信じること。 〜80ドルスられた苦い想い出〜
「あれ?」
久しぶりに自分たちが建てた小学校に行って、
大好きな子どもたちとの再会を楽しんだ日の帰り道でした、
友達と買い物して会計したときに、
友達がドル札全部財布から抜かれてることに気づきました。
その総額80ドル超え、、
小学校に行ってる時に、
トゥクトゥクに貴重品を置いていたため、
その間に取られてしまいました。
小学校には門などなく、
その小学校の子ども以外に、
知らない大人や他の地区の子どもが何人か出入りしているので、
誰が取ったのかは分かりません。
そのため、何度も、
「大人が取っててほしい。」
と友達と話していました。
自分たちが1ヶ月滞在して建てて、
建て終わった後も長期休みには必ず訪れていた小学校で、
そんなことが起こってしまって、
仲良い子どもが取った可能性がある状況が嫌で嫌で。
もちろん、仲良い子どもが取ったとは思っていませんが、
可能性がある状況が悲しいんです。
これからは、
トゥクトゥクに貴重品を置かないようにしよう、
ってなる。
振り返ると、
子どもたちにカメラ貸して目を離したり、
今まではしてたけど、
そういうことが起きると、
それもどうなんやろってなったり、
こういう事件が起こると、
たくさん疑って、警戒しないといけなくなる。
(もともと警戒すべきとは一旦置いといて)
多分これって何に対しても言えて、
誰かが悪いことすると、
信じたいけど信じれない状況が生まれる。
自分に損害を被らないように身を守らないといけない。
でも信じたい。
わからない。
どうすればいいのか。
ここは人それぞれだと思います。
私は自分が被る被害が許容できるものならちゃんと考えた上で信じる判断を取りたいなと思います。
こんなことを一人でカフェで考えて、
文章を書いていたら、
知らない国際協力団体の人が声かけてきました。
簡潔に言うと、
「貧困の子どもに物資支援してます、募金してください。」
とのことでした。
自分は国際協力に対する自分なりの考えを持ってて、
相手はどう考えて国際協力をしてるのか興味あったので、色々質問したりお話しして、その後に10ドル寄付しました。
こんなこと考えてた時に来たので、
まず詐欺じゃないかと疑いましたし、
見ず知らずの団体に普段寄付しないので抵抗ありましたが、
高卒で国際協力の世界に飛び込んで、
ボランティアでしてるパッションに溢れる少年に心惹かれたこともあり、
寄付してしまいました。
詐欺じゃない確証なんて1ミリもなかったけど、でも信じたいと思った。
ここで、
「信じる。」
という手段を取って、
裏切られた時のことを考えました。
自分は払った10ドルを失って
少し心が痛むだけ、
それやったら信じる選択を取りたい、
そう思いました。
これが裏切られた時の損害がでかくなったらどういう選択を取るのだろうか。
「信じる。」選択をとれないのではないか。
ちゃんと考えた上で、
「信じる。」ことのできる人って
本当に強いと思うんです。かっこいい。
それは、
芯の強さだったり、
財力だったり、
精神力だったり、
能力だったり、
色んな力を兼ね備えてないとできないと思うんです。
出来るだけ多くの人、事に対して、
「信じる。」ことのできる人になりたい。
そう思いました。
(補足:人を疑わないために、被害を未然に防ぐ事も必要だと思ってます。)