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それは、偶然のような必然のような②

私にとって大切な従兄弟であるAが亡くなった
その損失感を抱えながらも、私は生きなければいけない
Aのように、周りの人を大事にできる人になりたい
もう気分に呑まれる子供のような私は卒業し、
私も人の笑顔のために動きたい

と、私は考えるようになりました。



Aが亡くなって1年が経ち、私は地元を離れることにしました。

「夢を追いかけたい」
「自立したい」
「地元の人間関係のしがらみから抜け出したい」
「家から逃げたい」
「自分がなりたい自分になりたい」

その理由には様々な複合的な理由がありましたが、今回は「自分がなりたい自分になりたい」に焦点を当てたいと思います。
それ以外の理由については、また別noteに残しておきたいと思っているので、もしも機会があれば、読んでいただけたら嬉しいです。

「自分がなりたい自分になる」、という気持ちを、私の場合は、
「今の自分を変えたい」、という言葉に置き換えることができました。
しかし、なりたい自分になるためには、地元の人たちは特に「今までの私」を知り過ぎているように感じていました。

当時21歳の私はとても繊細で、とにかく人目が気になったので、
「今この場所でなりたい自分のように振る舞っても、周りの人に受け入れてもらえないのではないか」
「変なやつが更に変になったと思われるのではないか」
という後向きな考えが自分を襲い、地元でなりたい自分になる、というのは
ハードルが高かったので、私はハードルの高さを下げることにしました。

それは、地元を出て、これまでの私を知らない人たちの中で生きることです。
最初から、「なりたい自分があたかも本来の私」かのように生きる
ということでした。

私は当時、「夢」を追い、上京を考えていたので、これをきっかけに
なりたい自分になる、ということにも挑戦しようと思いました。

これは案外うまく行きました。
周りの人に恵まれていた、ということが大きな要因ではあるのですが、
正社員を辞めて引っ越した先で始めたバイトも必死ながらも楽しく働くことができ、新しいコミュニティで新しい友人を作ることができ、先輩には可愛がっていただき、後輩にも頼ってもらえて、とても充実した日々でした。

壁にぶち当たった時、心が折れそうな時、特に集団をまとめなければいけない時、Aはどうしていただろうか、Aならどうするだろうか、ということを考えると、難しい問題にも答えがあるように思えました。

しかし、引っ越して1年が経った頃、コロナで全ての生活がストップしました。
バイトができない不安、夢が前進しない不安から、「なりたい自分」でいさせてくださったバイト先を辞め、夢を諦め、新たな職場へと契約社員として身を移しました。

過去を振り向いてはいけないと思いつつも、とても充実した日々だったので、後ろ髪引かれる思いで働いていたのは事実です。
新しい職場でも先輩方には大変よくしていただきましたが、これまでの充実感や、バイト仲間やバイト先の社員さんとの一体感を思うと、ふと心ぼそくなりなる自分がいました。
自分がこれまでにできなかったスキルを身につけたい、そう意気込んで入った会社だったはずなのに、中々要領を得ることができず、昔の自分に戻ってしまったみたいだ、と落ち込みながら駅から家の道を歩いていた時、1匹の猫を見つけました。

その猫は、じーっとこちらの様子を伺っていました。
「どうしたの?」
周りに人がいると恥ずかしいので、小さな声で猫に話しかけました。
それでもこちらを見ているので、なんだかその猫が気になって、しゃがんで、猫にとっての愛情表現である、ゆっくりとした瞬きをしてみました。
やっぱり猫はただこちらを見ているだけでした。

1週間後、いつも通り慣れない仕事を終え、孤独感を抱えながら駅から家の道を歩いていると、この前の猫を見つけました。
変に構って可哀想なことをしてしまったな、と思っていたので、そのまま通り過ぎようとしたところ、猫が近くにきて、足に擦り寄ってきました。
家まで歩こうとすると、一緒に横を歩いてくれます。
「餌は持ってないよ。」
また小さな声で猫にだけ向けて喋りかけます。
猫は、しばらく一緒に歩いてくれましたが、自分の縄張りがあるのか、一定区間を超えてついてくることはありませんでした。

その後も、決まって私が落ち込んでいる日、疲れている日に猫は現れました。
そして餌はあげていないけれども必ず足に擦り寄ってきて、縄張りの中でだけ一緒に歩きます。
そんな猫にいつも心癒されて、また明日から頑張ろう、という気持ちにしてもらいました。

1ヶ月程経った頃、家で食事をしながらふと猫のことを思うと、最初に会ったのは確かAの命日近くだったよな、と思いました。
親戚とお寺さんの都合で法事は命日よりも大分早めに行ったのでパッと結びつかなかったのですが、偶然にしては良くできた偶然だな、と思いました。

初めて猫に会ってから2ヶ月程経った頃、久しぶりに彼氏ができた私の元に、猫がいつものように擦り寄ってきました。
そしていつものように一緒に歩こうとしますが、身を挺して私の足を止めてくるのです。立ち止まり、
「踏んじゃうよ、危ないよ」
と小さな声で猫に話しかけると、猫はニャーと鳴いて、植木の隙間に入っていきました。またそこでしばらくニャー、ニャーと鳴いているので、覗き込んでみると、そこにはもう一匹猫がいました。
いつもの猫が私とその猫の間を行ったり来たりして、もう一匹の猫もこちらに来ようとしているようでした。
もう一匹の猫の方は中々決心がつかないらしく、私の足元まで来ることはありませんでした。
もう一匹の猫が来るまで待ってみたいところだったのですが、そこは中学生くらいの子供たちがサッカーをしている公園のすぐ近くで、人通りもそこそこある道なので、怪しまれる前に撤退せざるを得ませんでした。

それを機に、猫は私の前にあまり姿を見せなくなりました。
しかし、私が泣きそうになりながら歩いている時には、なぜか必ず猫が姿を見せてくれるのでした。

猫と出会ってから1年経つ頃、契約社員で入った会社を退職し、転職・引っ越しすることになりました。

今思うと、その会社にはやりたいことがあるというよりもスキルを身につけたいという思いでかなり無理をして入って、「なりたい自分」を見失っていたように思います。
なりたい自分になれていない時、不甲斐なさで泣きそうな時、苦しい時、誰に話を聞いて貰えばいいか分からない時、必ず猫がAが小さい時そうしてくれたように、そばにいてくれたように思います。
もしかして、Aが猫の身体を借りて会いにきてくれたのではないか。
私がそう思いたいだけなのかもしれませんが、それでもこの出来事は、
私にとって偶然のような、必然にも感じる出来事でした。

猫は引っ越しする1週間前に姿を見せてくれたので、ありがとう、と言って
お別れをしてきました。

それから猫には会っていませんが、今日はどうしているだろうか、
と今でも思い出します。

これは、私のことを支えてくれたAと、猫の話。
一生忘れずに死ぬまで忘れずに持って行きたい出来事。

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