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音がある奇跡


「このそらをだいてかがやくしょうねんよしんわになれ」

隣の部屋の小学生の歌声が聴こえた。

私のアパートは壁が薄い。
大声だと隣の人の声がかすかに聴こえる。

まどろんでいた明け方にそのフレーズだけ聴こえてきた。

あぁ、残酷な天使のテーゼか、懐かしいなぁ。
私も同じく小学生の頃歌ったなぁ。
何のどういう意味の歌かもわからなかったけど、
なんか癖になるんよねぇ、わかるなぁ。

懐かしい思い出と久しぶりの再会に聴いてみることにした。

言葉の奥深さに興味のある今だからか、
歌詞を見ながら聴くとまるで初めてのようなインパクト。

隣の小学生が歌っていたフレーズ、

「この宇宙を抱いて輝く少年よ神話になれ」

何度も歌ったからか口からすらすら出るけど、
字面を目にしたのは初めてだった。

“このそら”の“そら”は"宇宙"だったんだ・・・。

そんな発見から、宇宙や天使、女神、神話、
普段生活していると巡り会わない言葉が出てくる。
前までの私は全くわからなかったと思う。
今もわかるなんて断言できるものじゃないけど、
あの頃よりももっともっとこの歌詞の意味を捉えることができる。

これは母から息子への愛の詩なのではないのか。

そう感じた。
歌っている方が女性というのもあるのか、
今の私が心として聴くと遙かな母性を感じた。

「私だけをただ見つめて微笑んでるあなた」

赤ちゃんを胸に抱く女性が浮かんでくる。
まるで女神が天使に優しく微笑みかけるように。
天使が無垢な眼差しを女神に向けるように。
二人の間には満ち溢れた愛が広がっている。
それこそが無限の宇宙。
目と目を合わせた時に広がる愛は宇宙そのもの。
母体という身体で育まれた二人で一つ唯一無二の愛、宇宙。

「ずっと眠っている私の愛の揺りかご」


母体というゆりかごなのかのしれない。
生命の起源というゆりかごなのかもしれない。

「世界中の時を止めて閉じこめたいけど」

本当はずっとこのまま、今この胸の中のあなただけを見つめていたい、歳を重ねてほしくない、いつか私のもとから旅立つ日が来ることをわかってる、この愛おしくてたまらない愛そのものを手放すくらいなら時が止まってほしい。

愛というのはなんて切ないんだろう。

「人は愛をつむぎながら歴史をつくる」

母から生を受けた命は、色んな出会いを経験して人生を紡いでいく。
背中にある羽根に気づいた時、いつかはこの胸から飛び立つ日が来る。そして遙かな未来へ羽ばたいてく。

「女神なんてなれないまま私は生きる」

なによりも自由という無限の願いを幸せを想っているのに、どうしてもこの胸は苦しい。

あなたの幸せだけを願う慈悲深い女神のような観音様のような存在でありたいのに、そうにはなれそうもない。

そんな切ない愛で揺れうごく深い母性を感じた。

母とは子どもが生まれてきて一番に目にするもの。

子どもは生まれてきた時に母へ無償の愛を贈り、
母はこの世界という無限の宇宙(愛)を子どもに贈る。

生んでくれてありがとう。
生まれてきてくれてありがとう。

贈られる愛とは感謝であり、
真実の愛の言葉は『ありがとう』なのかもしれない。

ありがとうとは、有難うと書く。
有ることが難しいという意味らしい。

宇宙もあるのかないのか未知のもの。
愛も目には見えず感じることしかできない。

ありがとうという感謝の気持ち。
感謝の気持ちがあることもあたりまえにあるものではない。
人の想いも測ることはできない。

でも無限に感じることができる。
宇宙には空気がないから音がないけど、
地球には酸素があって人には言葉がある。
海中の魚たちも地上の植物たちもヘルツという言葉がある。

みんなみんな伝達することができる。
ここにはみんなに音がある。

有るという奇跡。

「もしもふたり逢えたことに意味があるなら」

人として生まれてきたことこそが奇跡なんだって。
出逢えたことだけでこの上ない奇跡なんだって。

女神のようになれなくても、人なんだからどうしてもエゴは尽きぬもの。全部ひっくるめて認めていい。

ありがとうという愛の言葉を無限に紡いでいきたい。

これが神話ということなのかもしれない。

そんな風に思った。

今日隣の部屋から届いた音。
少年の歌という声という音。
こうして私も日々色々なところから受け取ってる。
そんなつもりはなくても誰のためでもなくても、
誰かが誰かを救ってる毎日。
そんなあたりまえの日常からあたりまえでない奇跡に、
ありがとう。


そして今日も私に愛を贈ってくれるあなたに。
ありがとう。



エヴァンゲリオンという福音から


『残酷な天使のテーゼ』

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