目覚めよニッポン その1 by 茶茶 サティ
第1部 央華人民共和国
「なに、気付かれまい…」
彼は続けた。
「奴らは感心なことになかなか几帳面だし熱しやすい。しかし冷めやすく… 長続きはしないものさ」
『いやいや油断は禁物、中には気の回る者もいるかもしれません…バカにはできませんぞ。』
「ははは… 俺もそう思ったさ、10年前は、な。でも大丈夫だ。奴らは和と共感と集団行動を重んじ、自らそれを壊す核になるようなことを自制するのだ。それが日本人の集団心理学だ」
『し、しかし…』
「心配するな… 任せておけ。ところで他になにかあるか」
『うっ、いや… ございません』
「うむ、ごくろう… 下がってよいぞ」
「は… しつれいいたします」
扉が閉まると部屋には俺独りだけが残る。
「ふふ、何時までたっても心配性だな、アイツは…」
なにを議論していたのかと言うと、あの尖閣(せんかく)諸島のことである。
日本人という民族は広い世界のなかでもやや異質な民族である。勤勉で賢くて全体主義ファシズムの権化(ごんげ)のように集団行動が好きで、すぐに相手を信じてしまうお人善しで…
あの性格は根っからの農耕民族ではあるまい… むしろ騎馬民族的な統制に慣れた民族なのではあるまいか。そして不思議なほどに習俗や言語の中にはユダヤ人との関連性や類似性が幾つも指摘されていて、「消えた13番目」の末裔(まつえい)だと考える学者もいるくらいだ。理知的で優秀で小器用で恩讐(おんしゅう)いずれも「水に流せる」さっぱりとした気質をもつところが海を隔てた癇民族との際立った違いだと言えるだろう。そしてそれこそが我が華民族との決定的な違いであるとも言える
彼が睨(にら)んだ限りで言うと、現在の日本人ヤツラには「自身の夢や世界」はあるが、「一族の夢や世界」という世界観がほとんどない。これは大東亜戦争(太平洋戦争)後の美国(アメリカ合衆国)による占領政策がバカ当たりした影響も大きいだろう。戦前のまるで集団ヒステリーのように精悍(せいかん)かつ屈強だった国民性はGHQ主導のスポーツ、セックス、スクリーンという3S政策に見事に踊らされ、馴化(じゅんか)され、堕落させられたのである。核家族化が進行した結果、いまや彼ら自身と家族の幸福のためには身を粉にして働くが、広く長い目でみた「一族」という思想が希薄になってしまっている。
実際のところ、日本には世界のどこの国よりも長い「天皇制」という制度が意識の底流に存在していることだろう。五代前の縁者を天皇に祀(まつ)り上げた「継体天皇」やいつの間にかすり替わったのではないかと噂される「明治天皇」などの例もあるにせよ、公式には「万世一系」と号する天皇家が「象徴天皇」として残されていたり、千年も前の建築技術を脈々と受け継ぐ「宮大工」が存在するなどの頑なな文化や伝統も確かに継承されている。
「でも最近はなぁ… そうでもないか、特に若い層は…」
思わず独り言が口を突く。
一部の例外を除けば国民は熱しやすく冷めやすく、異質なものにもすぐに慣れて取り込んでしまうという柔軟な国民性で… しかし為政者としてそれはキライな性格ではない。
なぜか? ずばり、治めやすいからである。それに… 大東亜戦争の恨みと復讐も残っている。
「あの国がほしい」
央華人民共和国、略称で華(ホワ)国の事実上の国家元首、糖 金平(とう こんぺい)は小さく呟いた。
第2部 臥薪嘗胆(がしんしょうたん)
元首、糖 金平(とう こんぺい)のいう「広く長い目」というのは、糖が書記長を務め、事実上独裁している央華人民共和国の国民性でもある。彼らは面子(めんつ)を重んじ、自身の1代よりも数代の家系で物事の損益や成否を考えようとする性格を持っている。
いささか悪い例を出してみよう。
昔々の華(ホワ)国の王が死ねば、当然ながら豪奢(ごうしゃ)を極めた墓に入ることになっていた。そしてそれはいざ必要な時に間に合うように生前からコツコツと造っておく必要がある。極秘のうちに土地を確保し、嘘っぱちの名目で地元民を使役(しえき)しながら造営していくことになるが、気付く者はやがてその本当の目的に気付いてしまう。するとその集落を巻き込みつつその未来の墓所からはるか離れた場所に一庵(いちあん)を作るのだ。
目的は何か… むろんそこから墓所に向かって坑道を穿(うが)っていくことである。おそらくその知恵者1代では王墓には届くまい… そんな遠い場所である。その息子の世代でも無理かもしれないが、いつかは届く。届いてしまえば副葬品の宝石や金銀財宝や朱,つまり水銀などは一族や集落のモノになる。
