エルマ
「おはよう。起きて、エルマ」
眠そうに目を擦る君を優しく揺り起こす。
「早起きして散歩に出かけようって言ってたのは君だろ」
君は大きな欠伸をして、小さく頷いた。
◇◇◇◇
まだ早朝だからか初夏とはいっても空気はどこかひんやりとしている。木々の青々とした香りも相まって清々しい気分だった。
深呼吸をして体内に目一杯空気を取り込む。朝日が朝露に反射して辺りは静かに煌めいていた。
隣に立つ君は寝ぼけ眼をゆっくり擦っている。
「エルマ、まだ眠いかい?」
欠伸を噛み殺した君はそんなことないと首を振る。僕はくすりと笑い近くのベンチに腰掛けた。
優しいエルマ。
だからさ、そんな寂しい歌うたわないでよ。
◇◇◇◇
気だるげな昼下がり、君はこうも言ってたね。
「どこか遠くに、遠い国にいってしまいたいね」
そう呟いた時の君の表情を思い出せない僕がいる。君のふわりと微笑む顔はいくらでも思い出せるのに、悲しい顔は頭の中をひっくり返しても思い出せないんだ。
「遠い国……?どこに行きたいんだい?」
「そうね……スウェーデンとか?」
「それは確かに遠いな」
こんな他愛のない会話にすら君の優しさは詰まっていた。
何も気づかず、気付こうとせず、きちんと向き合あおうともしてなかった。君は僕に多くのヒントをくれていたのに。
◇◇◇◇
「さよならだね」
夕暮れで頬を染めた君は微笑んでそう告げた。
君と僕の間には空気しか無いはずなのに、大きな壁に隔たれているように感じた。
「さよなら、なんだね」
僕の頬にはまだ朝露が残っていたようだ。
君の白い手が僕の頬に触れる。
甘やかな香りが鼻先をくすぐった。
痛いよ、エルマ。
君が触れた部分が熱を帯びて破裂しそうだ。
◇◇◇◇
もう君はあの部屋に帰っては来ないんだね。
君の温もりが消えて冷たい夜がくる。
窓辺、コーヒーカップ、洗面台。
何を見ても君の残滓だけが残されていて、あの朝にはもう戻れないのだと寂しくなった。
僕の頬にもう朝露は落ちない。
口からおはようと挨拶が零れることもない。
◇◇◇◇
終わりが来るなんて思ってなかったというのは嘘だ。
終わりがくることを見ようとしなかっただけなのだから。