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引用リツイートからの自叙伝

定期的に現れる友達募集のタグに、引用リツイートをして

私の大好きな〇〇です!
ぜひ仲良くなってください!

という引用リツイートをよく見かけるのだが、私はこれを見るととても、心を無にしようとしてしまうんでございますぁねぇ(ハリウッドザコシショウ)

ただひとつ注意点としては、それをしている人を中傷しているわけではないということです。

発言の自由や表現の自由は、それぞれに与えられたものだからほんっっっとうに気にしないでください。

こういう意見もあるんだなあくらいで捉えてもらえるとありがたいです。

では始めっ






日本という国において、どちらかといえば、自分は(以下、俺、私、お湯)捻くれている方だと思っています。
関係値があまり築けていない他者からの褒め言葉に対して、ほぼ全て「お世辞」と思ってしまう節があります。



「褒め言葉」を素直に受け止めることができないのは、自分に対して常に自信ないからです。
それを隠すために虚勢を張ってる時も多々あります。
きっと見抜いてる友人もいるよね。



その自信のなさの原因は、圧倒的に「顔」であり「容姿に対するコンプレックス」が原因なんですわ。



加えて私は歯並びも悪いのです。
義務教育の期間は毎朝、鏡にうつる自分を見て、母親がドン引きするくらい泣いてました。なぜ自分はこんなにブスで歯並びが悪いのだと咽び泣いていましたわ。もはや懐かしいわ。



3歳から母子家庭であり、低所得世帯まったなしの生活でした。



歯列矯正(200万)なんてできっこないんですね、はい。
二重整形なんてもってのほかですわ、はい。



この歯並びは完全に父親の遺伝子なんですけど意味不明ですよね、そういうとこだけクソみたいな遺伝子ってついてくるんですよね。



養育費も途中で途絶え、誕生日お祝いしなきゃねって約束を8回も裏切って、幼少期の人格形成に影響を与えてきた父親の遺伝子が、一重と歯並びって、もううんこにも程がありますよな。



さすが姓名判断、全部「凶」なだけあるなと思います。むしろウケます。



色々ぶちまけたくなってきたので、俺の過去の負の遺産をぶちまけさせてください。


小学校4年の夏だろうか

学校帰りにすれ違った、自分より少し上の男子中学生3人に「ブス!」と石を投げられたこと。ありえないよね「ヒトコワ」だよねほんと。


クラスメイトのヤンキー男子に
「歯、ガタガタマン」と一年言われ続けたこと。




まじで一生の傷なんですよね。
まじで一生の傷なんですわ。



この経験から?というかこの経験のせいでだなゴルァ
自分ってちょっとかわいくないのかな?っていうふんわりとした認めたくない感情が、確信に変わってしまったんですよね。



自分が世間一般の人から見たら「ブス」であるということがね、わかってしまったんだよね(cv.関暁夫)



私にブスと吐き捨てた男性器を模したようなチビの男、前髪も襟足も長くインドカレー屋の食べ放題ナンみたいな顔した男、その横にいて何も言わず石投げてきたザコカス。テメェが1番タチ悪いかんな。橋本環奈ぁっ。



私に「歯、ガタガタマン」などというクソ安易な誰でも思いつくようなあだ名つけた、キモイキリ語彙力ゼロクソヤンキーよ、もっとファンキーでファニーなあだ名つけやがれってばよ。



まじで一生忘れてやんねえからな、月に5回は思い出してんだからなクソが。



こいつら全員、俺が呪術師だったら渋谷事変に巻き込んで、領域展開して、領域と領域の間で圧迫させて破裂させて、末代の末代まで怨み続けてやるからなと思いながら生きてますわ。

獄門疆(ごくもんきょう)に封印してやるのもいいですね。人生終わりです。出てきた時にはもう世界かわっちまってるからな。





話逸れましたわ



家庭環境のことも、経済力も、容姿に関しても、変えようと思えば、自分の努力次第でどうにかできたことはあったかもしれないですよね。


今、28歳、というか、社会人を経験してきて得た感覚で過去の自分に対して思うことはたくさんあります。



お金稼ぐために新聞配達したり、どうにかこうにかして歯列矯正したり、整形したりね。



でも、だがしかしだよ....まだ私が小学校高学年〜中学生の頃ってさ、今ほどお互いの思想や思考や個性を尊重しようみたいなマインドが浸透していなかったんよね。
地方だったっていうのもあるのかなあ。



