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toyslab
誰もここには存在していない 自分と思っているものも、ない
『奇跡講座』学習者のSakieです。
赦しの実践について
これは、「原因についてのコース」であると言うこと
と、じゃあ、普段はどうしていたらいいの?という
ことについて、私の体験からの理解を
シェアさせていただきます。
結論から言うと
「普通に社会人として、好きなことしてたらいいんです」
というか、既に、している。
やっぱり辞めたもよし。
続けるもよし。
自己イメージは、真の自己を忘れ、
心の外側に飛び出した[たった1人の神の子の一なる心]が「小さな狂った考え」(=本来ならば、それを信じさえしなければ、なんの力も持っていない)想念によるイメージの産物であり「 無 nothing 」です。
あぁ、そうだった、、、
と、赦しの実践を通しての体験的理解によって
罪悪感の無い状態となれば、ここには何も存在していないし、何も真には起きていないことがわかります。
もちろん映像としては、二元の世界ならではの[小さな狂った考え]で[混沌の法則]と[束縛の法則]に忠実に則った、自我の思考体系の真骨頂とも言うべき分離を繰り返す二元性の(悪)夢の連続として、いつも同じコンセプトと内容=分離の夢という内容は変わらず、形態を様々に変えながら「起きることが起こっている」のです。
それが、身につまされていくにつれて
「もう、本当のお家に帰ろう」って、どんどん強く意思するようになり、思います。
まだまだ苦しんでいたい私も居ますが、咎めず、裁かず、限りない優しさを持って歩み寄っていこうと決めました。
救うべきは、私自身なのですから。