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大倶利伽羅さんのつくりを考える
こんにちは、素人です!(予防線)
大倶利伽羅さんを所有していらっしゃる財団の方の情報や色々な本を元に、大倶利伽羅さんのつくりについて色々と考えてみたときのメモを公開します。
あくまでも素人のメモをまとめたものですが、皆様の何かしらの足しになれば幸いです!
まず、良いものを作るには当然良い材料が必要になります。実用面を考慮するのであれば尚更であり、もちろん刀剣にも当てはまります。脆く不純物の多い鋼で作られた刀は、当然使い物にはなりません。
その点大倶利伽羅さんは、良質な鉄をふんだんに使っているとされています。ということで、まずは刀剣の材料となる「鉄」に着目し、その後さらにその鉄がどのように作用するのかを順に追っていこうと思います。
●たたらと刀剣
それでは、大倶利伽羅さんの刀に使われている「良質な鉄」というのは、どのような鉄なのでしょうか。
刀剣乱舞ユーザーの方であればご存知でしょう、これこそが「玉鋼」と呼ばれるものです。玉鋼は日本で砂鉄を原料として生産され、「たたら製鉄」によって作られる鉄素材です。鉄なんてどれも同じだと思われるかもしれませんが、実はこの玉鋼を作るたたら製鉄の段階で、後につくられる刀剣の善し悪しを左右しかねないのです。
たたらの原料となる砂鉄は、酸化鉄の状態で自然界に存在しています。したがって、鉄を得るためには還元し、酸素を分離しなくてはなりません。たたらはこの「鉄から酸素を分離する」ための仕組みのことを指します。
たたら製鉄は古墳時代から始まり、大正の末で一度失われるも、現代は日本美術刀剣保存協会などの手により復元されました。たたら操業には「鉧(けら)押し法」と「銑押し法」があり、刀剣に使われる玉鋼は前者の方法で生産されます。
土で作った炉の中に30分毎に砂鉄と木炭を交互に入れ、「吹子(ふいご)」という装置で風を送り込み、温度を高めて砂鉄を溶かすことで行われるのですが、なんとこれを三日三晩続けます。特に責任者である「村下(むらげ)」という役職の方はずっと指示を出し続け、火加減を見続けなくてはならないため、三日間休むことすらできません。これによって「鉧」という鉄の塊が出来、ここから玉鋼を取り出します。この中でも炭素含有量が1%前後のものが、刀剣の材料には好ましいようです。
これだけでなく、山土などから砂鉄を取り出すのはもちろん、一度のたたら操業には12トンもの木炭が必要です。その木炭にも善し悪しがあったり、砂鉄を溶かすための釜の素材など、気を配るべきポイントはいくつもあるのです。
刀剣を作るのが大変なのは想像がつきますが、実はその前段階、原料となる鉄を作るだけでもこんなに手間がかかるんですね……!
●刀剣と働き
さあ、こうしてめでたく玉鋼が誕生しました。
この玉鋼によって打ち出される刀の中には、様々な模様、いわゆる「働き」が見えます。例えば「匂い」と「沸」はいずれも刃文のふちにあらわれるものですが、これらの生成にはこれまでにも焼き入れの工程が深く関わっています。匂い出来の場合は焼く温度と冷却する水の温度との差を少なくし、逆に沸出来では大きくするのだそうです。
これらは見た目だけでなく、使い勝手にも大きく影響します。匂い出来の場合は粒子が細かいため丈夫ですが、少し食い込みづらく、つるりとした防具に対しては滑ってしまうことがあります。対する沸出来は革素材にもしっかりと食い込みますが、粒子の荒さゆえに耐久度では匂い出来に劣ります。
つまりは粒子の大小の問題なのですが、完全に「匂いだけ」「沸だけ」の刀はほとんどなく、大抵が多少入り混じっているようです。また、匂い出来・沸出来の分類はとても難しく、それ以外の箇所に関してもプロの方同士で見解が違ったり、時に間違えてしまうこともあるのだとか。
それにしても、どうして「匂い出来」と「沸出来」で丈夫さが変わってくるのでしょうか。このひみつは、「マルテンサイト変態」という現象にあります。(大慶直胤さんの鍛刀に成功した方なら聞いたことがあるかもしれません!笑)
実は鉄の組織には色々と種類があって、最も安定的なのは「オーステナイト」です。玉鋼ももともとオーステナイトなのですが、刀身に焼き入れを施し急激な温度変化を与えることによって、このオーステナイトが「マルテンサイト」という硬い鉄の組織に変わるのです。ですからこれは日本刀を硬く作るために必要不可欠で、さらにマルテンサイトが刀の表面に現れることによっても刃文が形成されます。
しかし、マルテンサイトはオーステナイトよりも脆いため、刀全体をこのマルテンサイトにしてしまうわけにはいきません。