同じ年代の子がしないことをして普通じゃない子供になるのが怖かったんですよね。


マジョリティに属していたかったんですよね。



マイノリティにはなりたくなかった...マイノリティが淘汰される時代だったから...怖かったんですよね。



私が小学校高学年〜中学生の頃からかな?
毎日毎朝のニュースで、いじめによって自ら命をたってしまう同年代の子が増えてきてた時期なんですよ。




あの頃本当に怖かったよね、同世代のみんなであれば共感してもらえるかもしれないのだが。


あと、ドラマでさ「ライフ」が放送され始めた時なんて戦慄したよね。


ドラマを見たいじめっ子たちが、模倣犯になって溢れ出すんじゃねぇかって怖すぎたくらいだったんですね...。

「あんたの席ねぇから」って机を3階くらいからぶん投げる安西愛海が出てくるんじゃないかってヒヤヒヤしてたんですよね。



その当時の世界の全てであった「学校」に行くのが怖くて、今日ターゲットになるのは私ではないかって思いながら準備してたよね。しょんべんちびりそうにも程があるよね。



だからこそ、だからこそ、所謂、普通でいたかったんですよね。周りの人達と変わりのない普通な自分で穏便に過ごしたかったんです。



それも、私にはいじめられる要素の「ブス」と「歯並びが悪い」というカードがすでに手元にあるから。これ以上普通じゃないカードを増やしたくなかったんですよね。わかる。わかるよ、俺。



この思い出のせいで、自分に対する強いルッキズムと、自己肯定感の低さがね、身についてしまったんだよね(cv.関暁夫)




タグの件から飛躍しすぎだよね、申し訳ありませんですわ。



こういう負の感情って、読む人にとっては「不幸自慢」とか「負の武勇伝」みたいに伝わってしまうことがあると思うし、


「辛かったね」とか「そんなことないよ」待ちだろ!と不快に思う方がいるかもしれません。


そうだとしたら、お湯の文章力がないせいです。不快な思いをされた方もうしわけありません。



でも、これは断じて自慢でも武勇伝でもないです。ほんっっっっっとに断じてそんな思いは微塵もないんです。


慰めの言葉が欲しいわけでもないんです。



ただ、負の思い出をぶちまけて、笑い事にしてあげたいんですよね、あの頃の自分のために。


今は辛いかもだけど、28歳になった自分は、そのことを考察して文章にできたんだよって。


11歳〜15歳のお湯のことヨシヨシさせてください、まじすみません。



タグの話をするにあたってとんでもない飛躍だろと思われましたよね。自分でも思います。ここからが本題です。



友達募集タグツイートに対する他薦引用リツイートに多いワードって

「めっちゃかわいい子です」
「とても美人でかわいい〇〇の女」


のような、かなり容姿に関することが多かったりする印象なんですよね。



 あと、「おもしろい」とか「頭おかしい」とかね。



容姿に関する言葉は(容姿に関してのかわいいかはわからないが、かわいいという文言を見ると容姿のことだと思ってしまう。)それはそれは私にとって恐怖の言葉です。本当にあった怖い言葉です。



イワコデジマイワコデジマほん怖五字切りぃいい
皆!祷!怖!無!邪気退散んんん!です。

はい、吾郎先生です。



性格上?なのかな?不安なことを先読みして、もしこうなったらどうしよう、こうしたときにこうなったらどうしようってなるんですよね。



不安要素は最初に全部想定をしてランスルーしておかないと、予想していなかったことが起こった時にフリーズしてしまうんですよね。


そこで、別にタグ出さないのに
「自分がタグを出した時にどうなるのか」
を考えてしまうんですね。



このタイムラインに自分のタグを投下したらどうなるのかです。





はいそうです。




怖いですよね。蘇りますよね。



他の子は「かわいい」ってワードが入っているのに私にはないなぁ〜とか
この子は私のこと「ブス」って思ったんだなぁ〜わかる。とか
ブスって思わなかったにしてもかわいいって思わなかったんだなあ〜とか