ただしこうした盗掘がいつもうまくいくとは限らない。政権側に気付かれたり裏切者に密告されたり、場合によっては造営関係者のほぼ全員が殉死という名目で秘密を守るために消されたりするリスクもあるのだから、地元民とも政権側とも虚々実々… いや虚々虚々虚々虚々虚々(きょきょきょきょきょきょ)とも言うべき駆け引きを成功させていかねばならないワケだ。
こうした発想と子々孫々(ししそんぞん)に渉る行動力は、遠くエジプトあたりのピラミッドの副葬品を狙った盗掘者とよく似ている性格だと言えるだろう。
そしてこういう思考系統こそが、一朝一夕に結果を求め、性急に物事を進めようとする和人(にほんじん)とは決定的に異なる民族的性格だと言えるのだろう。
今の尖閣(せんかく)諸島、すなわち日本の領土を強奪せんとする計画を廻る状況を日本人はこう考えている。
『中国はあつかましい。天然ガスや石油が出る可能性がわかった途端に華国は領有権を主張しだしたし、近頃は接続海域まで入ったり出たりするようになった。いやいやときどき領海侵犯までしているんだって… 最近では砲を装備した艦艇まで派遣してくるようになっている。いつの間にか航空母艦まで持ってるし、よっぽど尖閣諸島がほしいんだな』
しかし… 尖閣諸島などは中国にとっての真の狙いではない。
『そうさ台湾だろ、知ってるよ』
いやそれでも読みが浅すぎる。
『えっ、じゃあ沖縄?』
いや、まだまだだ。
この辺の思考は犯罪や推理小説の心理戦と似ているところがあるようだ。
どういうことで誰がどんな損をするのか。
逆に誰がどんな得をするのか。
そう、尖閣諸島から考えるからわかりにくいのだ。
中国が好き放題にふるまおうとするとき、もっとも邪魔な国はどこか。
それは美国(アメリカ)であり、これに疑問の余地はない。
人権だ、航海の自由だのと華国の目の前の海を我が物顔に「第七艦隊」なる巨大な戦力を展開して、正義面していちいち注文を付けてくる。そもそも蒋介石(しょうかいせき)率いる国民党の中華民国(台湾)が台湾海峡を渡って逃れたときに中国共産党の八路(はちろ)軍が追撃できなかった理由は、美国が台湾海峡に第七艦隊をズラリと並べたからだったではないか。さらに十年ほど前にもアメリカの武力による威嚇(いかく)に屈せざるを得なかった苦い歴史があったではないか。
中国はあの屈辱を教訓に、その轍(わだち)を踏むまいとギリギリと歯ぎしりを繰り返しつつ臥薪嘗胆(がしんしょうたん)を積み重ねてようやく今日(こんにち)に辿(たど)り着いたのだ。
そしてそれは我が華国にとっても同様な事情である。
臥薪嘗胆とは古き中国の書「春秋戦略」にある次のエピソードに由来する故事成語である。
時は春秋時代、呉王の闔呂(こうりょ)は越王の勾践(こうせん)に敗れて戦死、さらに。闔呂の息子である夫差(ふさ)は越王の奴婢(ぬひ)、つまり奴隷として働き、賄賂(わいろ)を部下から贈らせた甲斐あってやがて許されるが、その間にも父の仇を忘れないように固い薪(たきぎ)の上に臥(ふ)して眠り、食事ごとに熊の肝を嘗(な)めたという。薪(まき)の上に寝れば痛いし熊の胆嚢(たんのう)は苦い。その痛みや苦みで復讐の志を忘れないようしたのだ。
結果を見ると見事、三年後に会稽(かいけい)山で勾践を降伏させたが、このときは夫差は勾践の助命嘆願を許さなかったという… 当然だろな、うん。
つまりもともと臥薪嘗胆とは「自身を苦しめることで復讐の志を奮い立たせること」を表していたのだが、現代ではそれが転じて、「目的を達成するために苦心し努力を重ねる」といった意味で用いられているワケだ。
華国の立場もまた中国と同様である。あれから惨憺(さんたん)たる思いで人民を搾取(さくしゅ)し、他国への合法・非合法的活動(まやくみつばい など)で資金を集め、いまようやく航空母艦2隻に極超音速ミサイルを備え、美国の武力に対抗する手段を持つことを得た。それだけでなく美国の国債を大量に購入し、報道各社に多数のシンパを養成し、大小さまざまな企業の管理職を操り、ユダヤ資本や華僑(かきょう)と結び、多数の工作員とスリーパーを潜ませて… ようやく侮(あなど)られないだけの発言力を有するに至ったのだ。
「そのとおりだよ、ふふふ… まあその辺がせこい要求を繰り替えす物乞いじみた癇国家とは違うんだけどね。長い目で実力を積み上げるのが我々華国のやり方で… そして我が意思を世界と協調しながら【民主的に】反映させていくだけさ。ああ…でもひとつ、これだけはしっかり言っておきたい。我々は美国を邪魔な敵などとは思ってなどいない。仲良く共生すべき相棒だよ」
そう糖首領はコメントするだろう。