そのため、焼入れを強く入れるのはふつう刃の部分だけ。そうすることによって、「折れない」と「よく切れる」という矛盾を両立させるのです。更にマルテンサイトに変態することで、鉄はその体積を増します。刃の方がぐーっと伸びる形になりますから、それによって「反り」が生まれるというわけです。
また、マルテンサイト以外にも、日本刀の中には様々な鉄の組織があります。例えばトルースタイト。これは冷却温度が水よりもやや遅めの油で焼き入れすることで出来上がります。ソルバイトという状態はほかの鋼よりも粘りが強く、棟や刀身の内部はパーライトやフェライトといった、軟らかく延性の大きな組織に変化します。これらを複雑に組み合わせることで、硬さと柔軟性を両立するのですが……もちろん簡単なことではありません。
鉄の組織それぞれ出現する条件が違いますから、独自にこれらを出現させることは容易ではないのです。これを実現するのに必要なのが、「焼刃土」とよばれるもの。
鉄の組織の違いは、温度差、つまりは刀身を冷やすスピードの差によってうまれます。一本の刀の中に、ゆっくりと冷える箇所と急激に冷える箇所をそれぞれ作らなくてはなりません。
高温に熱した刀身を水の中に入れると、刀身に触れた水は瞬時に水蒸気に変化します。焼き入れの際は水蒸気が大量に発生するため刀が一時的に水蒸気に覆われてしまい、冷却水が刀身に直接当たらなくなってしまうのです。これが起きてしまうと冷却スピードが急激に落ち、マルテンサイトを生成できなくなってしまいます。
しかし、焼刃土を置くことで、水蒸気を外へと逃がすことが出来ます。また、焼き入れを強く入れてマルテンサイトにしたい部分には薄く、そうでない部分には厚く載せることで、鉄の組織をコントロールすることができるのです。
それでは、「無垢鍛え」だという大倶利伽羅さんはどんな構造になっているのでしょうか。
これまでに述べたとおり、大倶利伽羅さんの中には芯鉄、皮鉄のような区別がありません。
刀剣は大きく「古刀」「新刀」「新々刀」「現代刀」の四つに分けられ、大倶利伽羅さんは「古刀」に該当します。無垢鍛えの多くは、大倶利伽羅さんと同じように古刀にあたります。
様々な作風がありますが、新刀以降は刀の造り込みを行うのが一般的です。これに対し古刀は、古硬軟の異種鋼を練り合わせることで、刀剣の強さとしなやかさを保っています。
全体を練り合わせている以上、いくら研いでも刀の中の鋼の硬さ・柔らかさの比率は変わりません。ですから芯鉄が露出してしまうということがなく、切れ味もあまり落ちずにすみます。大倶利伽羅さんを所有する方が代表を務めるブレストシーブのホームページには、このような記載があります。
炭素含有量の多い焼き入れをすると硬くなる鉄と、炭素含有量の少ない焼き入れをしてもあまり硬くならない鉄をあわせて折り返し鍛えられています。2種類だけでなく何種類かの鉄を使用しているようです。
(中略)焼入れも強めで通常の日本刀の刃より硬い部分が多いことが分かりました。焼き入れがいわゆる皆焼になっており、焼きで部分的に硬いところと軟らかいところを作り出し、折れず曲がらずの両方を実現しようとしたものと思われます。このため、いくら研いでも大肌も出ず、芯鉄(地鉄)も出ないのです。良質な鉄をふんだんに使用した日本刀です。
古刀の無垢鍛えは、三段焼入という複雑な焼き入れ処理を施していたそうです。高温で焼き入れした後に700度以下で焼き戻し、更に焼刃土を塗って刃をしっかりと焼き硬度を持たせることで、変態によって生じたひずみを開放し棟部に靱性を与えていました.その上そもそも古刀の時代の地鉄は柔らかいので、刀が折れるのを防ぐためにわざわざ芯鉄を入れる必要がなかったのでは無いかという見解をする方もいます。
大倶利伽羅さんはとても硬い(通常の四倍の硬さ。現代の技術での再現は不可能)ということが度々強調されているので、その柔軟性がどれほどのものかは分かりません。しかしこのような複雑な工程を踏み、古刀ならではの方法でより強く焼き入れを行い、マルテンサイトを増やしていた可能性は十分に考えられます。
大倶利伽羅さんは刃文部分だけが硬い訳ではありません。剣槍秘録によれば、大倶利伽羅さんは鎬地を焼いており、皆焼になっています。刃以外の部分にもマルテンサイトを生み出し、そのバランスを巧みに操ることでより強靭でよく切れる刀に仕上げられているのです。炭素の多く含まれる鋼は焼きが入りやすく、マルテンサイトになりやすいため、鋼の組み合わせ方にも工夫があったものと思われます。……つまりまとめると、大倶利伽羅さんには芯鉄、皮鉄という区別こそありませんが、広光は飛焼と複数種類の鉄を混ぜ合わせることだけで柔軟性と強度を操ったことになるのです。な、なんという変態技巧……!
