ごめん、母さん。

 ごめん、母さん。あのね、結構前から思ってたんだけど、もう、俺は生きていたくはないんだよ。急にこんな話してごめん。ただわかっていて欲しいのは、別に仕事が嫌だとか、誰かとの人間関係が嫌だとかそのせいだけでこんなこと思ってる訳ではないってこと。仕事は嫌で今直ぐにでも辞めたいけど、今俺の心は落ち着いていて、側から見れば普通に元気に見えると思う。その見方は間違ってはいないし、身体も元気だよ。
後もう一つ、生きていたくはないと言ったけど、これは今から死ぬ予告とかではなくて、今まで経験してきた人生の中で自分の事についてある程度理解したから伝えたかっただけ。これは遺書ではないし、第一にこんなところに遺書は書かない。昔言ったかもしれないけど俺は生きる事を諦めたくないから。少し長くなるけど読んで欲しい。

 俺の人生は自分と向き合う事が多かった。浪人時代も、フリーター時代も、そして今も。長い長い時間をかけて、色々な事を経験してようやく分かった。俺は俺以外のことに対して、興味がないんだと。「やりたい事をやれよ」と親父から言われて黙ってしまうのは、そして自分がなりたいものややりたい事が全く持って出てこないのは、物事に対して興味が湧かないからだと思う。

 長い間自分と向き合う中で、俺は何に対しても興味が湧かないのだと自分でも思いたくはなかった。だから色々な事に挑戦しては辞めてやってみてはすぐ辞めてを繰り返した。触ってみれば何かが変わると信じたかったから。結局、楽しいと感じる事はあっても、それを生きる主軸とするには精神的にも弱かった。多分色んな人に三日坊主の烙印を押されていたと思う。

 そんな事が続いて俺は自分の事が信用できず、また周りの事も信用できなくなっていた。それに気がついたのは、誰かから施しを受けた後に何も返せる能力が無く、「あの時〇〇やってあげたのに」と言われるのが本当に怖いと思ったからで、そんな被害妄想が誰彼構わず出てくるのは、裏を返せば人を誰1人として信用していない事になるんじゃないだろうか。よく喋る人だとは言われても、自分のありのままの本心と思惑をそのまま誰かに話せた事はない。勇気も自信もない。

 そんな事を最近はずっと考えている。結論として、俺は本当に弱虫で、大人びた社会に適合できなくて、そんな自分を変えようとさえも思えなくなってしまった。最初に書いた生きていたくないのだろうという考えは、自分と向き合い続けながらもたった一箇所だけ目を背けてきた、本当に最後の最後の砦なんだろうなと思う。色々な事象や自身の性格、今までの経験を総じてこの答えが出てきている様に感じた。

 でもね、母さん。最近さ、自分の考えた事とかを文章にしてるって言ってたよね。何となく続けてたら、なんかもう一年経っちゃってたみたいなんだよ。ほぼ自分の事しか書いてなかったけど、それでも一年経ってたのは俺自身も驚いた。多分、文章を書くのが好きなのかもしれない。やっと、興味が湧くものを見つけた気がするんだ。自分を表現する事が好きなんだろうって母さんが言っていたのは間違いじゃなかったんだと思う。

 仕事を辞めて、フリーターでもいいから死なない程度の金を稼いで、これから自分の“好きな事”に専念しようかと考えてる。文を書いてお金を貰う事は目標じゃないけど、ただ何となくこれがしたい様な気がする。三日坊主だからまた変わるかもだけどね。
後もう少し、いや更に自由になりたい。各地を転々として俺の興味を惹くものを見つけたいとも思ってる。社会とか世間体とかをかなぐり捨てて、無職だろうがフリーターだろうが何とか生きていたい。

 驚かせてごめん、母さん。読んでくれてありがとう。総じて俺の意思表示としてこれだけは伝えたかった。会社辞めます。逃げます。
生きていたくないと思わない為に。

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