見出し画像

矢花さんからの宿題②

最近自分が克服したい事と矢花さんの侍ふ。の問いがリンクしているので、自分語りしながら答えていきたいと思います。
あとおすすめの本を3つ紹介します。

他人の中の自分と、自分の中の自分。

あ、先に自分語りします。

私自身、他人の中の自分/他人から求められてる自分が全く違うことでよく苦しみます。その“始まり”は幼少期に遡ります。

小さい頃から器用で勉強もスポーツもできると言われてきました。でも私は「十歳で神童、十五歳で才子、二十歳過ぎればただの人」で、ただ周りよりも成熟が早いだけでした。しかし幼少期の印象が変わらない人(特に周りの大人)からはずっと出来る子、優秀な子と思われていました。

また育った場所が田舎だったこともあり、1人が知ってることはみんな知っていました。私の期末テストの順位を近所のおばさんが知っているくらい全部筒抜けでした。周りからの期待を一身に背負い、“他人の中の自分”を壊さないように必死にそれに近づくように努力して、時には演じていました。

ここで「見栄っ張り」が癖になりました。本当はLv.5なのに、周りからはLv.20だと思われていて、そのギャップを埋めるために自分で虚像を作り成りきる。後からその虚像に追いつき、辻褄を合わせる。これをずっと繰り返していたら、癖になってしまいました。挙げ句の果てに、いつしかその虚像は現実の自分とかなり乖離してしまいました。

この見栄っ張りのせいでものすごく辛かったし、大変でした。でもこれは周りのせいでもなんでもありません。勝手に自分で他人の中の自分にならなきゃと焦り、勝手に疲弊していました。(唯一良かったところは、コミュニティが狭いが故に、それぞれが持つ他人の中の自分がほとんど同じだったこと)

私は虚像から逃げ出したい一心で、高校は知り合いがいない所に進学し、大学は地元を離れ上京しました。
でも環境を変えても、他人からの期待を答えなきゃいけないと心のどこかで思っているし、見栄っ張りの癖は直らないままでした。

現に今も、ありがたいことに仕事できるとかまあなんか褒めてもらえます。私に期待してくれているからこそ、周りはきっとそう言ってくれるんだと思います。でも自分は決して周りが思うほどできる人間でも素晴らしい人間でもありません。でもここで見栄を張っちゃうんですね。それをして自分が苦しむとわかっているのにやってしまうんです。悪い癖を早く直さなきゃいけないなと、最近ずっと思っています。

自分自身を曝け出すことは簡単なことじゃないけど、少しずつ少しずつ、ありのままの自分で生きていきたいなと思っています。

(ここまで自分語り)

アイドルの苦しみ

本題に入る前に、皆さん紙とペンを準備してください。では今から書くことを実際に描いてみてください。
大きな丸から槍が2本飛び出して中に横線ピッピッピー。最後に下から足2つ。
何ができましたか?


(本題)ここからは私の想像であり、矢花先生が「いやいやちゃうで。」と思う事を書くかもしれませんがご了承ください。

idol=偶像

アイドルは偶像であり、アイドルのオタクは言うてしまえば偶像崇拝してるわけです。そして我々は勝手にアイドルを考察するんです。キモいですね。

私たちオタクは少ないインタビュー記事やテレビ・動画からある程度のフレームを作り、わからないところを想像で埋めていきます。似たような人を持ってきて当てはめてみたり、自分がこうだったらいいなと思うアイドルを想像で作っていくわけです。そして我々はこの人(アイドル)はこうだ!と思い込み、本人を知ったかのように満足するわけです。ここら辺の描写は『推し、燃ゆ。』でうまく描かれているので是非読んでみてください。



しかしどこまで行ってもそれは想像で、時にその想像=理想像はアイドル本人を苦しめることがあります。一般人でさえその想像に苦しめられるのに、ましてやアイドルなんてもっと恐ろしいでしょう。たくさんの人が自分の事を知っていて、全員が同じ情報を持っているわけではないからこそ、人の数だけ“自分”が生まれていく。気づいたら“自分じゃない自分”が勝手に歩き出してしまい、収拾がつかなくなってしまうこともあると思います。『サマータイムレンダ』っていう漫画の描写がどことなく似ていてホラーなので読んでください。


『俺が「お前らが思う俺」に近づくんじゃなくてお前らがこっちに来い』と。

矢花さんが「自分はこうなんだよ」とパズルのピースをくれたら、我々は喜んでそれを当てはめます。我々オタクは「矢花黎である矢花黎」を知りたいのです。私たちはどんな矢花黎でも、全てをまるっと愛しています。だから臆することなく、私達に貴方のことを教えてください。

なんかそこら辺も『推し、燃ゆ。』にうまく描写されてる(と思う)ので参考にしてください。

私自身、矢花さんがこうだったらいいなという気持ちを込めて、想像で物事を言うことがあります。すまぬ。

あ、さっき紙に描いたもの何ができましたか?私が描いたのは『ワールドトリガー』のレプリカです!描けたかな?情報が少ないので、同じものを描くことは難しいかもしれませんね。

画像1

コミュニティの数だけ私がある。

先程までは自分⇆他人でしたが、ここからは自分自身の中に何人の自分がいるか、いくつの顔があるかという話ですね。

これは簡単です。コミュニティの数だけあります。地元、学校、職場は然り、ネットの中の自分も沢山います。なんなら、アカウントの数だけ私がいます。どの自分も本当の私です。(似たり寄ったりするけども)人当たりがいい自分も性格悪い自分もオタクな自分も、全部同じ私です。
しかし、いくつもある自分は、時にそれぞれが矛盾を引き起こします。だからといって矛盾を解消するために何かすることはありません。矛盾含めて自分であり、全てを統合することはできないのです。

時々、誰の前でも同じように接している人がいますよね。羨ましいなー、自分もそうなりたいなーって思うことがありました、昔は。でも実際のところ私の目にはそう映るだけで、本人は多分使い分けてるんですよね。だってひろゆきさん(2ch創立者)だって嫁には勝てん…なんですよ。論破するところしか知らない我々からしたら、想像できないじゃないですか。きっと家族の前では違う彼がいるのだと思います。だから全員に同じ面をむける(一つしか面がない)人などいないし、それを羨ましいと思うことはやめました。

話が逸れました。私の自分の面は数で言えば多分15くらいあります。半分くらいはSNSのアカウントです()1年くらいネカマだと思われていた時期もありました。ネカマじゃねえよ女だよ。

最後に

つまりね、何が言いたいかって言うと

『推し、燃ゆ。』を読め。
『ワールドトリガー』を読め。
『サマータイムレンダ』を読め。

ってことです。これ書いてたら朝5時になっちまった!『推しの子』読んでくる!4巻発売中だよ!

以上ステマ記事でした。

以上ステマ記事でした。