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「『愛の挨拶』アリスとエルガーの物語(後編)/全2回)」

4.愛の挨拶〜エニグマ(謎)

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結局、『愛の挨拶(Salut d'amour)』でエルガーは、わずかなお金しか手に入れることが出来なかったのですが、妻となったキャロライン・アリスの夫への音楽的理解もあり、エルガーは、やがて作曲家としての名声を得ます。

彼が作曲家として認められた最初の出版作品は、何だったと思われますか?

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それは、「エニグマ(謎)変奏曲 作品36」です。
この楽曲の正式なタイトルは、《独創主題による変奏曲》です。しかし、「エニグマ(謎)変奏曲 作品36」の方が、曲の内容を上手く表していると私は思います。
今日では、エルガー自身の手による『管弦楽版』が演奏されていますが、エルガーの初稿ではピアノ独奏のための楽曲です。

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この楽曲の管弦楽版を大家であったハンス・リヒターが指揮した初演の大成功で、エルガーは作曲家として認められました。

さらに翌年の作曲された『オラトリオ《ゲロンティアスの夢》』は、ドイツでの初演で大成功を遂げます。さらに幸運なことに、初演に同席したリヒャルト・シュトラウスは、この楽曲の豊かな創造力を高く評価する批評を当時の音楽新聞に掲載し、エルガーの名はドーヴァー海峡を越えて、ヨーロッパ大陸に広まることとなったのです。

5.愛の挨拶〜作曲家として

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さて、「エニグマ(謎)変奏曲 作品36」には、《謎》という名称がつけられていますが、それは、「各変奏に付けられたイニシャルや略称などで友人知人を描写しているのです。

【前編】で書きましたとおり、強欲な出版社に懲りたエルガーは、作曲家だけでは安定収入を得にくいとの考えに至りました。
ですので、依然として音楽教師を続けていたのですが、一方では、作曲が思うように出来ずに悩んでおりました。

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ある午後のこと、エルガーはピアノの即興演奏で、そういった悩みを鎮めようとしていました。妻のキャロライン・アリスは、夫が悩んでいる事を知っていました。
彼を勇気づけるために、メロディーのひとつを主題にして即興演奏をするようにエルガーに提案したのです。エルガーは、妻の申し出を快諾し、主題をくり返した後に、即興で主題の変奏曲を奏でました。

エルガーの横で彼の奏でる変奏からキャロライン・アリスは、変奏毎に、その曲調の雰囲気から連想する知人や友人の名を挙げていきます。妻の言った友人知人たちの名を聴いたエルガーは、ふと手を止めて、妻の見やります。

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そこにはキャロライン・アリスの穏やかな笑顔がありました。妻に微笑み返したエルガーが突然、ピアノを立ち、妻を抱きしめたまま、主題を歌いながら踊り始めます。驚くアリス。

そう。彼は、変奏曲を使って友人、知人たちのイメージを肖像画の如くに描いてみせる斬新なアイディアを思いついたのです。
《音による肖像画。私を囲む人びとの誰を示すかを解く"謎とき"だ。》
エルガー自身が出版に際して、序文に書き綴ったメッセージがこの楽曲の《謎》の意味となっているのです。


6.愛の挨拶〜アリスの死をこえて

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その後のエルガー(1857-1934)は、妻キャロライン・アリスの献身的な助けによって、1900年代から創作のピークを迎えます。
今日では、U.K.第二の国歌として、愛されている行進曲《威風堂々》(『希望と栄光の国』 ”Land of Hope and Glory” )(1901-1907)を始め、交響曲、オラトリオ《使徒たち》、同《神の国》、ヴァイオリン協奏曲、《交響的習作「フォルスタッフ」》、チェロ協奏曲を次々と創作し、エルガーにとっての《黄金の創作期》と言えるでしょう。

ところが、1920年(エルガー63歳)に突然の不幸が彼を襲います。

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それまで、貧苦や困難をともにした妻キャロライン・アリスが、その年に突然亡くなったのです。
愛妻であっただけでなく、エルガーの音楽の良き理解者で、なおかつ心の支えであったキャロライン・アリスの死去は、エルガーから創作意欲を奪い去ってしまいます。

しかし、エルガーは再び創作を始めます。まるで亡き妻に後押しをされるかのように。高齢で弱っている身体に、むち打つような働きを見せるのです。
エルガー晩年の傑作が次々と生み出されていきます。
劇音楽《アーサー王》、劇音楽《伊達男ブランメル》、ブラス・バンドのための《"セヴァーン河"組曲》」等です。
そして、1934年に癌のために死去します。

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エルガーの後日談。彼は1931年(74歳)の時に、イギリス国王室から《准男爵》に叙されました。式典を終えて帰宅したエルガーは妻の遺影に見やり、
「アリス、おまえがいなければ……」。愛妻家の彼なら、そうつぶやいたことでしょう。

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婚約のために作曲した小曲《『愛の挨拶(Salut d'amour)』 作品12》から始まったエドガーと妻キャロライン・アリスとの心温まるお話、いかがだったでしょうか。
皆さまも、そのような名曲に纏わる話を聴いた後では、さらにこの曲の魅力をお感じいただけるものと思います。

ご静聴、まことにありがとうございます。
(えみり)

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