刀剣乱舞における大倶利伽羅さんの生存や統率の高さも、刀の強度を増す技術である皆焼に裏打ちされたものなのかもしれません。
失われた技術
大倶利伽羅さんについて、これまで度々「現在の技術での再現ができない」と述べてきました。刀剣を作る技術は秘伝とされていたり、伝わったとしても再現することが難しいということももちろんありますが、その他にも大倶利伽羅さんを再現できない理由がいくつも存在します。
第一に、古刀と新刀では使われている鉄の質が大きく変化しています。鋼の不純物の量も大きく違っていますし、いくつかの鉄を合わせて作る場合、その比率も重要となるでしょう。ただ良質の鋼のみで鍛えれば美しい刀ができるというわけではありませんから、作りたいものや鉄の質に合わせて鍛え方を考えていたと取るのが普通です。鉄質に合わせた組み合わせ、上げ鍛えの数、合わせ鉄の細かな調整、それらは刀派それぞれに秘伝とされていたに違いありません。
加えて、相州伝はその需要に反し、古刀期の300年間余を通しても刀工は140人に満たない程度だったと言います。備前伝に2000人、山城伝に300人刀工がいたことを考えると、その少なさは歴然でしょう。
鎌倉幕府の滅亡に伴い、室町中期を過ぎた頃には、既に鎌倉には相州伝の刀工は一人もいなかったとまで言われています。
刀工が少ないということは、それだけ後継者の育成も難しいということ。更に相州伝は非常に高い技術を要するということも背景にありました。
広光の皆焼は沸出来のものが多いですが、これは硬軟2種類の鉄を混ぜて鍛えた鋼に、均等に焼刃土を引いて焼入れを行うことで作られます。下手に焼くとかえって強度が落ちてしまうため、相州伝の特徴の一つである皆焼はとても難易度が長いのです。前述の通り大倶利伽羅さんは無垢鍛えによって作られていますが、無垢鍛えはそもそもその性質上折れやすいのが普通だそう。しかしそれでも何故か折れないのだそうで、やはりこれを現代において再現するのは難しいようです。無垢鍛えが短刀や脇差に多いのは、単に短ければ折れる心配があまりないからということのようですが、刀剣乱舞においても看板キャラクターである太刀・「三日月宗近」も無垢鍛えでは無いかという説があるようです。謎は深まるばかり……。
「当時の貴族にはお金があったから、高い鉄をふんだんに使うことが出来た。だから無垢鍛えが可能だった」なんて説まで唱える方もおられますから、ますます真実は闇の中。残されたのは何故かとっても丈夫な大倶利伽羅さんだけです。
大きめの作品に関しては、大倶利伽羅さんの例といい、やはりそもそも「どうやって作ったのかがよく分からない」のが大きいのではないでしょうか。 また、どれだけ研いでも地鉄の出ない無垢鍛えは、実に彫り物向けと言えます。しかし「技巧と作品」という本にはこのような広光の刀の断面が掲載されており(もちろん初代広光かは分かりませんが)、彫刻の無い刀もあることから、そうなると広光が無垢鍛え以外何も作っていないという訳ではなさそうですね。
広光が大倶利伽羅を鍛えるまでにどれだけの時間や苦労を要したのか……考えれば考えるほど、その技術の高さにどきどきします。古刀に使われていた鉄について、現代刀の刀工の方々は
・現在ほど何度も折り返して鍛錬する必要がなかった。
・低い温度で焼きの入る鉄を使っていた。
というような見解を示しています。刀工によって考え方が違うのは当然のことですが、昔の鉄が今のものよりも優れていたという考えは水心子正秀の頃からの常識なのでしょう。