そういう思ってしまいます。私の頭は。





はちゃめちゃにバチボコにめんどいですよねこの思考。



タグを見る時にね



引リツしてくれた人に、ここまでかわいいって思わせたってことか。すごいな。それくらいかわいいってことなんだ、すごすぎると思ってタグを見るときもあれば


この「かわいい」は気遣いの「かわいい」なのか??思っていないのに言葉にできるのか?って思う時もあります。


無駄に裏をかいて、悪い想像して自滅するのよくありますよね。考えすぎなのはわかっているんだけど、もう28年間こう生きてきたから、そう簡単にはかわらないんです。悲しきかな。



本当にめんどくさいですよね、自分で文字打っててもめんどくせえし、一生分のかわいい使ってるね。



あっあとは、「かわいい」と言われてどう反応するんだろう、どう反応したら、発言した方もされた方も心地よく少しのモヤっともなく円満に関係を築けるのだろうか。。ふむふむ、みたいに分析というかデータ収集する時に見ることもあります。


綺麗、かわいい、美しいと感じるものって人それぞれですよね。それこそ、みんな一人一人好きなメンバーが違うことがいい例ですよね。


好きだけど絶対に刺さらない顔の人がいたりしますね。



それと同じで、ほんっっっっとに人それぞれなんです。
それが面白くもありますよね。



私は、人の容姿を褒めたりすることが安易にできなくて、(推しとかに対しては別です)できたとしても「かわいい」という発言をする時に考えてしまいます。ちょっと喉がキュッて締まる感覚があります。


あの頃の自分がその言葉を渇望していたからこそ、使うのにかなりのMP(マジックポイント)が必要なのです。



基本的にほんっっっとうに心から思わないと「かわいい」や「綺麗」というワードは出てきにくいです。


私に対して「かわいい」などという言葉が降ってくることはありえないと思っているため、最初に申し上げました通り、いただいた「かわいい」を「お世辞だ」「嘘だ」と思ってしまいます。



自分がそう思うからこそ人に対して、容姿を褒めるときに友達が私に言われた「かわいい」に対して、お世辞だ、嘘だと思ってしまったらどうしよう。


かわいいって言っておけばいいと思ってんだろ?って感じさせてしまったらどうしようとなります。


こう不安になる時もあるし、私が好きでかわいいって思ってんだから相手がどう受け取ろうが関係ねえ!!って強気な時もあります。

仲がいい人には基本後者です。


簡単に言うと、躁状態と鬱状態って感じですね。





あの、うるさくて口の悪いお湯がです。ガサツでアホなお湯がこんな思考になることがあります。



話を戻しましょう、すみません。
脇道AB型話ポンポン飛ぶ芸人ですみません。


一般的?と言っていいのかわからないけれど、かわいいくて優しい気の合うオタク友達と出会えたから、自分の仲のいい子と繋がってほしい!!


という気持ちでタグを回すんだ、ということはわかるんです。


でも、ありがたいその他薦の言葉や、仲良くなってほしいという気持ちに応えることができなかったときを想像してしまうんですね。


私はよく「おもしろい」という言葉をいただきます。ありがとうございます。いい薬です。


私がタグを出したら、きっとおもしれぇ女ってなると思うんです(多分、いや?なるかな?不安になってきた)



いや、仮説として仮説としてね
お湯がおもしろいやつとして認識されているとして、おもしれぇ女って引リツでタグを回していただいたとして、そこで仲良くなった人と直接対決することがあった際に、あんまり面白くねえな、この人の笑いと合わねえなって思われたらもうそれはもう、イワコデジマイワコデジマです。(一息)



逆も然りですよね、自分が思ってしまうこともある。多分一度は経験あると思うんですよね。オタクガチャの失敗って。



せっっっっっっかくの期待に応えられなかったな、ちょっと苦手だなって思ってしまったな。って申し訳なくなってしまうんですよね。



A子ちゃんとは仲良くしたいって思うのに、A子ちゃんが仲良いB子ちゃんとは仲良くしたいって思えないなってかんがえてしまうんですよね。
クソだろ俺。



まぁ、これは逆も然りですよね。
(言っておけばいいと思ってる節あります)



