前回(2020年4〜5月)の緊急事態宣言中の在宅勤務&在宅保育でうつが再発した感じになった話

育児関連のnoteを書いていましたが、下記の事情もあって、まったく更新できない日々が続いていました。そんななか、忘れていたタイミングで届くnoteの通知で、スキやコメントをいただいたことが励みになっていました。本当にありがとうございます。「だからなんだ」という記事ではあるのですが、似たような思いをされた方の参考にでもなればと思い、久しぶりに記事を書きました。

2020年4月、緊急事態宣言の発出に伴い、ふたりの我が子の通う保育園も休園となった。多くの子育て家庭と同様、我が家でも在宅勤務をしながらの在宅保育が始まった。

日ごろから保育園には生活の大きな部分を支えていただいている。たった1日、子どもの体調不良で登園できなかっただけでも、生活が大きく乱れる。いや、正確には、保育園に行けても、日常的に生活は乱れており、ぎりぎりのところで回していた。

そんな私たちから保育園がなくなる。
ゲームオーバーだな、と思った。

不可能なことを求められたときに考えるべきことは、優先順位だ。育児も家事も仕事も、これまでと同様にこなすことが不可能ならば、何を守り、何を捨てるべきだろう?

私がまっさきに守ろうとしたのは、子どものことだった。大人の不安やストレスを子どもに向けないようにしよう、ということを心に決めた。そして同時に、無理をしがちな妻の負担を少しでも減らしたい、と思った。

なるべくこれまでと同じ日常を過ごす。起きる時間、食べる時間、眠る時間を保育園に行けていたころに合わせる。とはいえ、神経質に時間を守りすぎることもしない。

当時はまだまだコロナウイルスへの理解も乏しく、どこまでが適切でどこからが過度な自粛なのか把握できていない状況だったが、三密を避けながら外遊びもすることにした。感染リスクを恐れて自宅に引きこもるよりは、太陽の光を浴びてのびのびと過ごすことのほうが健康につながると考えていた。

子どもが目覚める前の早朝と寝かしつけのあとの深夜に仕事をした。子どもが起きている時間は、妻と交互に外に出た。午前中、私が外に連れ出しているときに、妻が在宅勤務をする。午後はその逆。そうやってお互いの仕事時間を確保した。日中の仕事時間が増えればその分、睡眠時間も増えるはず。責任感の強い妻に休んでもらうためには、私が少しでも長く子どもと外にいるのがよい。(会社の理解もあり、業務さえこなせていれば、子どもに合わせて外出してもよいとされていた。)

こういった考え方が奏功したのか、比較的、安定した生活を送れていた。

パパ友ママ友たちのなかには、子どもに手をあげてしまったり、夫婦間の怒鳴り合いを子どもに見せてしまったりして、児童相談所に相談するような人もいた。(そこまで追い込まれてしまったことには胸を痛めるが、相談できた、ということ自体は非常に賢明な判断だったと思う。)私たちはそこまで追い込まれることはなかった。

しかし、のんきに外遊びをしてから午後はウェブ会議などをしていると、自分のなかでギアチェンジがうまくできなくなってきた。オンとオフの切り替えがなくなってくる。

睡眠時間もどんどん減少していく。疲労していく妻を見るのもつらいし、どうしても子どもたちのストレスも溜まっていく。

子どものマスクを忘れただけで馴染みのパン屋からまるで病原菌のように扱われる、ということもショックだった。(今振り返れば、こちらに非があるのは間違いなく、パン屋の対応は正しかったと思うが、当時はまだこういった対応に不慣れだった。)

公園も、どんどん閉鎖されていき、子どもたちの居場所がなくなってきた。どこにも行けず、ひたすら自転車に乗せて走るだけの日もあった。

気温の上昇に伴い、子どもを外に連れ出すことに無理も出てきた。熱中症を心配すると、エアコンの効いた室内遊びの時間が増え、それに伴って落ち着いて在宅勤務する時間は減る。

私と妻が在宅勤務をしている間、子どもがふたりで遊んでいると30分もしないうちにケンカが始まる。テレビを観せればケンカにはならないが、ずっとテレビに頼り続けるのにも罪悪感が出てくる。かといって、ウェブ会議もあるなかで、自分が子どもと遊ぶわけにもいかない。

父母がすぐそばにいるのに「話しかけるな」と子どもに言うのも忍びなかった。

何より、いつまでこの状況が続くのか、という先の見えない不安に襲われていた。

そんなとき、6月になると突然、生活が激変した。

保育園が再開し、妻は出勤が始まった。妻の会社は保守的で、在宅勤務が根づかなかったのだ。

緊急事態宣言解除後も在宅勤務が続いた私は、突然家でひとりとなった。

外遊びをする必要もなくなり、早朝や深夜に働くこともなくなった。静かで、落ち着いた日々が始まった。

様々な問題が解決した、と思ったころ、気が抜けてしまったのか、体調に異変が起きた。微熱が治らないのである。37.5℃未満ではあるものの、毎日、仕事を休むほどでもない気だるさが続く。鶏が先か卵が先かはわからないが、体調不良に伴ってどことなく気持ちまで落ち込んでくる。何年か前の、うつ病が再発したのだろうか? しかし今回は発熱という体の症状があり、心ではなく体の病気のような気もする。

が、大学病院で様々な精密検査をしても原因は見つからず、結局、精神的なものである、という診断となり、休職をすることとなった。(こういう症状を「不明熱」というらしい。医学のお手上げ感がすごい。)

数か月の休職を経ても微熱は治らず、経済的な不安が大きくなるよりは結果的に早く治るんじゃないかと思い、現在では働きながらの治療を選択している。

いまだにしぶとく断続的な微熱はあるものの(もう10か月ぐらいか?)、確実に改善は見られ、少しずつ健康を取り戻しているような気がする。

今回の緊急事態宣言では幸いなことに保育園の休園はなかった。コロナへの理解も進み、過度な自粛や対応は減っている。前回は混乱のなかだった会社の在宅勤務の制度も整って、比較的平和な日々を送れている。

ふと1年前を振り返って、あの慌ただしい日々はなんだったのか、と思う。もしまたあの日々が始まったらどうするべきだろう、と思う。自分の身を削るようにして、子どもの健康を第一に考えたことは間違いだったのだろうか? 自分の忙しさを棚に上げることなく、妻の仕事時間・睡眠時間を確保しようと必死だったことに、意味はあったのだろうか?

もっともっと適当に、力を抜くべきこともあったような気もする。そうすればこんな体にはならなかったような気もする。自分の健康があってこそ、という大原則を守れなかった反省がある。

でも、確実に、家族の絆が深まる時間ではあったと思う。二人三脚で駆け抜けた妻と「大変だったねーなんだったんだろうねー」と笑ってあの日々を振り返られる日が来た。「抱っこ抱っこ!」とまとわりついてくる愛しい子どもたちとの関係も、ああいう日々の積み重ねがあってのことだと思う。

もしあのとき、自分のこと、仕事のことを優先させていたら、それはそれで健康を保てただとか会社で評価されるだとかいいこともあったかもしれないけれど、妻子との関係は違ったものになっていたのかもしれない。そう思うと、身を削ったことも悪くないような気がするし、また休園にでもなったら同じような日々を送る気がする。

大変だったけれど、いつも子どもたちがそばにいた、あの日々が少し懐かしくもある。

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