見出し画像

最初に食べた人

比較的に手に入りやすい価格の地場産のアーティチョークを見つけた。
今までも見掛けたことはあるけど、気軽に手が伸びない値段だった事が多かった。

家で調理するのは初めてなので参考にしようと下拵えのレシピや動画を眺めてみたものの、其々のやり方で食べていることに気づく。

アーティチョークを調べると朝鮮薊というもう一つの名前が出てくる。

棘だらけの薊。

実際にアーティチョークの皮をこれでもかと剥いていくと中芯部に真綿のような秘部のような箇所があり、その為にこの幾重にも重なる十二単衣を脱がせていかなければならないか理由は解った気がした。

それは食べるうえで比較的重労働で有りもっと食べやすい食材は多くある。

初めてこの植物を食べようと思った人間はすごい、どんな人だったんだろうと剥いたり、真綿のような箇所を取り除きながらと思った。

初めての下拵えに取り掛かり始めると、さっき少し調べた方法を軸に進めてみる。
はっきり言ってどこからどこまでが食べられるものなのかも分かりにくいし、当たって砕けろな心持ちで調理をした。

30分ほど蒸し上げて、ハーブソルトとオリーブオイルをかけて食べ始めた。

観察しながら、あぁまだ真綿は取り切れてない所が有り、先に取り除いてから一番美味しい真綿の下の部分を食べる、何とも地味深き味。

皮にしか見えていなかった部分も下の方だけ食べられることを知る、何か病みつきになる。

という具合に気づけばまるで夢中になって鳥の手羽先を食べてるかの如くアーティチョークを食べていて、根こそぎ食べられる箇所を食べ尽くして、ご馳走さまと相成った。

まるで前世はアーティチョークを食べまくっていた人間の様だった。

何だか喉が引っかかる…、もしかしたら取り切れなかった真綿のような部分を一緒に口に運んでしまったのかも。

でも私の前世はアーティチョークを最初に食べた人間かもしれないのだからその位のことは今や気にならないのだ。