それこそ、関わってきた時間に比例して理解度も上がっていきますよね。


最初はちょっと苦手だったけど、一緒に過ごしていくうちに、好きなところが増えてきて、結果的に仲良くなれたなんてことあると思います。


それもそうですよね、初めましてで挨拶する時はお互いあまり本性が出せないものですから。


相手の表情に対して敏感になってしまって、「あっ....愛想笑いしてる」「面白くなかったかな....」「わあ気まずそう.....」「どうしよう....」


って最初の頃はめっちゃなるんやないかな。




人は鏡とはよく言ったものだと思いますよね。自分が思ってることって、相手も思ってるんですよね。


ことわざ考えるやつって天才だよな。



つまり自分が不安な感情を抱いている場合、相手も同じことを思っているんですね(同じこと2回目)


上記のように不安になるのがいやっていうのもあるし、この人と私は合わないのかもしれないと思ってしまうのが怖いんですよね。


だから、私は初めましてでも怒涛のように喋ります。息をつかせぬスピードで話し続けて、会話のない無の時間を作らず、話し続けて、じゃあ、またね!!と言って去ります。


だから最初話した時苦手だなって思った方もいると思います。わかります。うるさいしな。


あれは私の虚勢です。



きっとその、なんていうか、会話のない無の時間への恐怖と、その無の時間に、自分に対しての評価がくだると思っているからかな。悪い評価が。



ぶぁーーーーって話すから人の会話遮ることも多いなっていうときもある、かなりある。本当に申し訳ありません。




その姿を見て陽キャだなってこの前、現場で言われました。色々思考を巡らせて、経験してたどり着いた、よく喋るお湯が「陽キャ」なのだとすれば


自分の根っこの陰の部分を隠せているってことだから社会に適応する力が身についたのかなと思います。(適応できてんのか知らんけど)


MBTIで絶対にEだと思っていた友人がIだったときの感覚だよね。
自分ではIだと思っているのに、他者から見たときの自分はEに見えるっていうのは。



だからこそ、そういった「かわいい」「おもしろい」「綺麗」みたいな形容詞が入っていると、自分の中にある「基準」ってやつがこんにちはーって出てくるじゃないですか。



言葉って魔法なんですよね。
たとえ他者の基準に基づいて出た言葉でも、自己の基準で考えてしまうんですよね。


いいことなんですよ。
自分の基準で物事を考えることは。


ただ、私の場合は自分の基準と合わなかった時、どうしたらいいかわからなくなるんですよね。どうしてくれるんだってなるんですよね。


知らねえよって感じですよね。
それでいいと思いますはい。



言ってしまえば言葉による先入観ですよね。先入観なんてものは本当はいらないのに、その言葉によって、先入観がない頃には戻れないんですよね。



つまりタグの話と絡めると、

かわいい!としか言えないほど、ほんっっっっとに奇跡の可愛さだからかわいいって引リツに打ち込んだのかもしれない。


対象者に対して思い当たるワードや、思い出がないから、当たり障りのないおもしろいを使っているのかもしれない。



でもその、かわいいやおもしろいに対する基準って人それぞれなんですよね。



俺は銀シャリがすき、私は金属バットの方が好き、いやいや、バッファロー五郎が最高だろ、そんなわけないだろダイアンが1番おもしろいだろ、みたいな感じなんですよ。(伝われ)


自分の基準と違う人って合わないんじゃないか?って思ってしまわないですか?
私はそうなんだけど、みんなどうなんだろう。


自分以外の基準に対して、あーそういう考えもあるのかあって深く納得して理解できるような発言をされたり、事案がない限り、合わないのかもしれない、仲良くなれるのかな?どうしようとなってしまうんですよね、私は。


つまり、いろんな人の基準が一斉に見られるああいうタグについて、友人が言っていた「構えてしまう」ってワードが真理でしかなくて



構えちゃうんですよね、
なんというか防御体制というか、いいね押したかったのに、その子と仲良くなる前に、その子の関わっている周りの人が見えてきてしまって、構えてしまうんですよね。



あとは、魔法の形容詞が引リツに入っていると、この子はそれを嬉しいと捉えているのだろうか、プレッシャーになってしまわないのか?という面でも、推し量ってしまうんですよね。まだ関わってすらいないのに。



