在宅勤務×在宅保育で子どもにつらく当たってしまったあなたへ
できもしない無理難題をふっかけられて、心を折ったことがある。
休職して、通院して、治ったんだか治ってないんだか、いまだによくわからない状態で、それでも少なくとも毎朝嘔吐することはなくなったので、一応、また会社員として社会復帰している。
経済的にも世間体としても、完全にマイナスの経験だけれど、マイナスのまま終わるのも癪だ、と思えるぐらいには回復したので、あの経験から何かをつかもうとした。
そしてぼくがつかんだ言葉はこれだ。
「空を飛べ」と言われて飛べないことを、悩む人はいない。
無理難題をやれと言われることは「空を飛べ」と言われていることと同じだ。
でも、鳥ではないぼくは、空が飛べない。歩いたり走ったりはできるけれど、空は飛べない。
鳥は飛べる。
飛行機も飛べる。
でもぼくは飛べない。
ぼくはこのことを、悩んだことがない。おそらく、ほとんどの人が悩んだことはないはずだ。
鳥にできて飛行機にもできることがなぜか自分にはできないんだ、と泣いたことのある人はいないはずだ。
ただ、厄介なことに「飛べる」人もいる。鳥でも飛行機でもないのだけれど、「飛べる」人がいる。
もちろん、空を飛ぶ話ではない。
ものすごく多くの仕事をあっという間に終わらせてしまったり、どんなに忙しくてもにこにこ上機嫌で振る舞えたり。
そんなふうにして、ぼくにはまったくできないことをやってのける人がいる。まるで空を飛んでいるかのように。
鳥でも飛行機でもなく、人の形をしているので、彼らと比較すると自分のダメさが際立ってしまう。
「同じ人間ができることを、なぜぼくはできないのだろう?」と自分を責める。
自分を責めることで、自分は傷つき、いつしか自分のこともまわりのことも壊していく。そのループが起きるとわかっていても、自分を責めることを止められなくなる。
この思考にはまりそうになったとき、「同じ人間ではない」ことを思い出そう。「人間であることは同じ」だけれど「同じ人間ではない」ことに目を向けよう。
自分が逆立ちしてもできないことを、軽々とやってのける人の形をしたものは、鳥だと思おう。飛行機だと思おう。
鳥や飛行機にできることが、自分にできなくたって、悩む必要なんかない。
在宅勤務と在宅保育で疲れ切った保育園の仲間たち、つまりいわゆるパパ友・ママ友が、深く傷ついている。
「子どもにつらく当たってしまった」。
「私は親失格だ」。
「自分に子どもを持つ資格はなかった」。
そして「◯◯さんちはできているのに」。
仕事だけでも大変だ。ぼくは独身時代で、家族のことなんて考えなくていいときから失敗ばかりしている。
育児だけでも大変だ。子どもがどれだけかわいくたって、寝かせてもらえなければイライラもする。
大変な仕事と大変な育児の両立は、はっきり言って不可能な無理難題だ。
だから保育園があるんだ。保育園があって、子どもを見てくれているから仕事ができるし、仕事で家を出るから帰宅後は子どもに優しくできる。
いや、正直に言って、保育園があっても仕事は終わらなかったし、子どもにイライラしていた。保育園があったって、ぼくらの生活はいつもギリギリだった。
そして今、保育園が奪われた。
保育園があってもギリギリだった生活から、保育園が奪われた。
できるわけがない。
「◯◯さんち」ができているように見えるならば、◯◯さんは鳥だ。飛行機だ。
比べるだけ無駄だ。
飛べないことで自分を責めるのはやめよう。
映画『ボヘミアン・ラプソディ』で、バンドと仲違いをしたフレディ・マーキュリーが「家族だからケンカもするだろ」とメンバーに謝罪をするシーンがある。
そうだ。
家族だからケンカもするんだ。
大人になって、常識的で表面的な付き合いばかりをしていたから忘れてしまっていた。
子どものころのぼくらは、泣いて、怒って、仲直りして、そうやって絆を深めていった。
大人になった今、それが許される関係は、もう家族だけじゃないだろうか?
イライラしていても我慢。
理不尽なことをされても我慢。
ぼくたち大人はそうやって社会を円滑に、さも幸せなように回している。
でも、家族とだったらケンカになる。
だって、家族だから。
家族にすら、感情的な自分を見せられなかったら、自分の感情はどこに行くのだろう?
明日も明後日も、10年後も50年後も、死ぬまで、死んでも、あなたが好き、とお互いわかっているから、安心してケンカをしたんじゃないだろうか?
ケンカをしたら、仲直りをすればいい。
ただ、それだけのこと。
大人とか子どもとか、関係ない。子どもにこれだけケンカをふっかけられるのに、大人は全部我慢しなきゃいけないなんて、無理だ。
ケンカしたぐらいで「親失格」なんて、絶対にない。もう何か月も、何年も、全力で育ててきた絆がある。たかが2か月間の、数回のケンカで、壊れるわけがない。
気持ちが落ち着いたら、飛べない自分を責めていないで、仲直りしよう。
子どもには仲直りを要求するのに、大人は謝れないなんてことがあれば、その方が問題だ。
謝ることも、大人とか子どもとか、関係ない。
「イライラしてしまってごめん。余裕がなくてごめん。本当は君が大好きなんだ。君はぼくの宝物なんだ。生まれてきてくれてありがとう」。
謝って、抱きしめて、昨日よりもっと愛することができれば、ケンカしたことにも、この異常な2か月にも、意味を持たせられるはず。
ありがとう。
仕事も育児もがんばるあなたがいるから、ぼくもがんばれます。
心から、仲間だと思っています。