嗚呼、きっとおれ、臭いんだ。

★妻のつわりが重いときは「何かできることはある?」と訊いて、それをしっかりこなして、あとは自分の体臭を気にして外にいるべきだ、という話。


 つわりが始まってからの我が家は地獄だった。(産後の妻は「過ぎてしまえばつわりのつらさなんて忘れちゃうんだよねにやにや」ぐらいのことを言っていたが、私はいまだに全然忘れられていない。)あれだけ体力があった妻が身動きひとつ取れない。感謝の人であったはずなのに常にイライラしている。
 コーヒーが臭いと言われ、我々の愛すべき日課のひとつは失われた。ホットサンドメーカーも、焼けたチーズの匂いがダメだそうで、いつの日かゴミ箱に投げこまれていた。炊きたてのご飯の匂いもダメ。果てはシャワーの水蒸気が臭いと言う。
 水に臭いがあるのか! なんと!
 水が臭いのならば、もうもはや確実に、私が臭いではないか!

 何かせねば! 何かしてあげたい! と思って背中をさすると「揺れると気持ち悪いからやめてくれ」と言われたが、あれはつまり、私が近づくと臭いということを婉曲的に表現してくれたのではなかろうか。
 何をしたらいいのかわからない。家にいて支えるべきなのか、臭いから外にいるべきなのか、わからない。

 まわりより比較的早くに結婚し、子どもを授かった私には相談できる友人がいなかった。会社の先輩男性社員にも育児に熱心そうな人がおらず、つわりの妻を支えた人なんていないと思った(振り返ってみるとこのことは誤解であった。弊社には、世間には、仕事より家庭や育児に主軸を置く男性社員はいくらでもいる。しかし日常会話でそれらが話題になることはなかった。私がもっと先輩を頼ればよかったという反省の気持ちもあると同時に、後輩を助けるためにも男性ももっと育児の話を日ごろからしておいてほしい、と思う)。すがるような思いで産婦人科医に「安定期はいつ来るのですか?」と問うと「安定期なんてもんはないんだよ。君は何をしたいの?」と突き放された。(そこはなぜか、パートナーの男性が同行しているケースがほとんどないような産婦人科だった。私は男性を敵視するようなまなざしを感じていた。思えばあれが、男性として育児をすることの、第三者から与えられるストレスの始まりだった。)
 安定期なんてない、というのは「いつ何があるかわからないからいつまでも大切にしてあげなきゃね」ぐらいのニュアンスだったのかもしれない。しかし私はこの日々に終わりが来ないと言われたことに絶望した。

 あのころの私は孤立していた。
 折り悪く職場ではパワハラめいたものを受け、私は精神的に病んでいく。ただ、それをまさか身重の妻に相談するわけにもいかず、すべてをひとりで抱えこみ、毎朝嘔吐しながら出勤していた。退社時に「何か欲しい物はある? 食べられる物はある?」と妻に訊き、それ(酢昆布だったりエネルギーゼリーだったりプリンだったりいなり寿司だったりフライドポテトだったりパイナップルだったりと規則性はまるでなく訊くしかない)を買って帰り、掃除洗濯など家のことはすべてやる。新しい命を育てている妻の体のほうが大切だ、自分は父親になるのだから甘えてはいけない、上司が厳しいのも自分が無能だからいけないのだ、などなど、ひたすらに自分を追いこんでいった。
 「ともづわり」という言葉はあとで知った。妻のつわりに合わせて、男性も精神的苦痛などから体調不良をきたすことらしい。愛する妻がつわりで苦しめば、そばにいる男性もそりゃつらいだろう。父親になるプレッシャーもある。仕事でも責任が増すばかりの年齢でもあろう。あれは「ともづわり」だったのだ、と今ならば思う。そう思えばかわいらしいものだ。しかし当時の私にその知識はなく、ただただ自らを追いこむだけの日々が続いていた。結局私は鬱病と診断され、休職を余儀なくされる。父となるのに仕事もしていないなんてありえない、最悪でも出産前には復帰せねば、と思うと休むどころではなかった。この考え方は休職を長引かせることにしかならなかったと思う。

 今、あのころの自分に何か声をかけるならば何を言うだろう? 似たような状況の後輩がいたならばどうだろう?
 たとえば「お前の父親って、そんなにすごかった?」と半笑いで言ってやるのはどうだろうか。「世代」で片づけては失礼になる方もいらっしゃるだろうが、男性が育児をする時代ではなかったと思うし、少なくとも自分の父親なんて、大したことはなかった。妻を支える、子を支える、なんて気概があったとは到底思えない。それでも子は育つ。最低限の責任感は必要だけれど、くそ真面目にあれこれ背負うよりも、ときには不真面目なほうがうまくいく。これもまた真実なのだと思う。

 つわりで妻が苦しんでいたら、家事を全部やるとか、食べられそうな物を買ってくるとか、それぐらいは当然だとしても、そばにいたって吐き気をおさめてあげることはできないのだから、やれることをやったあとは、臭い自分は外にいたほうがお互いのために絶対にいい。現代医学を持ってしても解消できないつわりの苦痛を、自分がなんとかできると思うだなんて、思い上がりも甚だしい。
 できないことはできない。他人は変えられない。これを学んでおくことが、産後、子どもと接するときにもとても有効だったりする。

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