ひいおばあちゃんは蝶々。
それは間違いではないと思う。
少なくとも私はそう信じている。
それには理由がある。
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私が中学生の頃、ひいおばちゃんが亡くなった。
亡くなった日は、泊まりの遊びに出ていた。
8月3日。真夏の暑い日なのに、
夜、尋常じゃない寒気に襲われた。
震えが止まらず、ブランケットまで借りたのを覚えている。私だけなんでこんなに寒いのか。不思議に思い思われ、次の日には、風邪をひくこともなく、昨晩の寒気は何事もなく過ぎ去った。
家に帰ると、ひいおばあちゃんが亡くなったと知らされた。昨晩のこと、だったと。
きっと私に会いに来てくれたのだろう。
家族のみんながそう言った。
1、2歳だったいとこが、同じ夜、誰もいない壁に向かって手を振っていたとも聞いた。
ひいおばあちゃんは家族みんなに挨拶をして逝ったのだ。
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もういつのことだったかは思い出せないけれど、
しばらく経った頃、お庭に蝶々がやってきた。
蝶々を見た私は、突然ふいに「あ、ひいおばあちゃんが帰ってきた!」と言った。慌てておばあちゃんを呼んだことは覚えている。なぜかわからない今までもよく目にしていた蝶々をその日その瞬間、初めてひいおばあちゃんだと感じた。
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ひいおばあちゃんは入院中、肺炎を拗らせ一時危篤から一命を取り留めたことがあり、その後、その時のことを、「お花畑に行った。」と話したことがあると、おばあちゃんが教えてくれた。
おばあちゃん曰く、ひいおばあちゃんはとても美人な女性なのにお花には全く興味もない人だったから、願望でお花畑の夢を見たとは違うと思う、蝶々になりたい理由もないと思う、でも、あの時に間違いなく正気の声で「お花畑に行った。」と言っていたことが、合っている気がする。と。
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天国があるとするならば、そこはお花畑なのかな。
お花畑から来たからひいおばあちゃんは蝶々の姿をしているのだろう。
話を聴き、なんの違和感もなくすんなりそう受け取った。
私が感じたことは合っていたとも。
それ以来、蝶々はとても特別だと思うようになった。
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先日、半年ぶりに帰省した。
家の中から、お庭に蝶々が来たのが目に入った。
普段はスルーするところを、その日はなぜか足が動いて、近くまで行った。驚くことに全く逃げる様子のない蝶々を不思議に思い、近距離で写真を撮った。
その拍子に、指が葉っぱに当たってしまい、
弾く形になってしまった。
飛んだ蝶々が私の方を見て羽をバタバタさせていた。
本当に全然逃げない蝶々に、心の中で、ごめんね。と言ったら、周遊して去って行った。また来てね。の言葉がぴったりだったその瞬間のことを写真と共に母に話した。
すると、母が「あ、その蝶々ひいおばあちゃんだよ。」と言った。私が帰って来た日から何度もやってきているのよ、全然逃げないでしょ?と。
どんなに月日が経ってもひいおばあちゃんは、
蝶々になってやってきているのだと、ほっこりした。
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帰る前日に、ひいおばあちゃんのお墓参りに行った。
拝み終わってから片付けをして、ふっと墓石を振り返ると、蝶々が舞っていた。
わずか数秒のことで、あっ!と言った頃には遠いところへ飛んで行ったけれど、間違いなくこの目でその瞬間を見た。
花も木もない墓地にいるのも想像すらしていなかった蝶々がいた。
やっぱり魂は宿っているのだと深く思う。美人なひいおばあちゃんにぴったりのその美しい蝶々の姿で、これからも見守り続けていてほしい。
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なかなかこのお話を綴るのがまとまりきらなかったのに、今日はなんだかスラスラと書けた。そんな今日はひいおばあちゃんの12回忌。
いつも身近に見守って私を助けてくれているのだと感じる。いつもいつもありがとう、ひいおばあちゃん。
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雛子