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和人はシャモと名乗るべきか?

このテーマについて考えるきっかけは私の日常の中にちょくちょく落ちていた。例えば和人研究者が書いた本の中、アイヌ文化関連のイベントで和人が挨拶をするとき、そのイベント後の懇親会での自己紹介。
シャモと名乗る和人を見るたびに何故だか心がもやもやしていたが、それについて深く考えることはなかった。

しかし和人である私が「シャモ」と名乗る和人を目にする度、感じていたもやもやをアイヌの視点からもやもやしていた仲の良い先輩と飲みの席で話したことが本格的に考え出すきっかけになった。なのでそこで出た考えをまとめていくことにする。

用語の解説

本題に入る前に、このnoteで使われる言葉について説明する。これはアイヌルーツの人物(自覚の有無を抜きにして)と関わったことがない人やアイヌ民族を教科書のコラムでしか知らない人向けの解説なので
「もう知ってる!」という人は飛ばして頂きたい。

和人/和民族

国籍ではなく民族として日本人、大和民族

シャモ

アイヌ語で悪い和人を指す言葉、個人的には蔑称的なニュアンスを感じる
言葉

シサㇺ

アイヌ語で良い隣人という意味の言葉のこと、個人的に自ら名乗るのは憚られる言葉

シャモという言葉の意味について

「シャモ」という言葉は和人を指す言葉だが基本的にあまり良い意味を持つ言葉として使われない。むしろ和人に対する嫌悪感を示す際に使用されることが多いだろう。しかし和人が行った植民地化、同化政策の歴史を考えればアイヌから「シャモ」と呼ばれたとしても(何の理由もなくそう呼ばれることもないはずなので)私はそこまで不愉快な気持ちにはならない。
しかし、私と同じ和人としてのルーツを持つ人物が自らを「シャモ」と名乗る際にはなぜか心がモヤモヤするのだ。

シャモと名乗る理由

ただ自らを「シャモ」と名乗る人にも理由があると私は考えている。その理由とはシャモ以外に和人を指すアイヌ語が「シサㇺ」しかないからである。
これは一部の和人が自らをシャモと名乗る大きな理由の一つだろう。
なぜならこの「シサㇺ」という言葉には「良き隣人」という意味も含まれているからだ。

この「シサㇺ」と名乗ると自動的に「良き隣人」と名乗ってしまうシステムは和人にとってかなり大きな問題で、本人が自分のルーツを示したいだけでも、同時に「良いやつ」であると名乗ってしまうということになる。

自己紹介の際に「私はいい人です」と説明する人はいない。
いたら申し訳ないが、そんなことをするのはちょっとヤバい奴だ。

そしてそんな風に名乗ると、自ら「私はオリパㇰしません」と言うような気がするというのもあるだろう。
「オリパㇰ」とは遠慮するとか、礼儀正しくする、という意味のアイヌ語である。

そういった事情から「シサㇺとは名乗れない、じゃあシャモと名乗った方が良いか」ということで自らを「シャモ」と名乗る和人が存在するのだと私は思うのだ。

シャモと名乗らない方が良いと思う理由

…という風な理由で「シャモ」と名乗る和人は一定数いるが、ここからは先輩との話で出たシャモと名乗るべきでない理由について書いていく

その理由とは何よりも「相手が反応に困るからだ」
例えば私にはコリアンルーツの友人がいたが、彼に「俺チョ〇なんだよね」と言われたら「そんなこと言わないでよ」と言うしかないがその時の私の気持ちは非常に複雑である。悲しいし、自分は何で友達にそんなことを言わせたのかと落ち込むだろう。

また、初対面であれば尚更複雑である。アフリカ系アメリカ人の転校生から自己紹介で「I`m N〇〇〇er」なんて言われた日にはどう反応して良いか分からないだろう。

この悪口を言われたわけでも無いが、何とも言えない気持ちになることを
「血は出て無いけど内出血くらいしてる」と先輩は評していたが、まさにその通りだと思う。 良く分からないが、なんだか傷ついた気持になる。

なので和人が自ら「シャモ」と名乗るのはあまりよくないと私は思った。

和人という言葉の中立性

アイヌとかかわる和人は常に「オリパㇰ」の姿勢を保つべきだというのは、ほとんどのアイヌと関わる和民族の間で共有される価値観だろう、先述した通りそういった観点から和人は自らを「シサㇺ」とは名乗れない

そんなときに便利な言葉がこの「和人」という言葉だ。
この「和人」という言葉は江戸時代ごろからアイヌに対する日本人(民族としての)の自称として使用されているそうだ

日本に住む日本人は民族集団としての名前を付けられて、呼ばれることがほとんどないため、この呼称に少し違和感を感じる人もいるかもしれないが、江戸時代からの自称であることや、何より「シャモ」と呼ばれることほど、モヤモヤしないだろう。

これらの理由から「和人」という言葉はかなり中立な言葉だと私は思った。

まとめ

「シャモ」という言葉をほかの和人が聞くとモヤモヤするかもしれないし、それを聞いたアイヌもあま良い気持では無いかもしれないので、「和人」
もしくは「和民族」と名乗る方が良いのではないかと思う。

ただ普段の生活の中で、自らのルーツを明らかにすることなど滅多に無いとも思うのでそこまで気にする様な事では無いのかもしれない


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