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嫌な記憶の吐き出し。きっとこれでよかった。|書くチャレンジDAY5

書く習慣化1ヶ月チャレンジ DAY5
「昔はどんな子どもだったのか」

昔のことを思い出すと、とにかく学校が好きではなかったという記憶しか浮かんでこない。小学校から高校まで、とにかく嫌いだったし行きたくなかった。思い出そうとするのも嫌だなと感じるくらい。でもわたしは「いい子」だったから、常に緊張状態でもどうにか心を押し殺して、兄妹の中では一番出席日数が多かったんだよ!笑

一番に浮かんでくるのがそんな記憶。とにかく小学校〜高校までは、絶対に戻りたくない時間。ああ〜ちょっと吐き出す感じになるけど振り返ってみよ。

保育園

しげの先生やさしかったな。おやつの時間におやつを食べずにマリンバの練習をしてたこと覚えてる。音楽すきだったんだなぁ。この頃はまだ素直だった。笑

幼稚園

記憶なし

小学校

いじめとまではいかないけれどもなんとなく仲間外れにされたり悪口を言われたりしてた記憶が多い。
休み時間、クラスの全員が(本当にわたし以外の全員!)運動場に飛び出していく中で、わたしはどうしたらいいかわからず、トイレと教室を何度も往復していた。
一斉下校のとき、〇〇ちゃんはあっちの班だよーと言われてそっちに行ったら家とは逆方向に進んでしまい迷子になったこともあった。(その地区の保護者さんが家まで送ってくれた。まじ感謝)
放課後に友だちと遊ぶこともあったけど、うーん。なんか友だちはいたりいなかったりというか、いつも一応属してはいたけど、くっついたり離れたりだったかな。嫌な記憶が良い思い出を上書きしすぎて、あんまり思い出せない。
写真を撮るときに自分だけ違うポーズになっているものもあった。そのときみんなでこそこそ話してたこと、今でも記憶に残っている。

でも今思えば、小学校の友だち関係なんてそんなもんかもな!みんないろいろあるもんね。自分だって誰かの悪口言ったこと、たぶんある。
されたほうは忘れない、言われたほうは忘れないって言う。きっとお互い様なんだろう。しらんけど。

中学校

少しだけ楽しかったかも。部活がんばってた。でも自分の言動を思い出すと鳥肌が立ちそう。黒歴史。とにかく自己肯定感が育たない日々。ネトゲにハマって病む。

高校

たまご工場でバイト。コミュ力ゼロで接客バイトできない。
勉強しんどかった。大学行かないくせに進学校だったので精神的にアウェイ。勉強も別にすきじゃなかったけど、課題も小テストも多いし授業は予習してないと大変だから(当てられるので)「いい子」発動して必死。

高校生となるともう結構「自分」が確立されているよね。基本的に陰キャで病んでたわたし。でも友だちはできた!!!なんか、不幸中の幸いというか、ただの幸いというか、こんなこと言うのもあれだけど、そういう勉強熱心な学校だから(部活も)みんなある程度真面目だし、向上心や親切心を持ってる人が多かった気がする。単純に小中より大人に近づいたのもあるけど、つまるところ人の「質」がよかったんだと思う

高校を卒業して15年経つ今でも連絡をとりあっている友だちが数人、わたしにはいる。これって本当にすごいことだよね、、、

自分の記憶の中では、高校もやっぱり、嫌な場所。思い出したくない時間。絶対に戻りたくない場所。
でも、こうして考えてみると、数人のとても大切な友だちに出会えたことは奇跡だし、本当に恵まれていた。ありがたい。そういう関係を築けたのも、その時の自分がそういう自分だったから。だから、出会うべくして出会えたんだよね。
そう考えると、学生時代のつらかった時間ぜんぶ、それでよかったのかもなと思えたりする。

今まではそんなふうに思えてなかったけど、書いてみたらちょっとだけそう思えた。

今日書いたことは、自分の生きづらさの根源となっている時代な気がする。思い出すのも嫌だったけど、今後のヒントにもなりそうな気がした。

誰得でもなさすぎる文章を読んでくれた人がもしいたら、本当にありがとうございます。

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