それこそ最低ですよね。
そうです、あぁ、自分って最低だってなるんです。


あと、強制力。仲良くしなきゃいけないって思ってしまう人もいると思うんです。


ほんっと、すごいですよね人間って、言葉って(急)
まじでいろんな人いますよね。



だからこそ私は、ほんっとうに
関わる人をかなり狭めてしまうんですね。


こんな私なのに、今現在、仲よくしてくれている友人たちとは、どうしてこんなにも居心地良く過ごせるんだろうって考えることがふとあるんです。


最初は何もなかったにしても、直接会って相手のことを知って、自分の中でこの子はどういうものが好きで何が嫌なのか、色々考えると思うんです。


それこそMBTIも。

一緒に過ごしている時間以外にも、この子たちには別の世界があって、いろんな場面に適応するための自分がいるんだなとか考えてしまいます。


その中で、友人たちが自己の基準に基づいて考えた結果、お湯と合うと思うから〇〇ちゃんと今度遊ぼうって言ってもらえるのはとっても嬉しいです。


基本的に仲良い子とは直接死ぬほど会うことが多いから、声のトーンや表情で、本当にたくさん考えた中で、お湯と仲良くなってほしいと思ってもらえたんだなってことがわかるから嬉しいです。


そういう想いにはきちんと応えたいと思っています。友人のためにも最高のパフォーマンスを見せようって気持ちになります。(アイドルなので)


だからこそSNSで、人と関係値を作ろうとする時の言葉には質量がなくて怖いのかもしれません。


今、私と仲良くしてくれる友人の縁は、本当に直接会って、私のことを理解してくれた人達によって得られたものだと思います。


私の力ではないです。それぞれが本当にバランスよくいられるんだと思います。


お湯と合うと思うからって嬉しい言葉をもらって、直接会うことになって、ご飯食べてお酒飲んで現場行って。つながってきたものばかりです。



本当に感謝しています。




リプを続けるのもLINEを続けるのも苦手だから、あまり深く関われない、関われていないなって思うんです。オタクのアカウントとかね。


SNSでにいる自分ってちょっとドライというか、人間関係を構築する上では淡白だと思っていて。(自己考察)



気の許せる近しい人と、お互いを尊重しつつ、干渉せず、だけど困った時は助け合えるような関係を築いていきたいって思うんですね。


仲が良くなればなるほど、会う回数が増えれば増えるほど、ん???と思う事はあると思うんです。


経験上私はその「ん?」ってなった事は、言いません。
仲が良くなればなるほど、いわない気がします。



言えないのではなくて、おそらく自分もそう思わせてしまっているだろうと感じるのも一つの理由ですが、



自分の「ん?」よりも私と仲良くしてくれる友達から得られる幸せとポジティブなエネルギーの方がでっかいからです。


あとは単純に海馬が死んでる+楽しすぎて忘れます。



私がこれまでの人生で培ってきた人との付き合い方が絶対に正解だとは思わないし、多分きっと正解なんてないんだけども、


きっとあんな幼少期を経験していなかったら、今の性格にはならなかっただろうと思うんです。


もしかしたらブログ全部カタカナで打ち込んじゃうような人間になってたかもしれないし(UVERworld TAKUYA∞)

ジワリに対して鈍感だったかもしれない。


毎日世界に感謝するお花畑野郎になってたかもしれない。香ばし属性太陽ポケモンになってたかもしれない。


短髪ツンツン髪、ルブタントゲトゲクラッチバッグにピタピタのダメージジーンズ履いてコントラストと彩度バキバキの写真インスタにあげて、金稼ぐ講座開いちゃってたかもしれないじゃんね。


だとしたら、今の自分でよかったなってめっちゃ思う。


今の自分の中にある基準では、今の自分がいいなって思うから。そう思えるのは仲良くしてくれる友人がいるからなのが1番大きい。


きっと、いや、絶対、今の自分じゃなかったら、仲良くしてくれるエンジンの友達も、カラットの友達にも出会えなかっただろうし、それこそこいつとは合わねえってなってたかもしれないよね。


ぜっっったいにタグにいいねしても
お迎え来てもらえなかったよね、ほんまに。


つまり言いたいことは






悪いことすんなって言ってんじゃないの、ダセェことすんなって言ってんの(言ってみたかっただけ)
2023/09/23 IWGPを履修したお湯



兎にも角にも、言いたいことは、みんな楽しいオタクライフ送ってくれよってことでした!!!!!!!(雑)



おわり〜

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