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スーパードンキーコングのBGMには現実世界の途方もない美しさが秘められている

かぎです。いかがおすごしでしょうか。

ニンテンドースイッチオンラインで「スーパードンキーコング」が配信されたので、やりました。
超面白かった。超エキサイティングでした。めちゃくちゃスーパーだよ!!
これが出る前のドンキーコングってあの……上からタル投げてマリオが垂直に飛ぶアレ……アレでしょ?アレがこんなにもスーパーなアクションゲームになること……想像できる!?

わたくしリアルスーパーファミコン時代は「星のカービィ スーパーデラックス」ばっかりやっていたカービィっ子だったのでスーパードンキーコングは全く通ってこなかったのですが、時々友達の家に複数人で遊びに行くと既に遊んでいる子がいてそれを観戦する、というのが何度かありました。
当時は実に奇妙な、端的に言えばキモいグラフィックだなと思っていたんだけれども……今見るとスーファミの時代にこのビジュアルはすごすぎて吐くわ。世界の解像度がずば抜けて高すぎる……
ジャングルの木々の鬱蒼とした感じとか、水や光の美しさとか、ドット全盛期の時代にあえて実写(フォトリアル3DCG)方面に寄せてるのすごいですね。洋ゲーだもんな。

世界もすごいけど何がいいって曲がすごいよなあ。コングだけどアフリカとか野生の暮らしとかではなく、ジャングル……ジャングルなんだよな……絶妙な音使いと音の少なさと空間の広がり方よ………

わたくし、エモい気分(ここでは「切なくて胸が張り裂けそうになる、慟哭するような哀愁」を指す)にならないと作業ができないので常にエモいBGMを探しているんですが、その一環で一時期「とげとげタルめいろ」と「タルタルこうざん」を無限に聴き続けておりました。

エモさ、つまり「切なくて(略)哀愁」って、「こんな美しい世界の全てを知ることなんてちっぽけなひとつの存在には叶わない望みだし、どんなに願っても決して手が届かないものっていくらでもあるんだよ……」という諦めと憧れの気持ちのことなんですけど、現実世界だと、自然の途方もなさを見たときによく感じます。


たとえばちょっとした公園とか、木々や草々が地面を覆い尽くしているような場所に行くと、それらが全て自分の認識できない巨大な理によって独立して存在していることに畏怖を抱きます。

その葉や枝が風で一斉に揺れるときに「うわあ今この目に映っているだけでも一体何個単位のオブジェクトがあるんだろう……しかもそれぞれがてんでばらばらに動いている……こんなの演算するのにどのくらい巨大なシステムが必要なのか想像もできないよお……」という気持ちで胸がいっぱいになってなんか泣きそうになります。

現実でもそうだし、ゲームの中でもそういう途方もない風景を見て、壮大すぎて胸が苦しくなる哀しい気持ちになるのがめちゃくちゃに好き。
だから「メトロイドプライム」シリーズがものすごい好きで、よくターロンオーバーワールドの草が生い茂ってるとこで上を見上げて、降ってくる雨粒を延々と眺めていた。

で、スーパードンキーコングの曲って、その自然の緑の途方もなさ、哀愁、手の届かない美しさとかをものすごく内包しているんだよなあ、と改めて思いました。
ひとむかし前の海外産のゲーム(つまり洋ゲー)って、そういう怖くなるほど美しい現実世界を表現するのに長けている作品が多いですよね。写実表現をとにかく突き詰めてたからか?
メトロイドプライムもそうだし、PORTALもそうだったから、その流れで洋ゲーがめちゃめちゃ好きになったんだよな。

あと洋ゲーの、写実を求めすぎてちょっと意味分かんなかったりシュールだったり、異様に難易度が偏っちゃったりしているところとかも好きだ。
ていうかドンキーもやたら難しいですね。タルたいほうの谷………何なの!?!?!?地獄!?!?
1にコンセプト2にコンセプト、3、4がなくて5にコンセプトというくらい被造物には明確なコンセプトを求めるたちなのですが、何かを突き詰めるあまりそれ以外の全てを切り捨てる、極端な精神を持った作品が好きなのかもしれません。

スーパーヘキサゴンもスーパーホットも大好きさ。う~ん「スーパー」という言葉の「超越」という意味も好き。これからもスーパーなエモさを求めていくぞ。

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