また、大倶利伽羅さんや相州伝に見られる金筋については、「異種の鉄の組み合わせによって現れている」という点はどの刀工さんも見解が一致しています。しかしこれは意図的なものでは無いと捉える方もいらっしゃり、その場合は「焼入れを経て性質の異なる部分が顕在化した」と捉えられているようです。
・肌を出すための鍛えと、沸のつく高い温度で焼いても欠点の出ない地鉄を作っておく必要がある
・上げ鍛えによって意図的に肌を出す/操作する
いずれにしろ古刀の製法が正確に分からないので、どれが正解と断定することはできません。
無垢鍛えについては、
・無垢でも十分に実用に耐えられる材料だった
・無垢は芯鉄入りよりも焼けやすかった
という意見もあがっています。無垢鍛えに対する記述が少ないところに、大倶利伽羅さんが再現不可能である理由の欠片を感じました。
更に資料によると、相州広光の短刀はほかの刀と比べるとリンが多く含まれていることが分かりました。もちろんサンプル不足は否めませんので鵜呑みにする訳にも行かないのですが、普通リンは玉鋼にとって不純物となりうるものです。しかし僅かな不純物が混じることで、折り返し鍛錬の際に更なる強度を加えるという見方もあるようです。
大倶利伽羅さんの強さにはこれらの条件が複雑に噛み合い、更に成分にも幸運が重なっていたのかもしれません。
●炭素から見る大倶利伽羅
大倶利伽羅さんの硬さについては度々言及している通りですが、その硬さは炭素の含有量に由来しています。大倶利伽羅さんの兄弟・火車切広光さんを所有する佐野美術館の館長さんは、自身の執筆された本でこのように書いています。
前略)
しかし、日本刀の鉄は硬くはありません。特に名刀は柔らかいから不思議です。日本刀の表面は紙でも絹でも疵(きず)が付きます。小さな疵でも気になるほど、繊細に研ぎあげているからでもありますが、一度付いた疵は砥石を当てて研がなければ消えません。一本の疵もつけないように、長い間手入れし続けるのは至難なことです。
鉄が柔らかいとは、どういうことなのでしょう。治金学的に言えば、鉄と炭素とが化合して鋼となりますが、その炭素含有量が約0.7パーセント以上であれば堅くなりますし、それより少なければ柔らかめになります。私が専門家に分析を依頼した資料のうち、南北朝時代の相模国の広光の刃先の一部は、炭素含有量が0.4パーセントでした。
(中略)
刀の堅いか柔らかいかは、0.7パーセントから0.4パーセントぐらいのわずかな差といえるようです。しかし、これだけでは解決できない感じです。古名刀を観ると、とにかく柔らかさを覚えます。名刀を分析できないのが歯痒いのですが、正宗も三条宗近も無類に柔らかいのです。
こちらの記述によりますと、広光も例外なく「柔らかい」刀を打っていたことがわかります。僅かな違いですから定義付けの問題も生じますが、これが広光の作る刀のスタンダードであるとした場合、全身カチカチの大倶利伽羅さんは異質です。大倶利伽羅さんの製法の関係上、やはり刃が柔らかくできているというのは考えにくいと思うのです。
古刀は材料、技術の面からも再現不可能と言われることが多いものですが、調べれば調べるほどに大倶利伽羅さんが謎めいてみえます。う〜ん浪漫。
・TATARA 鉄づくり千年物語 鉄の道文化圏推進協議会発行
・和鋼スポット解説 和鋼博物館
・検索kw:日本刀 マルテンサイト変態 scanner’s blog
https://scanner.hatenablog.com/entry/2020/11/15/122044
・日本刀の焼き入れと鉄の科学 刀剣ワールド
・技法と作品 刀工編 大野正
・日本刀の研究 俵国一