。
ともかく、映像美に徹頭徹尾一貫性があって、これはもうデヴィッド・リンチさんにしか作れないですよね、っていう美しさがあるのですよ。本編ではそれが極まってました。時代が進んで撮影や編集の技術向上があるのはもちろんだけど、それだけじゃなくて。ただ美しいのではなく、意味を持った美しさなんです。
例えばデヴィッド・リンチ作品にはよく身体に障害のある方(身体の欠損や奇形、拷問や怪我で目がなかったり頬に縫い目があったり)が登場しますが、その映し方はグロテスクでありながら途方もなく愛おしく美しい。人物だけでなく、自然への畏敬や被造物への警告も読み取ることができます。強い思惟が映像から感じられる。そういうところが僕は大好きです。
俳優の演技も実に素晴らしいです。カイル・マクラクランの演じ分けが途方もないんだけど、個人的にイチオシはダイアン。いや、これ見てダイアンで勃たない男おらんやろ、ってくらい最高の《女性》です。ゲイの僕が言うんだから間違いない。少なくとも俺はダイアンで勃つ。
あと、アンディとルーシーのやり取りに和んでいた僕でしたが(特にルーシーの吹き替え声優さんの声が好き。あの声聞くだけで和む)、終盤、まさかの二人が大活躍。特にルーシーの「あの場面」でガッツポーズしたのは言うまでもありません。ルーシー、あんたはやればできる娘だと思ってた。
音楽もめっさ良くて、特にロードハウス(Bang Bang Bar)で毎回流れる色んなアーティストのライブシーンは見てて本当に楽しかった。気に入ったアーティストを調べて、Apple Musicで即ダウンロードしたのは言うまでもありません! 僕のお気に入りはAu Revoir Simone(女性三人組。あの気だるいまったり感、メロウな雰囲気がたまらん)とLissie(女性ソロ? バンドで出てきます。メロディラインがドストライク)です。
さて、ここからはネタバレ含む感想です。
ですので、これから見ようと思っている方はUターンをお願いします。
いや、ホント、自分でちゃんと見た方がいいから。
見ない、って人は知らんけど(笑)。
あ、あとこれはあくまでも僕個人の感想です。
これくらい警告しておけば大丈夫かな?
結局、監督の言いたいことは、全部第8話に詰まってるな、と感じました。あの一話だけやたら濃度が濃い。
本編で幾度も流れる曲「Threnody for the victims of hiroshima(広島原爆の被害者への哀歌)」であったり、核実験の映像が延々と流れたり。絶対悪というのを明確に提示していて、それがいかに不条理で、相手を選ばず、残酷に命を貶めていくのか。その絶対悪を生み出しているのは間違いなく人間自身で、絶対悪は人間によって行使されている暴力で、生み出しておきながら人間は自分自身でその暴力によって命を奪われていくという現実を痛烈に批判していると感じました。
こういった考えを、悲劇的に描くことは簡単にできますが、普通のサスペンスドラマの形の中で言い切ってしまわれたので、ただただ僕は圧倒されました。恐怖を刻み、その生まれる仕組みの不条理を明確にして、その上どこか笑いにさえ変えてしまう。こういう描き方は、普通には難しい。とても難しい。
先ほどロードハウスのライブシーンについて触れましたが、その中で歌われる歌の歌詞の一部はデヴィッド・リンチさんが作詞されています。その歌詞もよく聞くと、やるせない気持ちになります(「No stars」とか)。
全体を通して、人間の人間による発展の功罪を描かれる場面が多かったように思います。電気、スマートフォン、RR Dinerのパイ、マーガレット(丸太おばさん)への蔑視、薬物、個人の銃所有(オートマティックピストルやリボルバーならともかく、まさか一般人がサブマシンガン取り出して乱射するとは思ってなかった)などなど。完全にネタ枠のローレンス・ジャコビー先生のラジオ放送(金メッキのスコップの通販番組)すらも、最後はネイディーン・ハーリー(金のスコップを購入した眼帯をした女性)の自立へとつながります。彼女の言葉は、TVシリーズで見てきた姿とはまるで別人で、ある種究極の愛にたどり着いています。僕、マジで彼女の言葉に震えましたよ。お前、とうとう愛を知ったか! ってね。
生きていく上で、本当に大切にしなくてはならないものは何か。その取捨選択の物語であったように思うのです。
もちろん、本筋の青い薔薇事件なんかの話も大事なんですけども、一通り見終わったあとで思い浮かぶのは、脇道に逸れた話ばっかりなんですよ。ソファの色でアンディとルーシーが喧嘩して、アンディが譲ったのに、こっそりアンディが欲しかった色で購入したルーシーがめちゃくちゃかわいかったり。RR Dinerのノーマ、シェリー、レベッカのやり取りとか。
で、第17話で「やった! 万事解決! 歴史改変! ローラ死亡回避成功!」って見る側を持ち上げておいて、「右手の音」がして失意のどん底に叩き落としてくれる。もうこれ、ズルいですよ。第18話のラストちょっと前までで、もう相当嫌な予感しかしなくて、ラストでアレですから。「はいはい、これは『ツイン・ピークス』でしたねえ〜」って笑ってしまいました。
もちろん、TVシリーズよりは物語的に収束しているので良かったんですが、まあこういうことになると思ってましたよ、っていう視聴後の感想まで『ツイン・ピークス』で、見終わった今、軽い放心状態になっています。
個人的に一番ムカついたのがリチャード(ベンの孫、オードリーの息子。コカインの運び屋をする青年)。子どもを轢き殺して子どものせいにするわ、それを目撃したアグネスに暴行するわ、金普請のために母親のオードリー締め上げるわ、いやもうホンマお前死ねよ、って思ってたので彼が死んだ時はちょっとスッとしたんだけど、あっさり死んでしまったのでもっと苦しんで死んで欲しかったなあ、と思う僕がここにいます。いや、僕、こういう奴がホンマ嫌いなんですよ。
ゴードンがホテルの部屋にフランス人女性を招いているところに、アルバートンが入ってきた時の、あの気まずさ。フランス人女性のワケ分からないやり取り。その後のゴードンとアルバートンの「同じ米語で会話しているのに」会話が成立しない場面とか、クッソ笑いました。
上にも書いたけど、「悪いクーパー」にとどめを刺すのがルーシーで。もうあのシーンの爽快さは半端なかったです。ルーシーですよ? あのルーシーが拳銃でクーパー撃つとかマジ想像すらしてませんでした。最終的にとどめを刺す使命を帯びていたのはフレディだったけど。いやもう、アンディとルーシー最強。この二人は愛をちゃんと分かっていて、それを日常として生きているから、だからアンディは「消防士」に会い選ばれたし、ルーシーが「悪いクーパー」に引き金を引けたんだと思うんですよね。
さて、長らく『ツイン・ピークス』を愛してきた僕でしたが、本作でより深く愛せるようになったようです。Amazonプライムに入っているので、TVシリーズ含めて、折を見てまた見直したりしようと思います。第8話はあと10回は見ます。皆さんももし良かったらご覧になってください。
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